
仙台のぞみ教会
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中ですぐれているのは愛です。
2025年04月06日
ダビデは心の中で言った。「私はいつか、今にサウの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地に逃れるよりほかに道はない。 サムエル第一27:1
常に堅実な判断していた人が、何かの理由で怖れに満たされ、愚かとしか言いようがない行動をとったりする。けれどもそこで良しとされたことが、最悪であると気付かされたりるするのである。
ダビデがペリシテ人の地に逃げたのは、二度目のことであった。最初のときと違うのは、600名もの人がダビデについていたことである。その家族の安全を考えたら、ユダヤに留まってサウルの手から逃れることは不可能に思えたのであろう。
この箇所で、著者が「ダビデは心の中で言った」という書き方をしているのは、この判断がダビデの信仰から出た判断ではなく、恐れが優先してのものであったことを暗示しているのでなかろうか。
これまでダビデは、ペリシテ人を神に敵対する勢力と見なしてきた。ゴリアテと戦い勝利したのも、ペリシテ人がイスラエルの神を愚弄したからであった。それ故、万軍の主を信じる立場からすれば、ペリシテ人の地に逃げることは矛盾とも信仰的な後退ともみなされる。
ペリシテ人の地での1年4ケ月(7)、ダビデは、そこにおいてアキシュを欺きながら、主の民と
しての信仰を守ろうとした。それは、サウルとの直接対決を避け、イスラエルの敵とだけ戦ったことからもわかる。現実主義のようでありながら、信仰に立った行動であったと言える。
けれども、それは本当に信仰者としてあるべきことであったのか。このことは、30章でアマレク人によるツイクラグの襲撃というかたちで問題が顕在化する。そこでダビデは、もう一度、主の御心を問い直すように導かれた。信仰に立ったその決断が民を救うことになる。
2025年03年30日
ダビデは言った。『主は生きておられる。主は必ず、彼を打たれる。時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるかだ。 サムエル記第一26:10
団地のロータリーにある桜の蕾が、だいぶ膨らんできて開花が近いことをしらせている。どんなに遅い年であれ、春は確実にやって来る。それと同じように、聖書は、主のさばきの日が確実にあることを告げている。
問題は、そこに焦点を当てた生き方ができるかということである。信仰者といえども、さまざま
な出来事の中に人間的な判断が優先してしまったり、神の前に備えるべきことが抜け落ちてしま
うことがある。
サウルの追跡を受けていたダビデは、片時も気が休まる時間はなかったであろう。ダビデにつく
者は600人。サウロの精鋭の軍隊は5倍の3000人である。そのサウル軍が、ダビデに襲いかかろうとしていたとき、サウロの側決定的な隙が生じた。
ダビデを前に、サウロの軍隊が深い眠りに陥ってしまったのである。ダビデとその部下は敵に気付かれないよう陣営に入り、寝ているサウロの傍に立った。サウロを槍で突こうとするなら、これ以上のチャンスはない。けれどもダビデは、そうしたことを許さなかった。理由は、サウロが主に油注がれた方であるからである。
主が立てられた人は、道を外れたとしても主ご自身が最後まで導きを備えられるので、人がそこに重大な介入してはならないという信仰である。部下から見れば、ダビデは現実を無視しているように思えたであろう。けれども、結果からみれば、このことでサウルとの直接対決を避けることができた。また、ダビデがサウルの地位を奪ったという非難も受けることはなかった。
人からの評価は最悪なものであったとしても、主の御心を求める者でありたい。その正しさは、ふさわしいときに、主ご自身が明らかにされる。
2025年03月23日
主は、あなたが血を流しに行かれるのを止め、ご自分の手で復讐なさることを止められました。
サムエル第一25:26
一般的な力の論理では、力ある者を制するのは、より強い力であると考えられている。復讐というのも、そういうところから出てくる思考ではなかろうか。すなわち赦すことができない相手を力をもって屈服させ、鬱積した感情の解放を得ようとするのである。
