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 2024年11月24日

   主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。

                                                                         サムエル第一13:14

 

    主への信仰が本物であるかどうか、根底からその信仰が揺さぶられることがある。いくら信仰を口にしていても、頭の中では実態のないものとしていたのでは、現実の問題に信仰をもって対応することができないでしまう。

 サウロが王に任職されたとき、最初に求められたのは主の導きに対する従順であった。このことは、サムエルの司式において、ギルガルでささげられる全焼のいけにえの場で実践されるはずであった。

「私があなたのところに着くまで、そこで7日間待たなければなりません。」(10:8)

  王となったサウル王は、ペリシテ人と本格的な戦闘を交えることになったが、兵力の差は歴然としていた。サウルの側の兵士は合計3千人(13:2)であり、これに迎え打つペリシテでは「戦車3万、騎兵6千、それに海辺の砂のように数多くの兵(13:5)である。

   こうした状況において、サムエルが命じた約束を待つことは、それを主の戦いとして受け止めていくことに意味があった。軍事的にはどんなに劣勢であっても、主が共にあって戦うとき、必ず勝利が与えられるからである。

 ところがサウルは、サムエルの約束を待ち続けることができなくなり、部下に「全焼のささげ物と交わりのいけにえを私の所に持って来なさい」(13:9)と命じてしまう。

 サムエルが、7日を過ぎても来なかったのが大きな理由であった。その上、兵士たちがサウルから離れていったので、兵力の減少に焦りを感じてしまったのである。

 けれども、このことがサウルの主への不信仰として言われている。信仰というのは、主との確かな結びつきである。それは、人間的な状況判断とは決定的に違っている。

2024年11月17日

   主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない。主は、あなたがたを御自分の民とすることを良しとされたからだ。  サムエル記第一12:22   

 

   人は誕生のときを出発点として、その人生を振り返ることがある。人間関係で傷ついたときとか、歩むべき道に迷いが生じたとき、自分が何者であるかを知ることは次に進むために助けになる。

 イスラエルにとって、主の民とされたことは民族的な出発点である。民が如何に主に愛されているかは、「宝の民」という表現にもなる。これは、イスラエルが他の民族と比べて優れているとか、神に対して従順であるというようなことではなかった。(参照 申命記7:1~8)

 サムエルが年老いたとき、イスラエルと主なる神との関係は、実際的な統治のかたちの点で大きな変化を生んだ。民は「ほかのすべての民のように、私たちをさばく王を立ててください」(1サ8:5)と願ったことによる。このことは主によって「わたしが王として彼らを治めることを拒んだ」(8:7)こととされる。

 それでも民は、「いや、どうしても、私たちの上には王が必要です」(8:19)とサムエルに求めた。主なる神は、その民の求めの背後に偶像礼拝による不信仰がはびこっているのを知りながら、その民の罪を直ちに裁くことをしない。そして民が辿る歴史の中で自ら気がつくようにされた。このことが「主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない」(12:22)と言われている。

 その過程で、イスラエルが約束されたいた祝福から大きく道を外すことも起きる。悲惨な結果を招き、周辺の国々から著しく侮られることもある。それでも「主は、あなたがたを御自分の民とすることを良しとされた」 

 ここに捨てられる民を徹底的に愛される主のへりくだりと、私たちが帰るべき原点がどこかが示されている。

2024年11月10日

  キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。   コロサイ3:15

 

  平和が脅かされている時代である。平和のための国家間の理念が覆えされ、平和のための組織が機能していないことが懸念される。

 戦争に明け暮れた時代と比較するなら、起源1世紀のローマ社会は、表向きには平和が保たれているかのようである。「パックスロマーナ」と人々が誇ったことは、決して大げさな表現ではなかった。けれども、個人のレベルに掘り下げてみるとき、そこに争いが絶えることはなく、社会的な混乱に発展する要素はいくらでもあった。

 パウロがキリストの平和を語る背景には、福音には一般的な概念として語られる平和と似て非なるものであったからである。ローマの平和は、武力による圧制により達成し保たれているのであるが、

キリストの平和はキリストの死と復活によて神から与えられたものである。

 それを信仰をもって受けとめるのでなければ、その人の中に神の平和が訪れることはない。コロサイ教会の中には、そのような欠けを、宗教的な儀式や異なった教えによって補おうとする人たちがい

て、混乱の要因になっていた。

 この解決としてパウロが提示したのは、私と神という個人的関係においての平和の構築である。それは主イエスへの信仰によって既に与えられたものではあるが、そこに硬く立ち続けているかという点になると、コロサイ教会の中には揺らいでしまうものがあった。

  誘惑者は、私たちの最も弱い部分から切り崩す。御言葉から、立ち直るべき視点を見誤らないようにしたい。

2024年11月03日

 あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。 コロサイ3:3

 

  最近、終活という言葉が語られているのをよく耳にする。平均寿命が延びたとは言え、人はいつまでも生きれるわけはないのだから、いつか訪れる「その日」に備えることは、賢い生き方であるに違いない。

 ただしそこで語られる人の死は、息が止まる瞬間までに限られ、それにまつわる葬儀の費用や遺産整理に関するとこなどである。それでは、死について最も重要な部分が除外されているのではあるまいか。

 パウロはコロサイの教会の信徒に「あなたがたはすでに死んでいて」と手紙で書き送った。これはキリスト者はみな、信仰によってキリストの死の中に置かれていることを意味する。この場合の死は、ひとりひとりが神の前において、罪の結果として神の裁きを受けていることを意味する。

  多くの人は、死を体という器官の停止と理解している。生物的な変化の不可逆性とも定義される。けれども聖書の見方では、それは死が抱える現象の一部に過ぎない。

 「罪の報酬は死です」(ローマ6:23)とあるように、聖書は罪の結果としての死を語っている。信仰者は、キリストの十字架の死の中にとり入れられた。そして父なる神は、このキリストを死者の中からよみがえらせてくださった。

 「あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです」

  終活ということを考えるのであれば、復活のキリストと共に隠されているいのちにこそ焦点を当てるべきではなかろうか。それは死に向かう私たちを虚無という暗黒から解放し、神の愛に生かされる希望に至る道であるからである。

2024年10月27日

イスラエルの神、主はこう言われる。「イスラエルをエジプトから連れ上り、あなたがたを、エジプトの手と、あなたがたを圧迫していたすべての王国の手から救い出したのは、このわたしだ。」

                                                                          サムエル第一10:18

 

  良いと思って選択したことが幻想であり、捨て去ったものの中に本当に必要なものがあった。イスラエルが、祭司を中心とした信仰共同体から王政に転換したのは、そのような結末を迎えることになってしまう。

 けれども現実の生活の中では、そこに働かれる神が受け入れられないで、受け止められにくいものとされてしまう。民が「私たちをさばく王を立ててください」(8:5)とサムエルに求めたのも、形骸化しつつあった宗教に対する民の反発心と、他の民族の表面的な繁栄への憧れがあったからである。

 しかしそうした不平と不満が、自分たちが立っていることの本質的な部分が見失わせ、気がつかさせないものとなってしまう。

 主はサムエルを通して、何度もこうしたことを民に語りかけているのだが、民の側には一向に耳を傾ける態度がみられない。この民の頑なさに対し、主なる神は、あらかじめ警告として語られた。主なる神こそがイスラエルの王であり、他に王を立てることは王なる神を退けることであると。

 その言葉の真実さは、それ以降のイスラエルが辿る歴史において明らかにされる。それでも主なる神は、そのように王を求めたイスラエルの声を聞き入れ、働き続けていかれる。誤った道を歩み始めたイスラエルを助けながら、罪が何であるかを示していかれる。

  不信仰者に対するこの神の取り  扱いこそ、全き愛の現れであり、それがいのちの証しとなっていく。

2024年10月20日

   サムエルがサウルを見るやいなや、主は彼に告げられた。「さあ、わたしがあなたに話した者だ。この者がわたしの民を支配するのだ」 サムエル記第一9:17

 

  衆議院議員の選挙が近くなって、連日のように宣教カーから笑顔を振りまく候補者の顔を目にするようになった。今回の選挙では、議員としての資質がより厳しく問われることになるのではなかろうか。

 紀元前1000年頃、イスラエルは12部族による信仰共同体から、一人の王による国家統治に変革しようとしていた。

 そのことは、主によって(イスラエルが)「わたしが王として彼らを治めることをんだ」(8:7)とその罪が指摘されている。民の心が頑なであったため、神はこの民の求めを受け入れられた。

 そこで最初に王として立てられたのはサウルである。ここで任職に至る経緯を見るときに、人間的に彼が王として納得できるような人物であったことが語られる。民の先頭に立つ王は、他の人に抜き出ていることが共観されなければならなかったためであろう。外見上、サウルは「イスラエルの中で彼より美しい者はなく…民のだれよりも、肩から上だけ高かった」(9:2) 

