仙台のぞみ教会
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中ですぐれているのは愛です。
2020年12月27日「全能者の陰に宿る安心」(詩編91:1~16)
今年は新型コロナの流行による大変な年でもあった。そんな中でも、私たちは神様に守られてきた。もちろん医療に頼らないわけでもワクチンを開発する科学の力を信じないわけではない。それらにも神様が働かれていることを忘れないことを覚えたいのである。今日の詩編91編は、90編に続けて書かれたものである。90編は「あなたは私たちの住まいです。」(詩編90編1節)からはじまり、91編は「いと高き方の隠れ場に住む者」(91編)から始まる。今日は、神様を「住まう家」(申命記33:27)とする安心を考えていきたい。
第一に「全能者への信仰告白」について見ていきたい。ここでは神様を「いと高き方」「全能者」(詩編91:1)、太字で書かれた「主」、そして「私の神」(91:2)と表現されている。太字の「主」は神様の名前である「ヤハウェ」の意味で、普通の「主」は神様を指す代名詞である。詩編の作者は、契約の神「主」に「私の避け所 私の砦 私が信頼する私の神」(91:2)と、神様に対する全幅の信頼感を持っていることが分かる。目先の見えない今、私たちは「全能者の陰に宿る」(91:1)者であることを、信仰をもって確認しようではないか。
第二に「避け所の安心」について見ていきたい。3節からは「破滅をもたらす疫病からあなたを救い出させる。」(91:3)と、私から「あなた」に変わっていることに着目したい。これは1~2節に見られる詩編の筆者の信仰の告白から、私たちに対する問いかけとなっている。「狩人の罠」「破滅をもたらす疫病」(91:3)は死に直結する危機であるが、神様はそこから「あなたを救い出させる。」(91:3)と大胆に語られている。現実の危機に直面している私たちに向かって「あなたの神はいったいどこにいるのか」と問いかける者はいる。しかし、その言葉に動揺するのではなく、神様の約束の確かさを確信したい。4~9節は出エジプトの出来事の中で神様がどのようにイスラエルの民を導いたか(→「旧約聖書を読んでみよう」の「出エジプト(で海を割る話)」参照)、その時の出来事が重ねられているという。また「バビロン捕囚」からの解放を描写しているという意見もある(→「旧約聖書を読んでみよう」の「失われた十部族」参照)。どちらにせよ作者は「神様の約束の確かさは、イスラエルの歴史が証明している」と言うのである。神様の助けは絵空事ではなく、自らの歴史の中に刻まれてきた確かな働きなのである。今目の前に起こっている過酷な現実に目を奪われると、信仰が揺らぐこともある。だがみことばの確かさと、自分の信仰の歩みの中で働かれた神様の働きの確かさを折鯉起こしたい。
第三に「神様の真実の宣言」について見ていきたい。「主があなたのために御使いたちに命じてあなたのすべての道であなたを守られるからだ。」(91:11)は、荒野でサタンがイエス様を誘惑した時に用いた言葉である(マタイ4:6)。私たちも聖書の言葉を「法則」のように捉えてしまうことがある。しかし、神様の約束は「彼がわたしを愛しているから」(詩編91:14)とあるように、信仰者(彼)とわたし(神様)との人格的な関わりを基盤としている。だからこそ神様は「わたしは彼を助け出す」「高く上げる」(91:14)「彼に答える」「彼に誉を与える」(91:15)「わたしの救いを彼に見せる」(91:16)のである。この「彼」は単数形で書かれている。また「知っている」(ヤーダー:יָדָה)とは知識として知っているのではなく、日々の賛美と応答の積み重ねを意味する。神様は私個人が毎日の生活の中で築いてきた私と神様の個人的な関係の中で働かれる。その信仰の基盤を失わずに生活していきたい。
2020年12月24日「飼葉桶に眠るキリスト」(ルカ2:4~7)
今年はコロナ禍の中でのクリスマスとなった。今日の世界は根幹から大きく揺り動かされている。その失望の中で人びとが求めているのは、希望が持てる「逃れの場」ではないか。私たちは、その希望を救い主イエス様に求めていきたい。四つある福音書の中でイエス様の誕生に触れているのは「マタイの福音書」と「ルカの福音書」であり、前者は系図から後者はヨセフの立ち位置からそれを描写しているが、いずれにせよダビデの系図の中で救い主が生まれると述べている。第二サムエル記には神様がダビデに約束した「あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国をたてさせる。」(Ⅱサムエル7:12)という契約が書かれている。ここから千年後に、その契約が成就した。それがクリスマスである。
聖書には「ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。」(ルカ2:4)と書かれている。この二つの町は約140㎞だったが、住民登録は本籍地でしかできなかった。ヨセフにとっては、身重のマリアをともなっての旅は困難だったと思われる(2:5)。ヨセフは確かに由緒あるダビデの家系であったが、この時代には全く顧みられていなかった。エドム人であったヘロデが支配している当時、イスラエル王国の始祖のダビデ大王の家系というのは危険でもあった。ダビデの家系の意味とは何か。ヨセフがベツレヘムに近づくにつれて自分の原点を顧み、イスラエルの民と神様の契約を思い出おこしつつ歩む旅だっただろう。
二番目に「現実を受け入れていく信仰」について見ていきたい。聖書は「ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。」(2:6-7)と「ところが」から始まっている。そこには神様との契約への近づきとは異なる、次元の現実の問題が横たわっていた。彼らは、その現実をどう受け止めただろう。「そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」(2:7)を見ると、彼らのわびしさやさびしさが垣間見られる。しかし、そこには神様の導きに対して、その時点での自分たちの最善を求めようとする、マリアとヨセフの生きた信仰が働いているようにも見える。しかし作者のルカは、彼らの心情を思い描かず、その状況を淡々と描いている。だが神様は、同じようにわびしさやさびしさを感じるような羊飼いに対して、御使いを通して「大きな喜びを告げ知らせます。」(2:10)と語りかけ、「あなたがたのために救い主がお生まれになりました。」(2:11)と告げたのである。社会的に蔑まれていた羊飼いたちにとって、他のだれかではなく自分たち自身のためにあったことは大きな慰めだった。彼らは、すぐに幼子に会うために出かけて行った(2:15)。