しかし、復讐はしばしば人の真実な姿を誤らせてしまう。自分の義が、相手のほんとうの姿を見えなくしてしまうからである。
聖書の主は、復讐の神(ナホム1:2)である。この意味は、神の深い愛が方向性を間違えると、そのまま神に敵対する者への扱いになることを意味する。
問題は、人は自分の義を立てて、ある人に対する復讐を実現してしまうことである。そうしたときには、復讐の裏にある愛など、思いもよらないことになってしまう。そのため、復讐心が満足するまで、徹底的に責め込んでしまう。
主なる神は、そうした私たちの現実の中に介入してこられることがある。それはしばしば、人との出会いによって為される。
ダビデにとってアビガイルは、全く考えてもいない出会いとなった。戦術からみれば、アビガイルは間違いなく敵方である。けれども、ここでは、ダビデを主に目を向けさせる役割を果たしている。
ダビデはこのアビガイルを通して、「理由もなく血を流したり、…自身で復讐したりするつまづき」(21)から守られた。
そうしたことがことができたのは、背後に主の導きがあったからと言える。節理の中に、主が働いていた結果である。自分の思いが通らないようなことがあったとしても、そこに主の何かの御計画があるのかもしれない。そのような心の余裕をもって主の導きを待ちたい。
2025年03月16日
どうか主が、さばき人となって私とあなたの間をさばき、私の訴えをとり上げて擁護し、正しいさばきであなたの手から私を救ってくださいますように。 サムエル第一24:15
神への信仰は、折々の生活の中に点描の絵のように描かれる。小さな点は見過ごしにされやすい。けれどもそれは、筆者の手の中に、全体を構成する重要な位置を占めている。信仰がなりゆきにまかせの御都合主義ではなく、神との生きた関係という強い繋がりを持つ所以である。
ダビデは、サウルの罪を自分の判断でさばかないで、「主が…私の訴えをとり上げて擁護し、正しいさばきで私を救ってくださいますように」といっている。サウルを「主に油注がれた方」として、敬意を持ち続けたからである。
サウルは、確かにサムエルによって油注がれている。(10:1)けれども、そのサウルがダビデの命をねらうのは明らかに不当である。それが何かの誤解というのであれば正しようがあったが、これまでダビデ側と結んだ約束は、全てサウルによってくつがえされてきた。
そうした中で、ダビデがサウルから逃れて洞窟の中に隠れていたとき、サウルは小用をたすために一人洞窟の中に入ってきた。もし、ダビデがサウルを討ち取ろうとするなら、この機会を逃して他にないという状況であった。家来たちも「今が主がサウロを渡されたときだ」という。
そのような中でダビデは、サウロのいのちを討ち取ることを拒否した。それは主がサウロに油注がれたことと対立する行為と考えたからである。
私たちは、神への信仰を口にしながら、結局は自分の義を先行させてしまっていないだろうか。主のさばきを待てないで、神の御心という装いで、自分のしたいことをしてしまう。もしそうであるなら、猛省と共に、御心に留まるも決意をしたい。そこにこそ、正しい主の裁きが示されるからである。
2025年03月09日
しかし私は、誠実に歩みます。私を贖い出してください。あわれんでください。 詩26:11
信仰生活をする中で、人間関係で傷ついたり悩んだりすることがある。不当なことで責められたり、故もなく悪口を言われたりするのである。そうしたとき、かばってくれる人がいればまだしも、そうでないなら孤独の闇の中に落ち込んでしまうことだってあるだろう。
ダビデが「私を弁護してください」(1)と訴えるのは、反面では誰も自分のことを理解してくれないという絶望を抱えていたことによる。責め立てる者は、内面の奥深い所にまで土足で入り込み、侮りと力をもってねじ伏せようとしている。このような状況では、怒りのような感情を爆発させても不思議ではない。
けれども作者であるダビデは、そうしたことをせずに真実な契約をもって導かれる主に目を向けている。
「主よ。私を調べ、試みてください。私の心の深みまで精錬してください。」(2)
ダビデはここで自己肯定をしているのではない。かえって自分の内にある悪が、主の精錬によって取り除かれることを求めている。そこに誠実に歩む道が備えられると信じている。
この信仰が与えられたのは、ダビデ自身がこれまでの生涯を通じて、主の恵みが如何に真実なものであったかを経験してきたからである。