   失った雌ろば数頭を探す出来事は、サウルが性格においても優しく、問題に柔軟に対応できる人物であったことを明らかにしている。

 主はサムエルに「わたしがあなたに話した者だ」と言われた。神の選びにおいて、サウルが王とされることは最善であることに疑いがない。それは神の愛と憐みによる導きであった。けれども、サウルは主の恵みに留まり続けることができなかった。やがてそれが民の分裂を生み、民は互いに戦い、傷つける元凶となっていく。何が問題であったかを見失ってはならない

2024年10月13日

  主はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。 

                                                                                                                   第一サムエル8:7

 

  以前、金沢に住んでいた頃、ゴリという川魚が加賀料理の大切な食材とされていることを知った。漁をするときには、川底を浚うようにして網に追い込むことから、強引に物事を押し進めることをごり押しというようになったという。

 イスラエルの民がサムエルに「私たちをさばく王を私たちに与えてください」(8:6)と願ったことは、神から出たことではなく、民が周辺の国々から真似たことのごり押しであった。サムエルは祭司として、民の願い事を神に伝える役目があった。これまでは、そうした中で神からの答えを聞いてきたのである。けれども民の要求は、神への過程を省略して、民が直接意思を伝える王制を要求したのである。

 この民の要求の遠因として、サムエル自身が高齢になったことと、彼の息子たちが主の道に歩まなかったことがあげられる。けれども王を立てることは、信仰によって得られる神の直接介入に道を閉ざすことにになる。

 サムエルは、民の要求にはそうした危険があることを察知したので反対であった。神もまた民の中に不信仰が働いていることを承知している。その上で、神は「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ」と言われる。

 人間的な判断が優先されるとき、信仰によって神と培ってきたことが隠されてしまう。神が民の要求を許容されたのは、神のへりくだりによる。しかし民は、このごり押しの愚かさに気付くことが大切である。

2024年10月06日

   サムエルは一つの石を取り、ミッパとエシュンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。  サムエル第一7:12

 

  人生を振り返ってみるときに、いいことばかりではなく、悲しいこと、辛いこと、苦しかったこともあったりする。そうした上に立って、主への感謝をもって受け止めることができることは、その後の生き方に大きな指針となるのでなかろうか。感謝が深いものであればあるほど、主への信頼の道も強いものとなる。

 神の箱がペリシテ人の地から返され20年の歳月が過ぎたとき、イスラエルは霊的に瀕死の状態にあった。神の箱はキルヤテ・エアリムに留まったままで、人々は主への礼拝に代わって、「異国の神々やアシュタロテ」(3)それに「バアル」(4)の神を礼拝をするようになっていた。

 そこでイスラエルの民は、ペリシテ人の支配から解放されることはなかった。サムエルはそうした現実の中で、主に立ち返って「心を主に向け、主にのみ仕えるよう」民に命じた。(3) 民がこのサムエルの呼びかけに応じたのは、ペリシテによる支配の苦痛と共に、偶像礼拝が如何に虚しいものであるか痛感していたからであろう。

 ひとりひとりがサムエルの語る神の言葉に応答していくとき、ペリシテと戦う備えがされていく。

イスラエルは軍事的には劣勢に置かれたままであったが、その日、主はペリシテを打ち負かされた。(10) この戦いにおける勝利は、民の中に信仰の復興があったことが深く関係している。サムエルはそこでエベン・エゼルの石を置いて、主がここまで守ってくだたったことを記念した。

2024年9月29日

  イスラエルの神の箱を送り返すのなら、 何もつけないで送り返してはなりません。神に対して償いをしなければなりません。     サムエル第一6:3

 

   陽が低くなって、長くなった自分の影に驚かされることがある。影だけを見ていたら、何の影かさえ分からなくこともあるだろう。

 旧約聖書は「来るべき良きものの影」と語られれている。(ヘブル10:1) それは新約聖書に証しされる「実物」であるキリストを証しするけれど、完全にすることはできないからである。

   神の箱がペリシテ人に渡ってから7ケ月が経ったとき、ペリシテの民が腫物で打たれるということが起きた。異教社会の中に主なる神が持ち込まれたのであるが、それは信仰においても、神認識においても間違ったものであったことの結果である。ここでペリシテ人たちは、神の箱を奪ったことの反省が求められ、方向を転換し、回復に向かうために決意をしていく。

 彼らは占い師と祭司たちに伺った。そこで得られた助言は、神の箱に償いの品をつけて送り返すことであった。神の箱をイスラエルから持って来たことが罪として自覚され、その罪が赦されるためには償いがされなければならないとされる。

 償いの品は、腫物を媒介させたであろうネズミを金で作ったものであった。ネズミは忌むべきものであったが、それが腫物の原因となり一人一人が苦しめられている。占い師と祭司たちの提示をそのまま神の御心とすることはできないが、自らの罪に向き合い、回復の方向に向かうことは正しいことであった。

 ペリシテ人はこの「五つの金のねずみ」(4)を作り、「イスラエルの神に貢ぎとして献げた」(5)これが癒しにつながっていく。このペリシテ人の応答は、心の頑なであったイスラエルと対比される。

ひるがえって、私の主への態度はどうであろうかと心が探られる。

 

 2024年09月22日

   次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両手は切り離されて敷居のところにあり、胴体だけがそこに残っていた。                                                                                      サムエル第一5:4

 

    聖書の神が偶像化されてしまうことがある。それは人の愚かさに起因するものであり、根深く人の精神を支配する考えである。けれども歴史を振り返ってみれば明らかなように、神ご自身がその過リを正し、真理に導いてこられた。聖書もクリスチャンも、そうした戦いの中で滅亡の危機から逃れてきた

   ペリシテ人がユダ人との闘いで勝利したとき、彼らは奪い取った神の箱を、戦利品としてダゴンの神殿に供えた。ダゴンはカナンに昔からあった土着の神の最高神であった。それ故、契約の箱を神殿に供えることは、イスラエルの神がダゴンに屈服した証しのようにされたのである。

 前の時代には、ペリシテ人たちは勝利のあかしとして、サムソンをダゴンの神殿に連れて行ったことが語られている。最大の敵であったサムソンを生贄としてささげるためであった。(士師記16:23)

 このサムソンの場合、彼自身に問題の多い人物であったが、最後に神への信仰を取り戻し、ダゴンと共に滅ぶことによって、ペリシテとの闘いに勝利している。

  翻って、ダゴンの神殿に供えられた神の箱である。危機的状況の点では、サムソンの出来事よりも遥かに重大なことである。箱には担ぎ棒が通されていたが、ユダヤ人の担ぎ手を見出すことは不可能である。けれども、この状態のままで翌朝にはダゴンは倒れ、解体されていた。「ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両手は切り離されて敷居のところにあり、胴体だけがそこに残っていた」(5:4)

 最高神と崇められたダゴンは、神の契約の箱の前に無力とされ、神の真実さだけが証しされた。

2024年09月15日

 サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人に対する戦いのために出て行き、エべン・エゼルのあたりに陣を敷いた。  サムエル第一4:1

 

 サムエルは成長し、イスラエルの預言者として活躍するようになった。その影響力は「ダンからベエルシエバに至るまで」(3:12)とあるように、全イスラエルを覆うものであった。

   けれどもシロにおける幕屋礼拝は、形骸化の一途から抜け出すことはできず、人々の主への信仰は、実利的なものに陥ってしまった。それが顕在化したのは、「ペリシテ人に対する戦い」(4:1)においてである。

   エベン・エゼルというのは、「主がここまで私を助けてくださった」という意味で、後の日にサムエルがペリシテとの闘いで勝利することができたことを記念して石を置いたことによる。(7:12)

したがって「エベン・エゼル」は4章1節の時点においての地名ではない。ここで注意しなければならないのは、敗北の事実に対する分析の未熟さと、罪の意識を欠いた信仰の姿であった。

 「どうして主は、今日、ペリシテ人の前でわれわれを打たれたのだろう。」(3)

 ここには、出来事の深刻さに対して、主との関係を反省し、それを正そうという姿勢はみられない。ただ契約の箱を戦いの場に持ち出せば、主の臨在が得られ勝利するに違いないと考えた。

 問題は、イスラエルがこのような発想によって、ペリシテとの闘いに出かけて行ったことである。これがイスラエルの決定的な敗北を招くことになった。(16.17)

 

2024年09月08日

   主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話ください。しもべは聞いております」と言った。   サムエル記第一3:10

 

   人の感覚器官の中で、耳は意思と深く結びついている。馬の耳に念仏のように、耳から入ってくる言葉を聞き流すこともあれば、聞き耳を立てるの表現のように、注意して聞くということがある。前者は、聞くことに意思が働かないことであり、後者では意思をもって感覚を研ぎ澄ます。

 幼いサムエルが主の声を聞いたのは、後者の聴くであり、それは耳で聞くための心の備えができた中でのことであった。主は、そのために「サムエル、サムエル」呼びかけておられる。