神様はどのようなことをなされたのか。それは、このヨセフとマリアと羊飼いへの御業に表れている。私たちは、直面する現実の中でわびしさやさびしさを感じることも多い。しかし、「今は見えなくても、神様は必ず御業を働かせるから、けっして離れない」という信仰が必要なのではないだろうか。先が見えない時代だからこそ、神様のことばの中に約束された希望を見出し、信仰をしっかりと保っていきたい。それがクリスマスである。
2020年12月20日「クリスマスの喜び」(マタイ2:1~11)
クリスマスは、一年で最も闇が深い季節だが、その中で光を見出す季節でもある。この一年、世界はコロナに苦しんだ。イザヤ書には、救い主がこの世に送り込まれる前の、世界のあらゆる苦悩が「闇」として表現されていた(イザヤ8:22)。
マタイの福音書には、東方の博士(占星術師)たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」(マタイ2:2)と書かれている。博士たちは救い主を待ち望み「礼拝するため」に来たのである。これに対して、ヘロデ王もユダヤ人たちも救い主の出現に「動揺した。」(マタイ2:3)だけであった。占星術から救い主の出現を予測したにすぎずそれを確かめに王宮に来た博士たちより、旧約聖書に親しんできたユダヤ人たちの方が救い主についての知識があったはずなのに彼らは動揺した。エドム人であったヘロデに至っては、自分の王位が奪われるという恐れしかなかった。人びとは救い主を喜ぶよりも、残忍なヘロデ王を恐れて事なかれ主義を貫こうとした。ここに光の中に生きようとする者と、闇の中にとどまろうとする者との違いがある。私たちも世間的なものに従うより、本当の救い主にこそ従いたい。
第二に「主がともにおられる」ことを見たい。祭司長たちや律法学者は、旧約聖書に預言された救い主についての情報は持っていた。だがダビデ王の時代から千年、ダビデ王の家系もダビデの街であるベツレヘムも歴史の中に消えようとしていた。当時は小さな田舎町になってしまったベツレヘムは「決して一番小さくはない。 あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。」(2:6)と預言されていた。ヘロデは博士たちをひそかに呼んで(2:7)、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」(2:8)と述べている。これは言葉通りに礼拝しようとしているのではなく、自分の王位を脅かすものを抹殺しようとしたのである。救い主を求めて遠くからやって来た博士たちは、「ベツレヘム」という情報を得たものの、期待して訪れた王宮で出会ったのはユダヤの民の動揺や無関心だけであった。王宮を出た彼らは、再び闇に放り出されたような気持になったことだろう。そんな彼らを導いたのは星の光であった。星は「彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった」(2:9)。私たちも、人生の中で期待した道が得られない経験をすることがある。闇の中で自分の今までの歩みが試されてくることがある。そんな時に導いてくださるのは、私に対する神様の光なのである。クリスマスにあたって、闇の中で神様が与えてくださった喜びをかみしめたい。
第三に「クリスマスの贈り物」について見ていきたい。星に導かれた博士たちは「それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。」(2:11)とある。彼らは、純粋に「礼拝するため」にはるばるやって来たのである。彼らは宝の箱を開けて「黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(2:11)とある。だが「没薬」は、本来葬儀に用いるもので、一般的な王に捧げる物とは少し違う。彼らは、この「王」がどういう意味での救い主かを感じ取っていたのかもしれない。クリスマスにあたって、私たちがこの救い主をどのように受け止めて礼拝するのか、もう一度考え直してみたい。
2020年12月13日「御言葉の約束と成就」(マタイ1:18~25)
今日はアドベント第三週になる。例年であると巷は華やかな雰囲気で満たされるが、今年は世界中で自粛されている。しかし詩編には「主こそ、狩人の罠から 破滅をもたらす疫病から あなたを救い出される。」(詩編91:3)と書かれている。神様こそが、この困難から私たちを救ってくださる。こんな時期だからこそ、私たちは神様のことばに耳を傾けたい。
今日は第一に「イスラエルとの契約に示された神の救い」について見ていきたい。今日は18節から始めたが、連綿と家系が書かれた部分を省略していいというのではない。ここにはユダヤ人が親しんできた旧約聖書の要約なのである。その1節には「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」(マタイ1:1)とある。この「子」というのは「子孫」という意味であり、神様がアブラハムに示された契約の歴史なのである。人はもともと神様とともにある存在だったが、神様に背いて離れたことから罪や苦しみがある。そして神様は、人が神様のもとに戻る手段として「契約」を備えられた。神様はイスラエルと契約を結んで導き、その歴史を通じてすべての人を救う計画があった。この歴史は14代ごとに区切られていたが(マタイ1:17)、「14代」に大きな意味はない。大事なのは、イスラエルの歴史的転換点が神様の壮大な計画のもとにあり、神様の契約のもとにあったことである。