これまでダビデは「不誠実な人」に悩まされ続けてきた。その不誠実が自分の内にもあるので、その罪が主によって取り除けられ、癒され、贖われるようにと祈る。それこそが主の前に誠実に歩むことだという確信がある。
そのため「私は、誠実に歩みます」(11)と主の前に誓う。問題が全て解決したのではない。どうしようもないものがまとわりついている。それでも主が救ってくださることは何と幸いなことか。
この希望と愛と喜びが、「私を贖い出してください」という叫びになっている。
2025年03月03日
ダビデは言った。「ケイラの者たちは、私と私の部下をサウルの手に引き渡すでしょうか。」 サムエル第一23:12
人の心は読みにくい。相手に期待していたことが、気がついたときには全く別のものになっていたり、善意を尽くしたことでさえ裏切りとして返ってくることがある。
ダビデにとって、ケイラの人々の心変りは理解し難いものであっただろう。ペリシテ人による略奪の知らせを受けたとき、ダビデは助けに行くべきかどうかを主に祈った。同族を助けたい気持ちがあるけれども、兵力が不足していた。その上、そこに向かえば、追手であるサウロに自らの居場所を教えることになるからである。
祈りによる主からの答えは、「ペリシテ人を討ちケイラを救え」(2)であった。ダビデが再度祈ったのは、自分の思いとは異なるものだったからである。けれども主への祈りの答えは「わたしがペリシテ人をあなたの手に渡す」であった。こうしてダビデは、ペリシテ人を追い払ってケイラの人々に平安を与えた。
ところが、サウロの軍隊がダビデたちがいたケイラを取り囲む。問題はケイラの人たちが、いのちの恩人であるダビデたちをサウロに引き渡すかどうかであった。ダビデはケイラの人たちがそんなことをすると思いたくなかったろう。ダビデたちは、いのちがけでケイラを救ったのである。だからサウロに引き渡すことは、ダビデの恩に対する裏切りになる。そこでダビデはケイラの人たちがダビデをサウロに引き渡すかどうかを主に問うた。
これに対する主の答えは「彼らは引き渡す」であった。ダビデは、この主のことばによって、ケイラから脱出した。心情的には受け入れ難く、悔しさもあったろう。けれども主に真剣に向き合う中で示された道である。ダビデが主の言葉を受け入れ、ケイラから脱出した。結果としてダビデたちは、休み場を求めて彷徨うことになったが、主はこのダビデと共におられ、道を切り開かれた。
2025年02月23日
アヒメレクは王に答えて言った。「あなたの家来の中に、ダビデほど忠実な者が、だれかい
るでしょうか。 サムエル第一22:14
日没と同時に出現する一番星は、闇が深まるにつれて輝きを増していく。星は夜に向かう時を止めることはできないけれど、決して闇の力に支配れているのではない。あたかも自らの立ち位置を指し示しているかのようである。
ダビデの殺害に燃えるサウル王の心の闇は深い。サウルは、祭司アヒメレクとその家族と祭司たちを自分の所に召し出した。エドム人ドエグによって、アヒメレクが逃走中のダビデに聖別のパンと剣を与えたことを知ったからである。サウルからすれば、アヒメレクがしたことは、自分に対する裏切りであり、主君に対する謀反であった。
「おまえとエッサイの子(ダビデ)は、なぜ私に謀反を企てるのか。おまえは彼にパンと剣を与え、彼のために神に伺い、そうして彼は今日のように私に逆らって待ち伏せしている。」(13)
アヒメレクがダビデに聖別のパンと剣を与えたことは事実である。けれどもそれは、祭司としてダビデの様子を吟味し、与えることが赦されることであると判断したからであった。サウルに対する敵意はなかったので、謀反と言われるのはサウルの全くの誤解である。
そこでアヒメレクはサウル王の前で弁明した。その内容は自らの命乞いではなく、ダビデが如何にサウルに忠実な部下であるかであった。しかし、アヒメレクの訴えはサウルには、自分に対する非難に受け取られてしまう。その結果、サウルは怒りに任せてアヒメレクの家族と祭司たちを虐殺してしまう。
祭司に対するこの扱いは、人の罪を象徴するような出来事であった。サウル王が下した処罰は理不尽さに満ちていて、底しれぬほどに深い闇が漂っている。けれども、このとき祭司アヒメレクが言ったことばは、サウルの言葉に屈して潰えているのではない。それはやがて、まことの祭司である主イエスを指し示す型となっていく。
2025年02月16日