 この主の呼びかけに対し、幼いサムエルは「お話ください。しもべは聞いております」と応答した。それは祭司エリが教えた通りのことであったが、サムエル自身の中に、主の言葉に対する従順が育っていたことによる。それは母ハンナの信仰を受け継いだものであり、「主がそのことばを実現してくださる」(1:23)ことによって自分の誕生があることを理解していたからである。

 主イエスは、神の国の福音においては聞き方に注意するよう弟子たちに言われた。(ルカ8:18) 聞いているようでありながら、全く心に届かないことがあったり、聞いたものが直ぐに取り去られてしまうからである。それは聞き方という、最初の時点においての心の持ちように強く影響される。

 サムエルは、幼いながらも主の声を真っ直ぐに聞くことができた。その後の働きは、この固い基礎の上に築かれた。

202年09月01日

  さて、サムエルは、亜麻布のエポテを身にまとった幼いしもべとして、主の前に仕えていた。

                                                                    サムエル第一2:18

 

    人は環境の影響を受けやすいものである。周りの人々が主を否定するものなら、いくら純粋な信仰であろうと、自然とそうした考えに慣らされ、純粋な信仰は育ちにくいと考えてしまうのではなかろうか。

 けれども、幼子サムエルの場合は、そうした悪い影響を受けずに母ハンナの信仰を受け継いでいる。模範であるべき祭司エリの家族は、主への信仰という点で最悪であった。

 「エリの息子たちはよこしまな者たちで、主を知らなかった」(12)

   祭司エリについても、主へのささげ物を侮っ息子たちに対し、厳然とした注意喚起をしていない姿で描かれている。それはエリの高齢という弱さからくることは否定できない。けれども、御言葉がここで示そうとしているのは、エリとその時代が抱えていた霊的退廃である。

 そうであればこそ、そのような中で「主の前に仕えていた」サムエルの姿勢が注目される。身につけていた「亜麻布とエポテ」は、神の義を象徴するための祭司の衣装である。これは、母であるハンナが「毎年、夫とともに年ごとのいけにえを献げに上って行くとき、それを持って行った」(19)

   サムエルは年に一回しか、この母に会うことができなかった。けれども、その母の自分への思いは、身につけている亜麻布とエポテによって十分に伝わってくる。主は、貧しい者、弱い者の祈りを聞いてくださり、その約束を守られる方であるということである。

 ハンナは心を注いで祈り、それが叶えられたとき、与えられる子を主にささげますと誓願して言った。その信仰が、幼子サムエルの中にしっかりと引き継がれていた。そしてサムエルを通してイスラエルの新しい業が始まる。

2024年08月25日

   ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に祈った。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ、もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子をくださるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。   サムエル第一1:10,11

 

  主への信仰による祈りは、主に用いられたときに大きな力となることがある。士師記に続くイスラエルの時代は、混乱と退廃の暗黒時代であった。シロにおける幕屋礼拝は形骸化し、国をまとめる力を失っていたのである。

 この暗黒時代から一機に王政の転換の橋渡しをしたのがサムエルであった。重要なことは、そこに神への信仰の力が働いた結果であったことである。

 サムエル記は、このサムエルの登場の背後に、ハンナという名のない女性の切なる祈りがあったことを記している。ハンナは個人的なことで、心に痛みを覚えていた。その解決のため、主の前に心を注ぎ出して祈ったのである。このことは、神が真実な方で、祈りを聞いてくださるという強い信仰から出たものであった。

 別の角度からみるなら、当時の幕屋礼拝に携わる祭司たちの中に、こうした純粋な信仰が失われていたことでもあった。

 ハンナの祈りは、熱心なものであるばかりではなく、それが献身に結びついていることに特色がある。それ故、自分の利得を求めるのではなく、祈りによって得られたものを、主にささげるものになっている。

 主はこのハンナの祈りを聞いてくださった。ハンナは約束によって男の子を生み、その子は契約の箱が置かれた幕屋において成長する。こうしてサムエルは、神に仕えるしもべとされたのであった。今日においても、神の業は身近な所においての祈りからはじまる。

2924年08月18日​

   あなたがたは行って、あらゆる国々の人々を弟子としなさい。マタイ28:19

 

   キリスト者にとって、福音宣教以上に価値あることはないであろう。マタイの福音書は、主イエスによる大宣教命令をもって終わっている。著者の思いが最大限に集約されている箇所と言ってよかろう。

  ここでは「出て行って」ということが強調されている。それは主イエスによって弟子が召されたときの様相と違っている。ガリラヤで弟子たちが主イエスに召されたのは、「私について来なさい」(4:19)であったからである。 

   出ていくことは、主イエスの約束の言葉を頼りに、宣教という霊的な戦いにおいて前線に立つことを意味する。恐れに包まれていたのでは、出ていくことはできない。また弟子でない者が人を弟子とすることもできない。それ故、主イエスが弟子たちに出ていくことを命じられたことは、主イエスによって弟子として正式に認められたことでもある。

  人間的に弟子の姿をみるなら、弱さと欠けだらけが目立ってしまう。ペテロにおいてはイエスを三度裏切り、他の弟子たちにおいても「イエスを見捨てて逃げてしまった」(26:56)

   けれども復活の主イエスの言葉では、そんな弟子たちを含めて「あなたがたは行って」と宣教に任命されている。このとき弟子たちが悟った自己の姿は、底知れぬほどに罪に支配され、貧しいものであった。そこではどんな価値も見いだせないと絶望しただろう。

けれども主イエスの恵みは、その一切を消し去り、神の恵みの中に新しく創造してくださる。この知らせは、神からのものである。そしてそれは「あらゆる国の人々」の必要を満たすものである。

そうであればこそ、私たちも福音宣教に全力を注がなければならない。「あらゆる国の人」は、日常での人との新しい出会いである。そこで福音を語ることができたら、何と幸いなことか。

2024年08月11日

イエスは死人の中からよみがえられました。  マタイ28:7

  現代社会の特色の一つとして、死の問題が大きく変容してきたことがあげられる。ポストモダン
といわれる現代の多様性の中では、個人主義的な傾向に引きずられるようにして、死が持つ深刻さ
は歪に薄められたり、意識的に避けられてきたということがある。
  そうした傾向は、たとえば医療とか介護の現場においても顕著である。そこには、日夜、人知れぬ弛みない努力が払われている。そうしたことへの敬意を払いながらも、一方では死に直 面した人の受け止め方とか希望の在り方が、あらぬ方向に導かれているのではないかという危惧を抱かざるを得ない。
  私の小さな経験では、高齢者の介護に携わる中で、度々、そのような場面に遭遇してきた。医療
であれ介護であれ、人が持つ技術によって死の問題を根本的に解決することはできない。人ができ
ることは限られている。それを自覚して取り組む必要があるだろう。そうしたことを無視して専門化されてしまうと、死に直面する当人から関係者が置き去りにされたり、問題そのものが矮小化されてしまうということが起こり得る。。
 聖書は、罪とその結果である死を人の根本問題としている。生まれながらの人は、罪の奴隷とし
てサタンの支配にあった。そのため死の恐れから逃れられないでいた。罪に対しては誰もが無力で
あり、罪の結果である死の力に抗うことはできない。このため、キリストは罪の贖いとして十字架
につけられた。神はこのキリストを死者の中から甦らされたのである。
 「主イエスは死人の中からよみがえられました」。ここに神の業が知らされる。人が為し得ないことを、神はしてくださった。そしてここに主イエスによる人生の転換がある。復活の事実が、信じる人々を罪と死の支配から解放させる。それは何と大きな希望であることか。


 

2024年08月04日

ヨセフはからだを受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って作った新しい墓に納めた。
                                                                     マタイ27:59.60


   お盆の時期になると、多くの日本人は先祖の墓参りをする。墓は亡くなった人を納めるだけでなく、死者と現世を分ける弔いの場所として慣習化している。
十字架刑での遺体は、そのまま放置されれば野獣の餌食になったり、風雨に晒されたりして、墓に葬られることはなかった。
   けれども主イエスのからだは、アリマタヤのヨセフという人が、総督ピラトのもとに行って下げ渡しを願い、墓に入れられた。(58)このヨセフについて、4つの福音書がそれぞれの視点から記している。
 「アリマタヤ出身で金持ち」(マタイ27:57)
   「有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた」(マルコ15:43)

   「議員の一人で、善良で正しい人であった、…議員たちの計画や行動には同意していなかった」                                                                                                                           (ルカ23:50.51)

 「イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していた」(ヨハネ19:38)
 サンヒドリンの議員であったヨセフは、既に主イエスの弟子となっていた。それ故、祭司長たちがイエスを議会で裁いたときも、他の議員たちの計画や行動には同意しないで、反対したのであった。そうした姿勢を徹底できなかった部分が「ユダヤ人を恐れてそれを隠していた」となったのかも知れない。
 そのヨセフがピラトのもとに行って、主イエスのからだの下げ渡しを願ったのであるから、心の中に大きな変化が生じたのであろう。「きれいな亜麻布に包んだのは、主イエスへの愛と尊敬によるものである。そして「岩を掘って作った自分の新しい墓に納めた」(27:60) 
 唯一主イエスを弔ったのがアリマタヤのヨセフであった。その勇気ある行動が後々までどんなに大きな慰めとなったことか測り知れない