第二に「ヨセフとマリアの婚約から結婚への危機」について見ていきたい。「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。」(1:18)とある。当時の風習では婚約から結婚まで一、二年の間があったが、公的には夫婦と見做されていた。そのマリアが身ごもったことは、ヨセフにどれほどの苦悩をもたらしたことか。しかも姦淫ならば、ユダヤの掟に即せば石打ちの刑になる。自らの清さを保ちながらも愛するマリアを守りたいヨセフは、ひそかに彼女を去らせるしかなかった。そんなヨセフに御使いは「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」(1:20)と呼びかけた。彼は「ダビデの子ヨセフ」との呼びかけに、神様がイスラエルの民と結ばれた契約を思い起こしたにちがいない。聖霊は「マリアは男の子を生みます。その名をイエスとつけなさい。」(1:21)と言った。そしてヨセフが夢だと思わずに実際に名を付けたということは、神様のみことばを「自分の現実」として受け止めて生きたことを意味する。私たちもそうありたい。
第三に「神の約束の成就」について見ていきたい。作者のマタイは「このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。」(1:22)と書いている。マタイが引用したイザヤ書が書かれたのは、アハズ王の時代であった。彼の父であるヒゼキア王は信仰深い王で、イスラエルを救ってくださるように神様に何度も祈り、敵国アッシリアの侵略から守られてきた。だがアハズ王は、神様でなく敵国アッシリアに助けを求めた。だが神様はその不信仰に対して罰を下すのではなく、預言者イザヤを通して救いの預言を与えたが、アハズ王は何のことか分からなかっただろう。しかし、それから七百数十年後、神様は民全体に救いを与えられた。神様の契約は、私たちの弱さや不信仰にも関係なく成就される。「神が私たちとともにおられる」(1:23)、そんな神様の大きさを見ることができる。
2020年12月6日「すべての人の主キリスト」(使徒の働き10:34~48)
アドベントの第二週となった(→「聖書の舞台(生活・習慣)」のあ行「アドベント・クランツ」参照)。クリスマスは、神様がいかに私たちを愛しておられたか再認識する時期である。この時期は一年で一番夜が長い。闇の中を歩く私たちに、神様は救いの光を与えられた。ここまで、ローマ軍の百人隊長(→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「百人隊長」参照)であるコルネリウスが信仰に導かれる場面が描かれていたが、この出来事を通してペテロもまた神様の愛の大きさを再認識した。
今日は第一に「すべてのための福音」について見て行きたい。ペテロは、異邦人たちの前で「これで私は、はっきり分かりました。神はえこひいきをする方ではなく、どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。」(使徒10:34∸35)と述べた。ここに至るまでペテロにはどんな葛藤があっただろう。だが彼は、ここに至って「このイエス・キリストはすべての人の主です。」(10:36)と断言できるようになった。このスタンスは、伝統的なユダヤ人の宗教観からすれば「革命的」な出来事であり、その後の世界史に大きな影響を与えた。「天は人の上に…」と述べた福沢諭吉を内村鑑三は「キリスト教の大敵」と言ったが、「神を恐れる」というところから出発しないと本当の意味での平等は実現しない。ある人びとは「世界史の中でキリスト教が差別や戦争を起こした」と批判するが、「正義」は「裁き」ではなく「救い」のためでなければならないことを忘れたためである。
第二に「キリストと証言者」について見ていきたい。ペテロは「イエスは巡り歩いて良いわざを行い、悪魔に虐げられている人たちをみな癒されました。」(10:38)が「人々はこのイエスを木にかけて殺しました」(10:39)と述べている。だが「神はこの方を三日目によみがえらせ、現われさせて」(10:40)くださって、「民全体にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちに現れたのです。」(10:41)と述べている。「そしてイエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました。」(10:42)と述べた。この証言は重い。世界史はキリスト以前と以後で分けられ、生と死を分ける罪の赦しが実現したのである。この「罪の赦し」のために神様が救い主を送られたのがクリスマスなのである。「この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる」(10:43)ことを「安易だと」か「信じられない」という人もいる。しかし、それは神様が最大の犠牲を払ってイエス様の十字架につけ表された愛を軽んじ、拒否する大きな罪なのである。
第三に「聖霊の注ぎとバプテスマ」について見ていきたい(→「はじめての教会用語辞典」のは行「バプテスマ」参照)。「ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った。」(10:44)とある。彼らは聞きながら信じ、そして罪が赦された。それゆえ聖霊が下ったのである。その事実は、ペテロと一緒に来たユダヤ人にとっては衝撃であった(10:45)。ペテロもここに至り、異邦人の救いの確信を持ち「この人たちが水でバプテスマを受けるのを、だれが妨げることができるでしょうか。私たちと同じように聖霊を受けたのですから。」(10:47)ということができた。それは「イエス・キリストの名によってバプテスマ」(10:48)で、彼らの信仰がイエス様につながるものであり、教会の一員となることを公にするものであった。これ以降、ユダヤ人と異邦人との壁は、神様の前に完全に取り除かれたのである。
2020年11月29日「とり払われた隔ての壁」(使徒の働き10:21~33)
今日からアドベント(待降節)に入った。神に敵対しているこの世界ではそのまま福音を受け入れることができないので、神様は救い主イエス様を送ることよって神と人間との壁を取り除こうとされた。だが福音の広がりには、さらに人と人との壁をも取り除く必要がある。48節まで続くコルネリウスの話の中で、著者のルカは彼とペテロの間の壁を取り除く聖霊の導きに注目していた。
今日、第一に「御霊の導きに従う決断」について見て行きたい。ペテロは「岩」という意味で、イエス様が頑固者だった彼につけた名だが、本来的にはそういう性格であった。実際、異邦人との境が取り払われたという幻を見ても(使徒10:9∸16)、まだ戸惑いがあったが、御霊はペテロの背中を押すように声をかけた(10:19-20)。その導きでペテロは、ローマ兵がどんな人物かわからなかったが、御霊に従い「この私です。」(10:21)と彼らの前に自分をさらした。さらに聖書には「それでペテロは、彼らを迎い入れて泊まらせた。」(10:23)とあるが、異邦人である彼らを居候させていただいている家に泊まらせるのは相当なことで、ペテロには御霊の導きに相当の確信があったのだろう。その従順さを見倣いたい。