 

2024年07年28日

 百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たちは、地震やいろいろな出来事をみて、非常に恐れ
て言った。「この方は本当に神の子であった」         マタイ27:54

 

    真っ暗に広がる夜空に、一筋の星の輝きを見出すことがある。罪の現実に心が塞がれるようなときでも、福音が証しする視点に立つときにはっきりとした希望が見えてくる。

    主イエスの十字架は、ある人たちからすれば神の子であることが否定された出来事であった。人々は神の子ではないという理由で、主イエスを徹底的に愚弄し、無実のまま極刑に処した。そのことに何の心の痛みを感じないでいた。キリストに対する人々の評価は、「他人は救ったが自分は救えない…イスラエルの王」(46)であった。

 今日においても、主イエスを理想主義者の敗北とみたり、改革者による社会的な試みの失敗とする人たちがいる。そこには愚かな歓声が繰り返されるだけで、彼ら自身の中に何の希望も見つけることはできない。

 けれども、主イエスの十字架のときに証しされた様々な出来事は、「百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たち」に「この方は本当に神の子であった」という思いを抱かせるに至った。このときに起こった地震は、通常のものではない。地震だけであったなら、それ程に恐れることでもなかったであろう。しかしここでは、「地が揺れ動き、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った」とある。

 主イエスの死が、死者を生かすものであることが証しされたのである。これを非科学的であるとか、神話的であると論証する人もいる。けれども十字架を最も近くにあって見た人たちの証言を、今日の私たちの観点で否定してはならない。むしろ、そこに置かれた人々の証言に心を向けるべきではなかろうか。

2024年07月21日

    三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリエリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。 マタイ27:46

 

  多くの人が神に求めるのは、自分が抱える困難から救い出す奇跡的な業とか、超常的な力の顕現である。けれども主イエスの十字架の場面において、福音書はそうしたものの一切がとり去られた状況を描いている。御子が極限の苦しみに置かれているときに、父なる神は沈黙し、救出のための業は何も起こらない。このことが、主イエスへが神でないことの根拠とされている。通りすがりの人たちがかける嘲りの声は、祭司長たちや律法学者たち、長老たちのものと変わりがなかった。

「おまえが神の子なら、自分を救ってみろ…他人は救ったが自分は救えない。」(27:40,41)

 もしキリストの救いが、人の要求を満たすことによって成立するなら、こうした人たちの言動も一概に批判できないかもしれない。しかし、罪のための贖いとして供えられた神の子羊は、神との関係を絶たれた人の罪のための贖いであった。主イエスは、そのために「十字架の死にまで従われた」(ピリピ2:8)のである。

 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」という主イエスの叫びは、主イエスが人の身代わりとして神の怒りを全身で受け止めたことから出ている。マタイがこの言葉をへブル語で書いたのは、そのとき発したキリストの声を、翻訳によって割り引くことなく、そのまま記録したかったからに他ならない。それは魂の奥底にまで貫き通す衝撃であった。

 「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」というイエスの言葉は、主イエスの敗北を意味するものではなく、詩22:1からの引用でもわかるように、そこに注がれている神の恵みを前提としている。御父の怒りを全身で受け止めながら、死によって魂を御父に委ねきっておられる。

 

2024年07月14日

    兵士たちが出て行くと、シモンというクレネ人に出会った。彼らはこの人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。    マタイ27:32

 

   信仰が頭だけのものになっていることがある。かつてペテロの誤まりを諫めた主イエスは、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」(16:24)と言われた。

 それ故、キリスト教信仰が真に生活の中で実質化するには、主イエスの十字架との一体性ということが不可欠である。

 ローマ総督ピラトによる判決を受けた後、「イエスは自分で十字架を負って、『どくろの場所』と呼ばれるところに出て行かれた』(ヨハネ19:17)

 それはとても重要なことであるけれども、他の共観福音書では、主イエスが十字架を負われたことの描写をしていない。

 それに代わって、たまたまエルサレムに来ていたクレネ人シモンが、ローマ兵によって十字架を負わされたことに焦点が向けられている。シモンに代わったことは、主イエスの肉体的な疲労が限界に達していたことを示している。おそらく主は、一歩も前に進めなくなったのである。

 けれども共観福音書の記者たちは、この出来事を通して私たちが負うべき十字架の意味を明らかにしようとしている。十字架は極度の苦痛と容赦のない辱めであった。シモンにとっては、理不尽に強要されてものでしかない。それに反発し恨みを抱いたりする余裕もない。シモンはその状況で十字架を負った。

 主イエスの十字架は、神の栄光への道を開いていく。この信仰によるへりくだりと従順に、生ける神の証しがある。

2024年07年07日

   しかし祭司長たちと長老たちは、バラバの釈放を要求してイエスを殺すよう、群衆を説得した。

                                                                                          マタイ27:11

 

 何が善であり何が悪であるか、日常生活でその区別がつかなくなったら、社会全体が歪むことになるだろう。逆に言えば、善が悪とされ、悪が善とされるなら、その社会は本当に病んでいることになる。

 主イエスがローマ総督ピラトの前で裁判を受けたとき、ピラト自身の中には主イエスには罪がないことがわかっていた。それでもユダヤ人の祭司長や長老たちが主イエスを死刑にすることを求め続けるので、祭りの慣例であった囚人の恩赦によって、主イエスの死刑を回避しよううとした。当時はローマによる政治犯が、この恩赦によって自由の身にされることがあった。

   バラバ・イエスは強盗で殺人者であったので、善悪の判断で主イエスと並べたら、対局に置かれるような人であった。ピラトは、民衆は当然にイエスの釈放を願うであろうと予想した。けれども実際には「祭司長たちと長老たちは、バラバの釈放を要求してイエスを殺すよう、群衆を説得した。」(11)

 このとき総督ピラトは、総督に置かれている権威と法に定めるローマの正義によって民衆の願いを退けていない。むしろピラトの心を占めていたのは、民衆の騒乱を治めることができない場合の恐れであった。そのときには、総督という自分の地位も危ないかも知れないと。

 民衆は主イエスを「十字架につけよ」と叫び続けている。十字架はローマの処刑方法で、ユダヤの伝統においてはそのような慣習はない。

 それでも、主イエスを十字架につけよと叫ぶ声の中に、民衆ひとりひとりが持つ罪の深さがある。それは、二千年前のユダヤに起こった特別な出来事ではなく、今に生きる私たちの心に住む罪の問題でもある。この罪が正しく処理されない限り、私たちの人生に希望はない

2024年06月30日

  「私は無実の人の血を売って罪を犯しました。」しかし、彼らは言った。「われわれの知

ったことか。自分で始末                   マタイ27:4

 

    罪の恐ろしさは、最初は不法を犯したことに無自覚であっても、罪がその人自身を蝕んでいくことにある。それはやがて耐えがたい痛みとなって跳ね返ってくる。

 主イエスを銀貨30枚で売り渡したユダは、最高法院で主イエスが死刑に定められて行く様子をみていた。そこで為された不正な裁判、暴力と侮蔑に満ちた人々の行為は、主イエスの無罪性を一層際立たせるものであった。

 ユダは、自分がそうした愚かさの中に組する者となり、主イエスに敵対していることの重大性に気がついた。その罪悪感に耐えることができず、祭司長たちのところに行って罪の告白をしている。

 「私は無実の人の血を売って罪を犯しました」(4)

 この時点においてみれば、罪意識と後悔の念はペテロよりも強いといえる。ペテロも自分の裏切りに心を痛めて激しく泣いてはいるが、そこから何かの行動を起こしていないからである。

 しかしユダの罪の告白は、ユダ自身の心の解決を目指しているのであって、福音が提示する罪の赦しとは根本的に違っている。それは表面的には真摯な態度のようであっても、真実をもって罪に向き合っているとは言えない。結果として祭司長たちに「われわれの知ったことか。自分で始末することだ」と拒絶されてしまう。

 裏切りの代価であった銀貨30枚は、ユダの魂を苦しめるだけのものとなり、遂には自分のいのちを奪うものとなった。「彼は…出て行って首をつった」(5) わたしたちに求められるのは、信仰に立った悔い改めだけである。

2024年06月23

   ペテロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われたイエスの

ことばを思い出した。そして外に出て行って激しく泣いた。 マタイ26:75

 

  朝、起きてから顔を洗う前に、鏡に映った自分の顔を見る。他人はどうあれ、自分の顔であれば常に気になってしまう。それは習慣化された自己確認ということでもあろう。

 顔が変わりないように、自分という存在はどんなことがあっても動かし難い。そうした思いは、しばしばああではないとか、こうではないと言う否定の領域に囲まれているのかもしれない。

 最後の晩餐のとき、主イエスはペテロに「あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います」(35)と言われた。ペテロにとって主イエスの言葉は心外であった。自分はそんな者ではないと思った。慌てて「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません」(35)と、自分の決意がどんなに強固であるかを公言した。