第二に「信仰による出会い」について見てみたい。福音は一方的に伝わるものではない。語る者も聞く者も、ともに神様の御言葉に従う姿勢が求められる。「コルネリウスは、親族や親しい友人たちを呼び集めて、彼らを待っていた。」(10:24)とあるが、彼は百人隊長の権力で人を集めたのではなく、プライベートに集めたことが分かる。彼は、御使いの言葉によってペテロを招いたので、御使いか何かと誤解したので「コルネリウスは迎えに出て、足元にひれ伏して拝んだ。」(10:25)。だが「するとペテロは彼を起こして、『お立ち下さい。私も同じ人間です』と言った。」(10:26)のである。人が人を拝む宗教も多いが、そのような姿勢は福音宣教にとって有害でしかない。「人間です」は死ぬべき弱い存在という意味である。ペテロ自身、幻を見るまで異邦人に伝道しようとは思いもしなかった。その後も、仲間のクリスチャンたちにさえ「あなたは割礼を受けていない者たちのところに行って、彼らと一緒に食事をした。」(11:3)と非難されている。 だが彼は「ためらうことなく来たのです。」(10:29)と、神様の備えられた新しい道へと踏み出したのである。
第三に「壁を超えた交わり」について見てみたい。トンネルが両方から穴を掘り進み、最後に真ん中の壁がとり払われて開通する。それには正確な測量が必要なのと同様に、ペテロとコルネリウスの両方に御霊の深遠な導きがあった。ペテロは「あなたがたは、どういうわけで私をお招きになったのですか。」(10:29)と問うているが、それに対するコルネリウスの答え(10:30-32)に神様の導きの不思議さや深遠さをかみしめたことだろう。さらにコルネリウスが「今、私たちはみな、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、神の御前に出ております。」(10:33)と、神様の御言葉に真剣に耳を傾けようとしている。ローマ軍の百人隊長(→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「百人隊長」参照)である彼は、「上からの言葉」を聞くことがどんなに重要かを知っている。神様の御言葉を聞き従うことによって、直前まで全く交わりが考えられなかった二人が信仰上の兄弟と呼ぶ関係となった。神様は人と人との関係を通して福音が広がるが、そのための前提として自分のこだわりを超え、御言葉に聞き従うことがいかに重要か分かろう。
2020年11月22日「覚えられた祈り」(使徒の働き10:1~20)
相手を想う気持ちを表すために「~をお祈りいたします」と手紙を締めくくることが多い。実際に祈っているかはわからないし、祈る対象も不明であろう。祈ることは自分の心の問題だと考えられている。しかしクリスチャンの祈りは違う。祈りの対象があり、それが受け入れられるという確信に支えられた祈りなのである。今日の箇所は、その後の異邦人伝道にとって画期的な出来事となった、コルネリウスの回心へとつながる話である。
第一に「新たな導きを得たコルネリウスの祈り」について見て行きたい。コルネリウスは、カイサリアに駐留するローマ軍の百人隊長(→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「百人隊長」参照)であった(使徒10:1)。彼はどこかでキリスト教信仰に触れ、「家族全員とともに神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた。」(10:2)のである。ローマ人である彼はキリスト教信仰について充分な知識はなかったが、信仰の本質はつかんでいた。そのコルネリウスに神の御使いが表れ(10:3)、「あなたの祈りと施しは神の御前に上って、覚えられています。さあ今、ヤッファに人を遣わして、ペテロと呼ばれているシモンという人を招きなさい。」(10:4∸5)と命じられた。当時、皮なめし職人は賤業と考えられ、百人隊長としての見栄が優先したのなら、その家主と同じ名前の「シモン」を招くことは誤解を受けることを恐れたであろう。しかし彼は「しもべたちのうち二人と、彼の側近の部下のうち敬虔な兵士一人を呼び、すべてのことを説明して、彼らをヤッファに遣わした。」(10:8∸9)のである。祈りは神様に自分の願いを伝えるだけではない。自分の思いを超えて、私たちに対する神様の導きや働きを求めるためにある。
第二に「祈りの中できよさの本質を知ったペテロ」について見て行きたい。ペテロもまた祈るために屋上に上っていた(10:9)。しかし彼は空腹を覚え、そのうちに「夢心地になった。すると天が開け、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来るのが見えた。」(10:10∸11)のである。そこには、食べてよい動物と、律法によって食べることを禁止された動物があった。レビ記には、きよくない動物がきよい動物に触れているだけで汚れるとされたのに、全部が一緒の敷布に入れられていたのである。そして神様は「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」(10:13)と命じられた。ユダヤ人であるペテロは、幼いころからそれを避ける習慣が身についていたので、それらを屠って食べることは、彼自身のこれまでの人生を否定することになる。だからペテロは、神様の命令に対して「主よ。そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」(10:14)と拒否した。これまで守ってきた律法は「神様の命令」であったのに、ペテロはそれを頑なに守りながら、同じ「神様の命令」を拒否するという自己矛盾を起こしたのである。そんなペテロに、神様は「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」(10:15)と命じた。神様を信仰しているはずなのに、自分の意志を先行させてしまうこともあるし、ユダヤ人として染みついていた慣習は変えがたい。だが異邦人伝道がはじまるためには、ペテロがその壁を乗り越える必要があった。
コルネリウスの側にもペテロの側にも越えなければならない壁があった。だが神様を祈り求める彼らに、神様は新たな導きと信仰の広がりを与えたのである。
2020年11月15日「福音と癒し」(使徒の働き9:32~43)
1891(明治24)年の11月にフレデリック・フランソンら15名の宣教師が横浜に上陸した。そこから私どもの日本同盟基督教団の宣教が始まった(→「日本同盟基督教団沿革」)。来年は130年目となる。18世紀の終わりごろ、欧米では多くの宣教団が組織されて海外宣教がさかんになった。中でもアヘン戦争後の中国に赴く宣教師が多かった。しかしフランソンは、中国ではなく日本への宣教に情熱を燃やし、伊豆大島や飛騨高山など過疎地に赴いた。今日の箇所にあるペテロも、同じように外国で伝道をし、その中で今日の話の中にある二つの癒しを行った。
第一は「リダにおけるアイネアの癒し」について見て行きたい。彼は、エルサレムの西方のリダの街(使徒9:32)、シャロン地方(9:35)、ヤッファの街(9:36)を巡回した。リダの街では中風で八年間床についていたアイネアを癒した(9:33-34)。この記事を見ると、イエス様が中風の人を癒した出来事を思い出す(マルコ2:3-5)。イエス様の時には「人の子が地上で罪を癒す権威を持っていることを、あなたがたが知るために―」(2:10)と、罪の赦しについて述べているが、このペテロの時は癒しの宣言だけである(使徒9:34)。これはアイネアがすでに罪許されたクリスチャンだったからである。この時、ペテロは癒すだけでなく「アイネア、イエス・キリストがあなたを癒してくださいます。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」(9:34)と、イエス様に呼応すること、意志を働かせて行動に移すこと、そして生活を変えることを命じている。私たちは、悪いと考えながらも日々の生活に安住して、悪習を手放さない傾向がある。しかし信仰は、それに決別することを求めている。だが、イエス様の呼びかけに応じて、それに決別する決断を行うところに祝福がある。
第二に「ヤッファにおけるドルカス」について見て行きたい。聖書には「またヤッファに、その名をタビタ、ギリシア語に訳せばドルカスという女の弟子がいた。彼女は多くの良いわざと施しをしていた。ところが、そのころ彼女は病気になって死んだ。」(9:36-37)とある。リダとヤッファは10数キロ離れている。ヤッファのクリスチャンたちは、人を二人ペテロのもとに遣わした(9:38)。ペテロが到着すると、ドルカスのための葬儀が行われていた(9:39)。やはりこれについても、イエス様による同じような癒しの出来事がある(マルコ5:21-41)。どちらも愛するものを失う悲しみが溢れている。イエス様は「タリタ、クム」(マルコ5:41)と命じたが、これはアラム語で「少女よ、起きなさい」という意味であった。一方、ペテロは「タビタ、起きなさい。」(使徒9:40)と言ったが、この「タビタ」はドルカスの名前である。偶然だろうか。だが、使徒の働きの作者であるルカは、ペテロの行動にイエス様の働きがあるという深い摂理を感じ取ったのだろう。また、ペテロの命じた「立ち上がりなさい」(9:34)「起きなさい」(9:41)の原語は、どちらも同じである。「死」を「寝ている」と表現する事が多いが、私たちはイエス様の命令によって死に打ち勝ち、再び「起き上がる」ことが約束されている。ドルカスに起こった奇跡は、他のクリスチャンにそのことを確信させた。「ペテロは手を貸して彼女を立たせた」(9:41)。ペテロが示したように、イエス様は、弱い存在である私を「立たせてくださる」存在なのである。だからこそ、確信を持ってイエス様に応答していきたい。
2020年11月8日「立ち返ったパウロ」(使徒の働き9:19b:~31)
先週は召天者記念礼拝だった。このみなさんは、人生の途中でイエス様にお会いして人生の大転換をした人たちであったが、その人生には多くの葛藤があったのではないか。だが信仰を持つことによる戦いや困難があったとしても、その人生にはそれ以上の恵みがある。今朝の箇所は、イエス様を信じたサウロがクリスチャンに受け入れられていく過程である。
今朝、第一に「迫害者から証人への転身」から見て行きたい。サウロは、イエス様を信じてイエス様のことを宣べ伝え始めたが(使徒9:20)、彼には語らずにはいられないような喜びがあったのだろう。使徒の働きでは、回心してすぐにパウロが語り始めたように書かれているが、彼自身が書いた手紙には一度アラビアに出て行ってダマスコに戻ってきたと書かれている(ガラテヤ1:16-17)。このアラビアとは、アラビア半島のことではなくダマスコに隣接するナバテヤ王国のことである。彼は、人と会う前に神様と一人で向かい合ったのである。彼の回心は人々に驚きを与えた(使徒9:21-22)。クリスチャンからしたら信じられないし、ユダヤ教徒からしたら裏切り者に映っただろう。しかし、彼はそれらにめげずに「この方こそ神の子です」(9:20)と語り続けた。福音の力は人間の本質を変えることができる。
第二に「罠と陰謀からの脱出」について見て行きたい。回心したサウロに対するタルソのユダヤ人の憎悪は次第に高まっていった(9:23-24)。だがサウロは、ローマ市民権を持っていたため街中で公然と殺すことができなかった。パウロが書いた手紙には、彼自身がそこから逃れた緊迫した様子が詳しく書かれている(Ⅱコリント11:32-33)。それは奇跡的な力によるものではなく、夜の闇に隠れて籠で城壁から綱で降ろすという原始的な脱出方法であった(使徒9:25)。だが、そこには確かな神様の守りと、重いかごを下ろそうとする兄弟姉妹の働きがあった。旧約聖書のダビデ王も何度も危機一髪の状況から逃れたが、そこに神様の守りがあったことを確信する彼の感謝の祈りが詩編には書かれている。