 そのペテロたちの確たる思いが崩れたのは、主イエスが祭司長たちが差し向けた群衆によって捕らえられたときであった。このとき弟子たちは主イエスを見捨てて逃げてしまう。(56)

 ペテロだけは残って大祭司の庭に潜り込み、様子を観察したのだけれど、そこでは主イエスの弟子としての誇りも自覚も失っていた。そして召使いの女が「この人はナザレ人イエスと共にいました」ということばに、冷静さを失って「そんな人は知らない」(72)と反応してしまう。そして遂には、呪いの誓いをもって主イエスを知らないと断言した。

   朝を告げる鶏の鳴き声は、ペテロが抱える内側の闇を絶望的に明らかにするものであった。あらかじめ語られた主イエス言葉は、そんな弱い者の中に働く主の恵みの業を預言している。マタイはこの福音書の中で、以後にペテロの名を登場させていない。それはペテロを糾弾するのでなく、御言葉の力を指し示している。

2023年06月16日

 祭司長たちと最高法院は、イエスを死刑にするためにイエスに不利な偽証を得ようとした。

                                    マタイ26:59

 

どんな国であれ、最高裁が不正な裁判を画策したとしたら、その国の司法制度を揺るがすだけでなく、国としてのあり方が根本的に問われるに違いない。祭司長たちや長老たちは、主イエスのうちに

律法に対する違反や何かの悪を見出していたのではなかった。主イエスを捕らえるのに、強い妬みだけが彼らの動機となっている。驚くことにそれが死刑に結びついていた。

 「祭司長と最高法院は、イエスを死刑にするためにイエスに不利な偽証を得ようとした」(59)

ここでは判決の合意が先にあって、それを支えるために証拠探しをしたというのである。律法によれば、裁判で証拠として採用されるのは、二人以上の証言が得られることであった。

  「二人の証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなければならない」(申命17:6)

言うまでもなく、法廷における証言にはより厳しい真実さが求められていた。それにも関わらず、主イエスに対しては、そうしたことが全く適用されないでしまう。祭司長は、証言者が偽りを語ることを承知の上で、主イエスを罪に定めるための証言を得ようとしたのであった。

 こうしたことが如何に真実を暗くし、不正な裁判を導くかは火を見るより明らかである。それが当時の最高の権威者の名において為されたことに、罪という病の深さが浮き彫りにされている。

 このことは、二千年前のユダヤ社会における特殊事情に起因するものではない。生まれながらの人が、その魂の深いところで、生ける神に敵対する性質を受け継いでいることを示している。その絶望的な状況の中に、神の愛が注がれていることを知らなければならない。

2024年06月09日

  そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに収めなさい。剣をとる者はみな剣によって滅び
ます。 マタイ26:52

 

  平和を望まない人はいない。問題はそれをどのようにして実現するかである。何かが原因して、互いに相手を力によって屈服させようとしたとき争いが起こる。個人同士の対決もあれば、分派による紛争、民族間の対立、あるいはそれが国家間の戦争に発展する場合もある。不幸なことに、しばしばそこでは剣が用いられてきた。言葉を変えて言えば武器または軍事力による相手への圧倒的な支配である。

 主イエスは、剣に剣で対抗しようとしたペテロに、「剣をもとに収めなさい。剣をとる者はみな剣によって滅びます」と言われた。主イエスを捕らえるため、ユダヤ人たちは祭司長を介してローマの軍隊と結託した。群衆は剣や棒で身構えている。けれども、AD70年、エルサレムはそのローマ軍によって侵略され、ユダヤ人の国家は完全に滅亡してしまう。

   近視眼的に見れば、剣は問題解決のための手っ取り早い手段に思われる。多くの指導者やリーダーたちは、死の匂いがするその魅力に誘惑されてきた。けれども実際には、それによって動き出したことが互いを傷つけ、多くの犠牲者を輩出し、平和の道を余計に遠除けてきたのでなかろうか。今現在においても、世界は平和を作り出したはずの剣によって、更なる戦争という恐怖に怯えている。

 「剣をもとに収めなさい」と言われるのは、平和が罪の赦しによる和解に基礎が置かれるためであった。そのため主イエスは、人の罪の代償としてご自身のいのちを神への供え物とされた。これにより神の前に罪の赦しが可能とされた。この平和は、剣に頼るものとは根本的に異なっている。

2024年06月02日

イエスは、彼らを残して再び離れて行き、もう一度同じことばで三度目の祈りをされた。

                                                                                                           マタイ26:44

 

   危機的な状況においては、思いもしない人間性の弱さが露呈する。信頼していた人との関係でさえ脆く崩れてしまうことが起きる。

  ペテロは主イエスに「鶏が鳴く前に三度わたしを知らないといいます」と言われたとき、「あなたを知らないなどとは決して申しません」と主のことばを強く否定していた。(35)

  しかしそうしたペテロの意識は、主が命じられた祈りにおいては従うことができず、睡魔に屈して無力になっていく。ペテロに限らず弟子たちのこうした態度は、主イエスが信仰によって父なる神と硬く結びついているのとは対称的である。「彼らを残して再び離れて行き」とあるのは、主イエスが不信仰な弟子たちを切り離して行動されたことの表現であろう。

  そこで主イエスは「もう一度同じことばで三度目の祈りをされた」。十字架という「飲まなければならない杯」は、肉体的に耐えがたい苦痛であるばかりか、そこには贖いの代価として神による神の裁きが伴っている。その恐れから繰り返し父なる神に「杯が過ぎ去る」(42)ことを祈られた。誰か他にこの務めを担う人がいるなら、そうしてほしいという願いである。

 父なる神は、これまで主イエスの祈りをすべて聞いておられる。しかしこのとき三度繰り返された祈りにおいて「杯が過ぎ去る」ことが父なる神のみこころとされることはなかった。祈りを結果だけ評価するなら、聞かれない祈りは意味はないものとされてしまうかも知れない。そこで祈ることをやめてしまうことも有りうる。

 けれども主イエスにおいては、願いを聞かれないことに父なる神のみこころを受け止めておられる。その信仰による従順が、罪の赦しを可能とし、救いの道を開くものとなった。

  2024年05月26日

   そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしといっしょに目を覚ましていなさい。」   マタイ26:38

 

    人は、愛する人との関係性が絶たれたり、失ったりすることで悲しみに満たされる。それを共感することで、一緒に涙を流すということもあるだろう。けれども悲しみの深さは、その人自身にしかわからないものであって、他人の憶測が及ばないことがしばしばである。

 主イエスは、十字架刑の執行が迫っていることを知りながら、弟子たちと共にゲッセイマネの園で祈りのときをもたれた。そのとき「イエスは悲しみもだえ始められた」(37)とある。

 十字架はローマの処刑方法であるが、父なる神は主イエスによりこれを用いて罪に対する神の裁きとされた。そこにおいて父なる神の御子への怒りによる交わりの断絶がある。それに加えてこれまで訓練してきた「羊の群れが散らされる」(31)ときであることも、主イエスは知っておられた。そうしたことを少しも割引きすることなく真正面に受け止めるとき、「死ぬほどの悲しみ」(38)となったのではあるまいか。そこに人となられた神の御子の姿がある。人に対する限りない愛が注がれてい

るからこそ恨みとか怒りではなく、悲しみになったと言えよう。

 このように御子の姿が圧倒する場面でありながら、弟子たちの反応は異常なまでに鈍く記されている。弟子たちはこれまで、主イエスの祈る姿を真直に見てきた。「ペテロとゼベダイの二人の子」にとっても、そうした主イエスの姿は異様であり、受け止め難いことに感じられたはずである。それなのに「私と一緒に目を覚ましていなさい」と言われながら、主イエスの悲しみを共にすることができずに眠ってしまった。

 そこに欠けていたのは自分の弱さへの自覚である。この弟子たちの弱さを責めることはできない。

なぜなら、それは私たちの弱さでもあるからである。主イエスの祈りは、そんな失敗をしてしまった弟子たちの行動を見越している。その上で、回復のためにわたしたちを祈りに招いておられる。

2024年05月19日

   神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子

や娘は預言し、青年は夢を見る。 使徒2:17

 

 復活の主イエスは、弟子たちに「父の約束」(使徒1:4)である聖霊を待ち望むよう命じられた。そこで弟子たちは主の言葉を信じて、心を一つにして熱心に祈っていた。するとペンテコステの日、突然、天から大音響を伴う風が吹いてきて、信者の上に火のようなものがとどまった。そこで人々は聖霊に満たされた。これが聖霊降臨の出来事であり、ここから教会時代の幕けとなっていく。

   ペテロは、これが預言者ヨエルによって予め語られたことの成就であると説教した。(17)「終わりの日」の神の裁きはキリストの十字架によって示された。同時にそこに神の憐みが注がれ、新しいイスラエルが備えられた。