第三に「受け入れられた交わり」について見て行きたい。危機を逃れてエルサレムにたどり着き仲間になろうとしたサウロに対して、クリスチャンたちは「みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた」(9:26)。私たちも同様の気持ちになっただろう。しかし、その状況の中で「バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。」(9:27)のである。これは大変なことで、バルナバは自分たちを殺そうとしていた迫害者を自宅に泊め、話を聞き、その交わりの中でようやくサウロの回心を確信したはずである。そうやって徐々に受け入れられたサウロは、現地語であるアラム語を使う人々ではなく、特にローマ帝国が公用語としていた「ギリシア語を使うユダヤ人たちと大胆に語った」(9:29)。さらにエルサレムでも暗殺計画に直面した時に手を貸したのは、かつてサウロを疑っていたエルサレムのクリスチャンたちであった(9:30)。サウロは、追われてカイサリアからタルソへ送られた。それによって「教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を得た。主を恐れ、聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増えていった。」(9:32)と、使徒の働きを書いたルカは俯瞰している。
2020年11月1日「生ける望み」(ペテロの手紙第一1:3~5)
今朝の礼拝は、召天者記念礼拝である。愛する人との死別は悲しいことであるが、そこに希望を持てるのがキリスト教である。権勢を誇った豊臣秀吉でさえ、死に直面して人生に虚しさを覚え「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」という辞世の句を読んだ。希望をどこに置くかは、私たちの人生を左右する。今日の箇所でペテロが「生ける望み」(ペテロ第一1:3)があると手紙を書いた先は、ローマ皇帝ネロからの迫害を逃れて現在のトルコの町々で潜伏していた(ペテロ第一1:1)クリスチャンたちであった。
今日は第一に「生ける希望の根拠」について見て行きたい。ペテロは、神様が「生ける望みを持たせてくださいました。」(1:3)と書いたが、その望みが絵空事であれば、現実の迫害に耐えている人々には届かない。だが、この望みは私たちの現実の生活の中に働き、死の向こうに希望を与える神様の働きなのである。この「生ける望み」の出発点は神様の大きなあわれみである。「あわれみ」という言葉に反発を覚える人もいるかもしれない。だが救いの出発点が自分の努力であれば、自分の罪はどうしようもなく、弱さや失敗は許されなくなる。しかし神様のあわれみであれば、私が「新しく生まれる」(1:3)も可能にさせてくださるし、人の最大の弱点である死でさえも「イエス・キリストが死者の中からよみがえられたこと」(1:3)で克服される。死の先に神のいのちがあるという以上の望みがあろうか。
第二に「天に蓄えられた資産」について見て行きたい。マタイは「地上に宝を蓄えるのはやめなさい。」(マタイ6:19)と述べたが、ペテロの手紙には地上の宝について言及していない。おそらく迫害から逃れて潜伏していた人々には、資産と呼ばれるものはすべて失っていなのであろう。どれほど不安だっただろうか。ペテロは「また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。」(ペテロ第一1:4)と彼らに述べている。ここで注意したいのは善行や寄付などの「功徳」ではない。十字架にイエス様とともにつけられた強盗は、そこで悔い改めた。彼のクリスチャン人生は数分であり何もしていない。しかし救われた。「天に蓄える」とは、自分の悔い改めと、そこから始まる一つひとつのあゆみなのである。それがたとえ一瞬でも、神様は私たちの立ち返りを喜び「宝」と考えてくださる。
第三に「進行による神の守り」について見て行きたい。「あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、」(1:5)とペテロは述べているが、この守りとは「戦争のときの防御」という意味の言葉である。私たちの人生だけでなく、この世も終わりの時を迎える。しかし終末とは、小説や映画にある時のような現象(隕石の落下や核戦争)を指すのではない。今の世界がなくなり裁きが行われ、神様と直接つながる世界に変わることである。その時に、神様の「用意されている救いをいただくのです。」(1:5)との確約があるとは、何と心強いことであろう。施設で死の直前に救われたある信者は、他の入居者に「羨ましかった」と言われていた。おそらく、不安の中にいる入居者から見て、その方が「死の向こうに希望を見出していたこと」が羨ましかったのではないか。私たちも、人生の終わりの先にある確かな希望を見据えながら人生を歩んでいきたい。
2020年10月25日「迫害者サウロの回心」(使徒9:1~19a)
キリスト教の歴史はサウロの回心を起点に大きく進歩した(→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「パウロ(サウロ)参照」)。パウロを通じて中東の片隅の宗教が世界に広がり、その過程で異邦人伝道が行われ、教会の組織論が確立した。だが、使徒の働きは「パウロ伝」ではない。いかにパウロの人生が変えられたかを語っている。
今日は第一に「迫害者としてのパウロ」について見て行きたい。この時、パウロはサウロという名前で、聖書にはステパノの石打の場面に脇役的に登場する。その後、主体的にキリスト教弾圧を行っていく(使徒26:9-11)。当時、迫害から逃れたクリスチャンはダマスコという街に逃げた。この時代、ダマスコはローマの管理下にあったが、ユダヤ人に関しては大祭司にあった。パウロは、その大祭司から迫害の許可書を得て、怒りにまかせてクリスチャンを迫害し恐れられていた。だが神様の救いは、このようなパウロの生き方を変えてしまった。自分の周りにも迫害者サウロのような人はいないだろうか。そんな人のためにも神様は働かれ、生き方を変えることを忘れてはならない。
第二に「復活の主との出会いと回心」について見て行きたい。エルサレムからダマスコまでの距離は249キロ。その間パウロはクリスチャンへの怒りを増幅させながら歩いていたのであろう。黒い感情が増大した時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」(使徒9:3-4)という、天からの介入があった。迫害者であったパウロは、自分こそ神様に熱心に従っていると考えてクリスチャンを迫害していたが、神様はそのことに怒りを下さず、彼に心の一番深い所に語りかけられた。イエス様は、パウロの問いかけに「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(9:6)と言われたのは、教会とイエス様がすでに一体であることを示している。神様に最も熱心に従っていると思っていた自分が、神様ご自身を迫害していたとは、自らを全否定するような衝撃であったろう。だが、そのパウロに「立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる。」(9:6)とイエス様は命じた。パウロは、それを受け入れて行動を起こし、ダマスコで三日間食べることもせず(9:9)ただ祈っていた(9:11)。その祈りは、後悔や苦しみの中で言葉にならないものではなかったか。しかし、その悔い改めがパウロを新しくしたのである。
第三に「備えられた新しい歩み」について見て行きたい。パウロ自身が悔い改めたなら、アナニアの働きは必要ないように思われる。だが神様は、人との関りや祈りの中でパウロを救い導こうとした。そこに教会の働きがある。この時、もしパウロが変わっていなければ、訪ねた途端に捕縛されて殺される可能性があったため、さすがのアナニアも神様の命令に躊躇している(9:13-14)。しかし神様は「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、私の選びの器です。」(9:15-16)と説明している。彼もまた変えられた。アナニアは、神様の視点に立ってパウロを「兄弟サウロ」と呼びかけ、「あなたが来る途中であなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」(9:17)と祈った。慣用句となった「鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。」(9:18)という箇所は、単に視力が回復することだけでなく、新しい見方ができるようになり、新しく変えられたことを指している。
2020年10月18日「荒野ガザに導かれた信仰」(使徒8:26~40)
福音をすべての人に伝えることは、クリスチャンに与えられた重要な使命である。初代教会では、聖霊に導きにより、ユダヤからサマリアへ人種や文化の壁を越えて福音が爆発的に広がっていった。今日の箇所は、聖霊に導かれたピリポが個人伝道をした場面である。
今日は第一に「荒野に導かれたはたらき」について見て行きたい。聖書には、聖霊がピリポに「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(使徒8:26)と言ったとある。このころガザは二つあり、紀元前339年にアレクサンダー大王によって滅ぼされた旧ガザと、紀元前57年にローマによって再建された新ガザがあるが、この場面は滅ぼされた旧ガザである。そして宣教目的のピリポを導いた先は、この荒れ果てた旧ガザであった。しかし彼は、聖霊の導きに疑問を挟まず「立って出かけた」(8:27)のである。今日、聖霊の働きが見えにくいと言われることもある。だが聖霊の働きを妨げているのは、私たち自身の心である。ピリポのように素直に従う心が、私たちには必要なのではないか。
第二に「馬車の中での個人伝道」について見て行きたい。「そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人がいた。」(8:27)と聖書にある。ピリポが、他のユダヤ人のような考えを持っていれば「異邦人」「宦官」には神様のことばを伝えなかったであろう。しかし、彼は聖霊の導きにしたがって宦官に近づき「あなたは、読んでいることが分かりますか。」(8:30)と声をかけている。そして宦官も、地位が高い人物であるのに「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか。」(8:31)と謙遜に答えている。宦官が読んでいたのは、「70人訳」と呼ばれるギリシャ語訳のイザヤ書53章7~8節の部分である。しかし福音の説き明かしがなければ、その本当の意味は分からない。宦官は「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。これに対してピリポは、単に聖書の解釈ではなく、宦官が抱えている人生の悩みについても聞きながら、イエス様の福音がそれらを解決する唯一の方法だと確信して、「この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。」(8:35)のである。
第三に見たいのは「宦官の信仰決心とバプテスマ」について見て行きたい。ピリポは、宦官に聖書の説明をしたが、その時、別のイザヤ書の箇所も語ったのではないかと想像したい。イザヤ書56章3~8節には、「異邦人」の「宦官」も神様が喜んで受け入れられていることが語られている。自分のようなものも神様に受け入れられていることを知った宦官は、いかに救われたであろう。彼は信仰の決心をし、「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」(8:36)と問うている。彼らは「二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。」(8:38)が、「二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた」(8:39)のでその後の人生に交わりはなかった。ピリポは、このたった一人を導くために聖霊に導かれたのである。宣教は数ではない。一人ひとりが聖霊の導きの中で救われた大切なひとりなのである。宦官は、本当の意味で罪許されたことを実感し「喜びながら帰って行った」(8:39)。ステパノに比べてピリポの言葉に関する記録は少ない。しかし、彼は聖霊に導かれて大切な宣教の働きをなしたのである。
2020年10月11日「聖霊という賜物の真偽」(使徒8:9~25)
先日教団の研修会がオンラインで行われた。コロナ禍の分断の中で、オンラインといえども教会が集まることの大切さを再認識した。教会の一体性の源泉は何だろう。
今日は、第一に「魔術師シモン」について考えていきたい。クリスチャンになると、古い価値観や生き方が大きく転換する。しかし信仰を持ちながらも、古い価値観や生き方に縛られる人もいる。魔術師シモン(Simon)がそれにあたろう。彼は「魔術を行ってサマリアの人々を驚かせ、自分は偉大な者だと話していた」(使徒8:9)人物であり、聖職売買を意味する「サイモニー(Simony)」の語源となった。彼の「魔術」は何らかの効果があったようだが(8:10)、人々は、ピリポの語る福音の中に真の救いを見出し、バプテスマを受けた(8:12)。シモンもバプテスマを受け「いつもピリポにつき従って」(8:12)いたが「しるしと大いなる奇跡が行われるのを見ては驚いていた」(8:13)だけで、福音によって作り変えられるという、一番大事なことに目が行っていなかったのである。