 聖霊によっってキリスト者は心の中に律法が刻まれ、キリストの証人として宣教の働きに召し出される。すべてのキリスト者は、御霊の導きと助けによって積極的に主をあかしし、主の愛を実践する者とされた。

 旧約時代、五旬節(ペンテコステ)の祭は大麦の収穫の終わりであると共に、小麦の刈り入れの始まりを告げていた。新約的な意味では、新しい契約によって開かれた諸国の霊的な刈り入れということができる

 キリスト者は、御言葉を伝えることによって、主を深く知ることができるようになる。このようにして、恵みに恵みが加えられている。宣教のために祈ると共に、自分の身近なところで主をあかしする者でありたい。

2024年05月12日

   一同が食事をしているとき、イエスはパンをとり、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』 マタイ26:26

 

   気の合った仲間と夕食を共にするというのであれば、それは楽しい時間を過ごすことになる。緊張感が解放され、互いの会話が弾むということもあるだろう。けれども主イエスと弟子たちによる最

後の晩餐は、ユダヤの過ぎ越しの祭りの中でのものであった。それは通常、種無しパンに苦菜を添えた(出12:8)簡素なもので、祈りと聖書朗読の合間になされる。このときの主イエスの行動は、後々まで弟子たちの腹の底に深く響くものとなって記憶された。

   主イエスの御手によって咲かれたパンは、十字架において引き裂かれるご自身の肉体を意味していた。それは弟子たちに繰り返し予告されてきたことである。(26:2)  けれどもこのとき弟子たちは、主イエスの言葉を完全に見誤っていた。彼らは主イエスが圧倒的な力をもって神の国を実現するものと期待していた。

   その観点からすれば、人々の罪のため贖いの代価として十字架につけられるという発想は夢にも考えていないことであった。信仰においては重大な欠陥を抱えていたと言える。主イエスは、そんな弟子たちの姿を十分に察知されながら、「取って食べなさい。これは私のからだです。」と命じられた。この主イエスの招きに、信仰をもって応答するのが聖餐式である。裂かれたパンを食することにより、私たち自身がキリストの体を構成するものとされる。そこに神の家族の交わりが備えられている。

 

 

2024年05月05日

 皆が食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたの

うちの一人がわたしを裏切ります。   マタイ26:21

 

   以前、ある宣教師から異国での文化の違いを聞いたことがある。それは食事についての関心事についてであった。東南アジアに遣わされた宣教師は自分の経験をこうのように伝えた。

 「外食をするとき、日本人は真っ先に何を食べるかに関心を示すけれど、食べられるだけで幸せなのです。だから自分が行っている土地の人たちは、何を食べるかではなくて誰と食べるかが大切なこととされているんです。」

 福音書には食事の場面が多く記されているが、そこでは主イエスが単独で食事をしていることはない。主と共に食事をする弟子たちの姿が描かれている。共に食事をすることは、交わりにおいて深い意味が持たされているのである。

 主イエスが弟子たちと最後の晩餐をとったとき、その中にはイスカリオテのユダも含まれていた。このときユダは、主イエスを祭司長たちに引き渡すことの約束をし、その報酬として銀貨30枚を手にしていた。(15) 後戻りのできない裏切りで、後はその機会を窺うばかりであった。

 過ぎ越しの食事はそうした状況の中でされた。主イエスにはユダの隠れた行動も見透かされていた。人間的に考えるなら、自分を裏切る者が近づいたら激怒と共に断罪するのではなかろうか。「下がれサタン」(16:23)という言葉があっても不思議でない。

 けれどもこの場面における主の言葉は、弟子の裏切りという事実を伝えるだけであった。「まさか私ではないでしょう」(22)という弟子たちの言葉は、自分の内にある不安な気持ちのあらわれであった。12人の弟子が一人ひとり主イエスに問う間、ユダ自身は何とか主イエスによる責めから逃れようとしていたのだろう。けれどもそのときは、ユダが立ち直るため主イエスが備えられた最後の機会であった。

2024年04月28日

    世界中でどこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも、この人の記念として語られます。 マタイ26:13

 

 信仰をもってキリストのためにしたことが、想定していたことを遥かに超えて、主の栄光となって用いられることがある。過ぎ越しの祭りの二日前、ベタニアで主イエスの頭に香油を注いだ女の行為は、「福音が宣べ伝えられるところでは、この人の記念として語られるほどに広がりを持つものとされた。

 このとき家の外では、祭司長たちによって主イエスを捕らえるための計画が練られていた。そんな緊迫した状況の中で主イエスご自身は、ツァラアトに冒された人シモンの家で食事をしておられた。(7) 反対者たちからすれば、それは赦しがたい行為で自分たちの決定の正当性を裏付けるものであったろう。

 女が香油を注いだのは、その食卓についていた主イエスの頭の上にであった。旧約聖書においては、王と預言者と祭司に油を注ぐことに任職という特別な意味が込められている。

  この場面における主イエスへの油注ぎは、名前を伏せた女の行為であり、主イエスご自身が「わたしの埋葬の備えをしてくれた」(12)と言っておられる。そうした意味では油注ぎの意味を任職とは峻別しているのだが、その意味を遥かに凌駕しているとも言える。女は信仰によって、直前に迫った主イエスの死と埋葬を見つめていた。それに自分がどのように対応できるか迷った上での決断が、高価な香油を主イエスの頭に注ぐことであった。注がれた油は、顔から衣を伝い、床に垂れ落ちたであろう。「何のためにこんな無駄なことをするのか」(9)というユダの憤慨は、極めて常識的なことであるかのようである。

 けれどもここで問われるのは、主イエスの死を信仰によってどのように受け止めているかである。弟子たちの薄っぺらい倫理観に対し、女の行為には死を越えた世界の広がりがある。

2024年04月21日

   まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。  マタイ25:40

 

    今日、社会の各層に格差が拡大している。経済的なことを言えば、世界の1割である富裕層が所有する富は、全体の富の75パーセントにも及ぶという。反対に最底辺に置かれている人たちの50パーセントの富というのが、全体の2パーセントにしかならないのだそうだ。富む者が勝利者とされ、貧しい者は敗者として社会の隅に追いやられている。

 主イエスは「わたしの兄弟たち、それも最も小さい者たち」に親切を施すことが、「わたしにしたこと」と言われた。それが終末における羊と山羊を分ける判断とされた。

 ここに言われる「小さい者たち」は、「わたしの兄弟たち」であるから信仰者たちのことであり、社会の一番底辺にいる人たちを直接的に指しているわけではない。けれども、その兄弟たちは各地を旅し、飢え渇いている者、着る者をなくして裸同然となっている者たち、牢に入れられた者、あるいは病気をして弱っている者などである。あるい捨て置かれたようとしている人たちを、主イエスは「わたしの兄弟たち」と呼ばれている。

 そうした憐みと共感は、キリストの徹底的なへりくだりに伴うものである。「小さき者」のため何かをすることは自己犠牲を伴う。あるときには危険であり人々から非難されることもある。それを押してするのは、信仰によって生まれたキリストの愛が根底にあるからである。そうでなければ何もすることにならない。それ故、「これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」と言われる。

 主イエスは、貧しい小さな者を特別に扱って社会が変革されるような運動を命じているのではない。ひとりひとりが信仰によってキリストの愛に生かされ、置かれた所でその愛が実践されていくことこそが求められている。

2024年04月14日

    主人は言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くのものを任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。  マタイ25:21

 

     人生の意味とか価値を考えていくと、迷路に嵌って何も見えて来ないということがある。せっかく見出したものが、裏切られ輝きを失ってしまうことだってあるだろう。

 主イエスのタラントの譬えでは、「天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで財産を預けた人のよう」(25:14)となっている。ここでは人生そのものが、主人からタラントを託されたしもべに置き換えられている。

  1タラントというのは6千デナリに相当すると考えられる。1デナリは労働者1日分の賃金であるから、1タラントにしても大金である。

 しもべが主人からタラントを預かったのは、しもべに対する主人の信頼と期待による。その額は、しもべの能力によって5タラント、2タラント、1タラントと違いがある。主人から預かったタラントをどのように考えるかによって、その用い方が大きく違ってきた。

 「 5タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに5タラントもうけた。」(16) これは預かったタラントを、主人の思いを汲んで働いたことの結果である。そのことに対する主人の評価は、「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くのものを任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」である。

 主なる神は、私たちを天の御国での働きに召しておられる。その愛に応えるとき、更に祝福を加えられる。それは神との1対の関係であり、他の人との比較によって評価されるものではない。忠実さによって働きが実るとき、その成果は主なる神と共に喜ぶことになる。けれどもそこに不信仰が入り込むと状況は一変する。主への信仰により、人生の真の価値と意味を見失わない歩みが求められる。

20240年04月07日

 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油は持っていなかった。マタイ25:3 

   弁当を忘れても傘を忘れるなとは、変わり易い北陸地方の天候として、今も語り継がれている諺である。重要なものは何かを見間違うと大変なことになってしまうことは、私たちの日常の中にままあることと言えよう。

 主イエスが語られた天の御国のたとえでは、花婿を迎える10人の娘のことが語られている。ここで問題になっているのは「ともしびは持っていたが、油を持っていなかった娘たち」のことである。ユダヤの結婚においては、婚約は法的な意味で結婚である。けれどもその期間が過ぎて実際の結婚生活が始まる前に、花婿は宴の準備をしてから、花嫁の家に行って花嫁を招くという儀式があった。譬えで語られる10人の娘は花嫁の友人たちで花婿を迎える役割を担っていた。それは同時に、キリストと教会の関係をあらわしている。霊的な意味において、教会はキリストを花婿として迎えるからである。

 「油は持って来なかった」娘たちというのは、うっかり忘れてしまったということではない。そのことを「愚か」と断定されているのは、初めからそうした選択をしなかったことのためである。それは知識が十分でなかったということでもない。ランプに油が必要なことと、花婿がいつ来るか分からないことは知っていたのである。けれども、自分の内にそのための備えが必要であると考えなかった。

    ここで言われる油は、聖霊を意味することである。神はしばしば油注ぎをもって、聖霊による神の祝福をあかししてこられた。また主イエス自身がしばしば聖霊の助けについて語られた。

  油を用意していないというのは、聖霊を宿していないことを意味する。信仰が形骸的になってしまい、最も重要な聖霊の恵みを失っていることに気がつかない姿である。自分自身の中に、そうした愚かさがないか吟味する必要がある。

2024年03月31日

 イエスは死人の中からよみがえられました。  マタイ28:7

 

 暖かな陽気の中、モンシロチョウが飛ぶ姿を見ることができるようになった。昆虫の中でも、蝶はトンボなどと違って完全変態である。寒い冬の間は蛹(さなぎ)であったのが、脱皮したときには美しい蝶に変身している。その過程で幼虫であったときの古い体の各器官は造り変えられ、新しい器官に置き換えられている。

 イースターは罪とその結果である死に対する勝利を宣言する。キリストの内にある者は、罪の贖いによって復活のいのちを受けた。ここにキリストにある新しい人を着たのである。生まれながらの人は、罪の奴隷としてサタンの支配にあった。そのため死の恐から逃れられないでいた。罪に対しては誰もが無力であり、罪の結果である死の力に抗うことはできない。人が持つこの根本問題のため、キリストは罪の贖いとして十字架につけられた。

 神はこのキリストを死者の中から甦らされた。ガリラヤからエルサレムに登ってきた女たちは、主イエスが十字架につけられる様子を遠くから見ていた。(27:55) かつて主イエスは、社会の底辺に押し遣られていた女たちの弱さを理解し、慰め、生きる勇気を与えてくれた。この人たちにとって、主イエスは唯一の希望であり、そこに新しい明日がやってくることを夢見ていた。けれども、その主イエスが人々によって重罪人として十字架につけられてしまった。その汚名を晴らすにしても、彼女たちの置かれていた立場はあまりに弱い。

 そんな彼女たちに、御使いたちによって福音が届けられた。「主イエスは死人の中からよみがえられました」。ここに彼女たちが想像もしなかった神の業が知らされる。人が為し得ないことを、神はしてくださった。そしてここに主イエスによる人生の転換がある。復活の事実が、信じる人々を罪と死の支配から解放させる。

2024年03月24日

 ピラトは彼らに言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし彼らはますます激しく叫
び続けた。「十字架につけろ」   マタイ27:22

 

     罪が罪とされるとき、誰の責任であるかが問われる。罪の責任を負った者の罪が裁かれる。

 それでは主イエスの裁判において、罪の責任を負った者は誰であったろうか。福音書は主イエスに罪がないことを明示している。ユダヤ人たちは、主イエスを死刑にしようとしていたが、それは主イエスの側に何かの罪があったからではなく、罪に定めようとする者たちの画策であった。「祭司長たちと最高法院全体は、イエスを死刑にするためにイエスに不利な偽証を得ようとした。」(26:59)

  ローマ総督ピラトの裁判で、最も激しく主イエスを十字架につけるよう叫んでいるのは群衆である。ピラトは、「あの人がどんな悪いことをしたのか」(27:23)と言ったように、民衆の訴えに対して弁護しているかのようである。

 歴史として語られるピラトは、悪徳にまみれた行政官として名高いが、福音書においてそうした部分は伏せられている。主イエスへの尋問において、ピラトに正義を行う力がなかったことだけが書き留められた。

 それに反し、民衆の声が制御できない程に拡大していく。そのことは、民衆の側にある罪の責任が大きいことを明らかにしている。それはその時代に生きたユダヤ人に限ったことではなく、神を無視していきる私たち一人ひとりの問題である。

 主イエスは、その民衆の声の中で十字架につけられた。この時点で民衆の大悪が裁かれないのは、罪から立ち直るための神の憐みによる。

2024年03月17日

   ですから、主人によってその家のしもべたちの上に任命され、食事時に彼らに食事を与える、

 忠実で賢いしもべとはだれでしょう。   マタイ24:4。

 

   人の関心は時代の動きに左右される。多くの人は、今をそのときの思想とか流行に沿って考えているのでなかろうか。キリスト者においては、そこに信仰的な視点が見失われていないかを考えてみる必要がある。

 なぜなら、主イエスは、「目を覚ましていなさい。あなたの主人が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから」(42)と警告しているからである。

  災害などの大きな出来事が起きて人の心が不安定さを増し加えていくときに、終末のときのことが心を占めていくことがあるだろう。人は、それは「いつの日なのか」を知りたがる。けれども主イエスは「あなたがたは知らないのですから」と言われた。いつかは気になるかもしれないが、そうしたことで信仰者が神の言葉を聞く姿勢から離れてしまうことに注意すべきである。ここには神の言葉を聞き続けることによって、神との生ける関係を継続していくことの大切さがある。

 そのことが主イエスの譬えでは「しもべたちが、食事時に食事をする」こととして語られている。この譬えには、「主人によってその家のしもべたちの上に任命され」たしもべが、役割を果たしている。それを継続するためには、今日という日のために与えられた務めを果たす忠実さと思慮深さがなければならない。終わりのときの備えは今日の働きの中にある。今、求められているのは、このような自覚を持った主の働き人である。主はその働きを祝福される。

2024年03月10日

   天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。                                                                                                                                     マタイ24:35 

   梅の開花が見られるようになり、春が近づいていることを実感させられる。四季の移り変わりは、繰り返される自然の法則として誰の目にも定着している。

 「願わくば、花の下にて春死なん」(西行)

   この歌にあるように、日本人の感性として四季の変化はそのまま死生観を形成しているのではなかろうか。

それに対し聖書の神は自然と一体の神ではなく、自然を創造し無にすることができる方である。

 紀元前700年頃に活躍した預言者イザヤは、「草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40:8)と言ている。ここでの草と花は再生するもので

はなく、消え去っていくものとして覚えられている。

 イザヤは、そうした自然の営みに対立するものとして、「私たちの神のことばは永遠に立つ」

と預言した。

 主イエスは、このイザヤの預言を引用して「わたしのことばは決して消え去ることがありません」と言われた。イザヤが前段で語った草と花のことが「この天地」に置き換わっている。それは前節で「この時代が過ぎ去ること」(34)とした内容と重なっている。

 ここに示される神の国は、創造の業に遡ると同時に宇宙論的に拡大される世界である。その過程として、自然を含めたこの時代は消え去っていくのだということである。そこには自然の循環を根拠にした死生観も、自然をモデルにした自然神学も入り込む余地はない。

 むしろそれとは違う「わたしのことば」にに対する信仰が求められている。主イエスは、ことばによって語りかける神の御子である。ことばの内にすべての権能を譲り受けている。私たちは、御子の御子の言葉を信じることによって、神の言葉が実現することを証しする者とされている。

2024年03月03日

   あなたが逃げるのが冬や安息日にならないように祈りなさい。 マタイ24:20

 

   東日本大震災から13年になろうとしている。あのとき津波の被害を受けた地方では、昔からの

言い伝えが再評価された。「津波てんでんこ」というもので、津波が来るときには各自の判断で一

刻も早く逃げよという意味であった。

 主イエスは終末のときの艱難として、「荒らす忌まわしい者」が聖なるところに立つ(15)ことを預言された。決定的ともいえる邪悪な者による、聖なるものの略奪と支配であり、誰も経験したことがないような苦難があるという。

 「そのときには、世のはじまりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。」(21)

   このときの対応として第一に命じられたのが、一刻も早く逃げることである。

 「ユダヤにいる人たちは山に逃げなさい。屋上にいる人は、家にある物を取り出そうとして、下に降りてはいけません。畑にいる人は上着を取りに戻ってはいけません。」(16,17,18)

   何を差し置いても、直ちに逃げることが優先される。その行動を躊躇させるのは、逃げることで失うことへの戸惑いと未練である。そのことは、主が罪悪に満ちたソドムとゴモラの町をさばかれたときの出来事を想起させる。ロトとその妻は「山に逃げよ」 という主の言葉を聞きながら、それに従い通すことができなかったからである。(創19:26)