第二に、使徒たちが派遣されていった時のことを見ていきたい。この時、エルサレムでは教会に対する迫害が激しかったが、その中で「サマリアの人々が神のことばを受け入れた」(8:14)ことは大きな驚きであった。そしてエルサレム教会は、使徒たちの中心人物である「ペテロとヨハネを彼らのところに遣わした」(8:14)のである。かつてヨハネは、サマリア人がイエス様一行を受け入れなかったため「私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」(ルカ9:54)とまで言ったが、今度は喜びを持ってサマリアに行ったのであろう。彼らは、サマリアの人々が聖霊を受けられるように祈った(使徒8:15)。バプテスマを受けることは人の側の決断であるが、聖霊が下るかどうかは神様の意思である。長らくユダヤと断絶のあったサマリアであるが(→「聖書の舞台(人物・組織)のさ行「サマリア人」参照)、「彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた」(8:17)ことで、神様がサマリアも同様に受け入れられたのである。現在も様々な教派や教団の差異こそがあるが、生きた教会として聖霊に導かれる一体性こそが重要なのである。
第三に「聖霊の賜物の真偽」について見ていきたい。魔術師シモンは「使徒たちが手を置くことで御霊が与えられるのを見て」(8:18)、ピリポの奇跡の力の源泉がここにあることを理解した。そして自分も同じようにしたいと思い、金を持って来て、「私が手を置く者がだれでも聖霊を受けられるように、その権威を私にもください」(8:19)と言った。「たましいの贖いの代価は高く」(詩編49:8)神様のあわれみでしか救われないのに、一体、シモンはいくらで買おうとしたのか。だがペテロは「金で神の賜物を手に入れよう」(8:20)と考えたシモンの罪深さを指摘している。ペテロは、シモンに「この悪事を悔い改めて、主に祈れ」(8:22)と言った。悔い改めるとは、これまでの生き方を変えることである。だがシモンは「あなたがたが言ったことが何一つ私の身に起こらないように、私のために主に祈ってください。」(8:24)とは言ったが、過去の自分を「悔い改める」までは至らなかった。その後、彼は、キリスト教会と対立した異端であるグノーシス派(→「聖書の舞台(生活・習慣)」のか行「グノーシス(主義)」参照)の祖となったとの伝説もある。私たちも洗礼を受けたことに安心して、以前の生き方に戻ってはいないだろうか。そんな時は、もう一度、神様の前に悔い改めたい。
2020年10月4日「福音の広がりと解放」(使徒8:1~8)
「生きたみことば」は、想定外の出来事が起こった時も、その中に光を与えてくれると聖書は語っている。使徒の働きでは、ステパノが石打ちの後、教会の迫害が起こったが、その迫害がかえって福音を広げたことが書かれている。
今日は、第一に「激化する迫害と人々の行動」について見ていきたい。ステパノの死後、教会に対する迫害が激しくなった。ステパノの石打の時には傍観者であったサウロは(使徒7:58)、死刑に賛成し(8:1)、さらに積極的な迫害を行うようになった(8:3)。当初、使徒たちに向けられていた人びとの憎悪が一般の信徒にも向けられるようになり、家も仕事も捨てて離散するほどの命の危険にさらされた(8:1)。だが彼らは、逃亡先でもみことばを語るのをやめなかった(8:4)。また「敬虔な人たちはステパノを葬り」(8:2)と聖書にあるが、当時、石打ちにあった人というのは「神に呪われた人」と考えられ、ステパノを引き取ることは彼と同じに見られる恐れがあった。だが、彼らはそれを恐れなかった。彼らには悲しみはあったが、石打ちの刑を執行した群集への怒りは見られなかった(8:2)。
第二に「迫害による福音の広がり」について見てみたい。かつてテルトゥリアヌス「殉教者の血は福音の種である」と述べた。その通り、迫害者はクリスチャンを根絶やしにしようと迫害したが、そのことが各地で多くのクリスチャンを生み出すこととなった。「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。」(8:4)とあるが、これは一時的ではなく、生涯にわたって伝え続けたという意味である。もし迫害から逃れるだけならば、クリスチャンであることを隠したであろう。しかし彼らは、迫害が広がる中で語り続けた。ステパノは説教の中で、モーセが神から「生きたみことばを授かりました」(7:38)と語ったが、彼らも自分が授かったのが「生きたみことば」であるとの確信があったのだろう。その一人にピリポがいた。彼は「サマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた」(8:5)。このサマリアはユダヤ人にとって神に選ばれていない異邦人の地であったが、イエス様は復活後「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで」(1:8)広がると予言されていた。つまり人々が散らされたことも、ピリポたちがサマリアに行ったことも、すべて神様のご計画であった。現在、私たちへの目に見えた迫害はないものの、信仰生活を阻む様々な働きはある。しかし、その時も「生きたみことば」を宣べ伝えるものでありたい。
第三に「福音による罪の支配からの解放」について見ていきたい。ピリポがサマリアに行った目的は、人々に福音を宣べ伝えることであった(8:5)。時々、自分語りをしてしまう「あかし」もある。しかし、大事なのはキリストを宣べ伝えることである。「群衆はピリポの話を聞き、彼が行っていたしるしを見て、彼が語ることに、そろって関心を抱くようになった。」(8:6)とある。サマリアの人々はユダヤ人とは異なる宗教観を持っていたが、ユダヤ人のように心を閉じず向き合ったのである。その結果、「汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行き、中風の人や足の不自由な人が数多く癒された」(8:7)ということが起こった。彼らは罪の許しをいただいて魂と身体の癒しが行われたのである。ピリポが宣べ伝えた「生きたみことば」が彼らの生き方を転換させたのである。