    逃げるのが安息日にならないよう祈るのは、そうした事態になっても、慌てずに主の憐みの御手に委ねることができるためである。予期しないことが起こったとき、「そんなことは有り得ない」という先入観や偏見が働いて、正しい判断ができないでしまうことがある。終わりのときのために祈ることは、そうした事態でも神の言葉に信頼する行動につながる。それは失うことの未練を断ち切り、主の憐みを求める歩みとなる。

2024年02月25日

   御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。                                                                                                            マタイ24:14

 

    自然災害や戦争が続くと、人類の滅亡を視野にした終末論が語られる。現代にはびこる異端の宗教の中には、そうした時期に発生しているものがある。

 主イエスの弟子たちは、世の終わりの兆しにどんなことがあるかを主に問いかけた。

「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか」(3) そこで主イエスが言われたのは、「人に惑わされないよう気をつけなさい」(4)ということであった。主イエスがこのように言われるのは、そのとき人々が主が語られたことよりも、惑わす者の声を聞いてしまうからである。それはかつてイスラエルの民が、バビロンへの捕囚を前にして、エレミヤが語るエルサレム滅亡の警告ではなく、偽預言者たちが語る勝利の言葉を聞いたことに似通っている。

 それ故、終末を前に備えなければならないことは、語られる主の言葉が本物であるか、偽物であるかを見分ける感覚であると言えよう。このことは、日常の信仰生活によって培われるものであって、終末を前に付け焼刃的に備ええられるものではない。本物を見失うのは、主主の言葉への信頼が育っていないからである。

   主イエスの弟子たちが、終末の兆しに関心を寄せたのも、根本的には主の言葉に対する信頼が十分でなかったからではあるまいか。それに対し主イエスは、既に語られた御国の福音を宣教することが優先されることを言われた。弟子たちが終末のことで浮足だってしまうのではなく、福音宣教に励むためにである。

 終末では自己保身の道を探るのではなく、失われている羊を見出すことにこそ心を砕く。その羊とは「全世界のすべての民族」である。私たちは、この働きを継続しているときに、終末を迎えるのである。

2024年02月18日

いつも喜んでいなさい     第一テサロケ5:16

 

    渡り鳥が北に移動する季節である。もし白鳥や鴨たちが渡ることを止めてしまったら、どんなに餌があったとしても、生き残っていくのは難しいであろう。

   キリスト者の生き方を特徴づけるのは、いつも喜んでいるということである。キリスト者でありながらそこに生きることを見失ったなら、生きた信仰を貫くことはできない。

 この場合、いつも喜ぶというのは、福音によって既に与えられている恵みを信仰によって受けとめていくことである。悲しみや怒りのような感情を、無理になくしたり否定してしまうようなことではない。

 むしろ正面からそれを受け止める。ただし湧き出る感情に流されてしまうのではなく、信仰によって、自分の立つべきところを定めるのである。それは御言葉を手がかりににして、共におられ主の御心を探ることでもある。そのとき自分を見失わないで、天からの慰めと励ましを受けることができる。これがいつも喜ぶことの秘訣となる。

   テサロニケ教会の信徒たちの中には、福音による喜びが消えかかっていた人たちがいた。パウロが教会を離れていた期間に、人々をおそった苦難(2:3)とか、信仰を揺るがす誘惑(3:5)に晒されたからである。

 私たちにおいても、目の前の課題だけを見つめていたら、どこからも喜びは湧いてこないということがあるだろう。そこでは「喜びなさい」という言葉は、虚しい響きにしか聞こえないかもしれない。けれども、そうしたときこそ、十字架を通して勝利者となられた主の姿を仰ぎみる者でありたい。主は御心を示されるに違いない。それは喜びを見出すことになる。地中にある芽が土を押しのけて生え出るように、主のいのちが喜びとしてわき上がってくる。

2024年02月11日

  だから、見よ。わたしは預言者、知者、律法学者を遣わすが、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して回る。

                マタイ23:34

 

   金メッキが剥がれて偽物であることがわかった途端、その価値が一気に失われるということがある。映画や演劇で人気であった役者が、私生活やスキャンダルが暴かれたことで、それまでのイメージや幻想が打ち砕かれてしまうということも同じであろう。

 偽善という仮面を被った律法学者やパリサイ人たちは、人々の前では神への忠実な信仰者であるかのようにふるまっていた。彼らは律法を守ることにおいては人々の模範であり、何一つ人々に指摘されることがない完璧な者とされてきた。

 しかし主イエスは、その仮面をはぎ取られ、彼らの抱える邪悪性を明らかにされた。それは彼らが自らの罪を自覚し、そこから立ち返るためである。ここにおける裁きは、彼らが自己義認しているようなものではなく、神に敵対し拒絶していることを知るためである。

 「それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くだろう。」

 この場合、主からつかわされた「預言者、知者、律法学者」とは、偽善者と言われた人々のことではない。福音を信じて主イエスの証人となった人々のことを指している。だから、この人々に対する迫害は、イスラエルの歴史の中で、預言者の血を流した人々の罪と変わるところがないということを浮き彫りにしている。

 主イエスがこの預言された時点で、エルサレムには神殿が残っていた。けれども主イエスの十字架と復活の後、起源70年にエルサレムはローマ軍によって占領され、神殿は崩壊してしまう。そのときから神殿は「捨てられた家」となって今日に至っている。こうして主イエスの言葉の真実さが明らかにされていく。

 神の大いなる愛と招きを拒絶した人の結末は悲惨で痛ましい。けれども、その人々の不信仰で頑なな心のありようが、別の面で主イエスの言葉の確かさを証ししている。

2024年02月04日

   わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちはミント、イノンド、クミンの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実をおろそかにしている。

                              マタイ23:23

 

    聖書に出てくる植物名は、その時代によって翻訳が違っていることがある。マタイ23:23で「はっか」と訳されていたものが、2017年版の新改訳聖書では「ミント」となっている。「いのんど」が「イノンド」。片仮名になったのは、外来語から転化したものであることを示している。新共同訳では「ディル」と訳された。これは、今日、香味料としてこの名称が一般化したことによる。

 これらの植物の葉とか種子は、古くから薬や香味料として広く用いられた。特にイスラエルの神殿礼拝においては、捧げ物として欠くことができないものに数えられていた。祭壇に動物が捧げられるとき、血の匂いはすさまじかったので、このような香料はそれを消し去るものとしても珍重されたのである

 律法学者やパリサイ人は、これらの十分の一を納めていると主イエスは言われた。それは、日常生活においてもこれらが用いられていたということであろう。その十分の一を納めるのが悪いということではない。問題なのは、10分の1を正確に測ることに心を砕いているが、「律法の中ではるかに重要なもの」をおろそかにしていることである。

 自分たちのささげ物が、偽善的な生活の隠れ蓑になっていたのである。確かに香料は、人々の中に一瞬の爽やかさを与えることができる。けれども、その内面が腐敗していたなら、それは偽りでしかない。律法が本来求めるのは、「正義とあわれみと誠実」である。それは、人々の前でパフォーマンスをして身を飾るようなことではない。主イエスの中に生かさることによってこそ得られるのである。

2024年01月28日

   わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは一人の改宗者を得るのに海と陸をを巡り歩く。そして改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのだ。

                                                                                          マタイ23:15

   偽善者という言葉は、偽信者のことであるが、演劇においての俳優という意味をもっている。当時、上演された演劇では俳優は仮面をかぶって演じたので、人々が見る表とは違う裏の顔があったことの意味が加わる。

  律法学者やパリサイ人に対する主イエスの批判が厳しいのは、彼らが律法を語りながら、人々を律法が目指すところとは真逆な方向に追い遣っていたからである。もし、彼らの語ることが明らかに律法から離れたものであったなら、民衆はその誤りに気がつき、律法学者やパリサイ人を批判したであろう。

 ところが彼らの冠った仮面では、律法や律法から派生した伝承を含めてそれを完全に守っているかのようにみせかけていた。本心のところでは、律法違反のことを平気で破っていてもである。それを責められた場合に備えて、律法から言い繕う言い訳を考え出していた。こうした教えのため、民衆は本当の意味での罪の自覚がされないでいた。そのため、罪からの回心も、悔い改めも起こらない。そこには罪の赦しがないので、改宗した人であっても、「彼らより倍も悪くしてしまった」のである。

  問題は罪をどう自覚するかである。人間的に考えれば非人道的なこととか戒めへの違反が罪ということになる。それに対し聖書は、神の前での罪を信仰によって自覚するよう導いている。それを混同したり、その違いを見失ったりすると神の救済の意味が歪められる。結果として改宗者を「ゲヘナの子にしてしまう」

  この時代に求められるのは、偽りのない真実な神への信仰である。仮面によって自分の本心を秘匿するのではなく、へりくだりをもって主に向き合う信仰者でなければならない。

2024年01月21日
 だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。マタイ23:12

 
 

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