あなたがたは行って、あらゆる国々の人々を弟子としなさい。マタイ28:19
キリスト者にとって、福音宣教以上に価値あることはないであろう。マタイの福音書は、主イエスによるこの大宣教命令をもって終わっている。著者の思いが最大限に集約されている箇所と言ってよかろう。
ここでは「出て行って」ということが強調されている。それは主イエスによって弟子が召されたときの様相と違っている。ガリラヤで弟子たちが主イエスに召されたのは、「私について来なさい」(4:19)であったからである。
出ていくことは、主イエスの約束の言葉を頼りに、宣教という霊的な戦いにおいて前線に立つことを意味する。恐れに包まれていたのでは、出ていくことはできない。また弟子でない者が人を弟子とすることもできない。それ故、主イエスが弟子たちに出ていくことを命じられたことは、主イエスによって弟子として正式に認められたことでもある。
主イエスの弟子たちを人間的にみるなら、弱さと欠けだらけが目立ってしまう。ペテロはイエスを三度裏切り、他の弟子たちにおいても「イエスを見捨てて逃げてしまった」(26:56)
けれども復活の主イエスの言葉では、そんな弟子たちを含めて「あなたがたは行って」と宣教に任命されている。弟子たちが悟った自己の姿は、底知れぬほどに罪に支配され、貧しいものであった。そこではどんな価値も見いだせないと絶望しただろう。
けれども主イエスの恵みは、その一切を消し去り、神の恵みの中に新しく創造してくださる。この知らせは、神からのものである。そしてそれは「あらゆる国の人々」の必要を満たすものである。そうであればこそ、私たちも福音宣教に全力を注がなければならない。「あらゆる国の人」は、人との新しい出会いである。そこで福音を語ることができたら、何と幸いなことか。
2025年02月09日
祭司は彼に、聖別されたパンを与えた。そこには、温かいパンと置き換えるために、その日主の前から取り下げられた、臨在のパンしかなかったからである。 サムエル記21:6
信仰による一つの行為が、人間的な評価とは異なって、後に特別な意味をもってくることがある。祭司アヒメレクがダビデに聖別されたパンを与えたことは、積極的な意味においてそうした行為であったことを物語っている。
空腹であったダビデが祭司アヒメレクのもとにきたとき、食べ物は「その日主の前から取り下げられた、臨在のパンしかなかった」 律法によれば、それは祭司しか食べてはならないものである。
アヒメレクは、ダビデが軍の実力者であるのに単独に近い状態で移動していることに不審を抱く。そこでダビデに事情を聞いたところ、サウル王の命令を遂行するため道を急いでいるためだという答えが返ってきた。これはダビデが自らの保身のため、咄嗟に思いついた嘘である。アヒメレクは、ダビデの偽証を信じたかどうかはわからない。ただ祭司として、ダビデが聖別されたパンを食べるよう準備された者であるかどうかだけを問う。聖別とは、神のために俗なるものの影響を受けないよう取り分けることである。
ダビデは、自分たちは旅程にあって家を離れているから聖さを保っていると証言した。このダビデの証言においても偽りが混じっている。けれども、自分たちが聖別されているという主張は誇張ではなく、これまでの信仰から生じた偽りのない実感であったろう。そしてアヒメレクはそのダビデの判断を受け入れ、聖別のパンを与える決断をした。
主イエスはこのときのダビデを、神の家での信仰の行為として擁護しておられる。それは、空腹に耐えかねた弟子たちが、道端の麦の穂をを手でつまんで食べたことを、パリサイ人に律法違反として糾弾されたときのことである。「ダビデと共の者たちが…どのようにして神の家に入り、祭司以外は自分も共の者たちも食べてはならないパンを食べたか読んだことがないのですか」(マタイ12:3,4)聖別は神の側の働きである。それに与るのは信仰によるのであるから、人間的な判断だけでそれをより分けることはできない。むしろ、その聖さに招かれていることを、信仰をもって受け止めるべきではなかろうか。
2025年02月02日
どうか、このしもべに真実を尽くしてください。主に誓って、しもべと契約を結んでください。
サムエル第一20:8
キリスト者は、お祈りの最後にアーメンと祈る。この言葉は真実であることを意味するヘブル語で、「確固とした」「信頼できる」の意味のヘブル語「アーマン」と同じ語根をもつ。
ダビデがラマのナヨテから逃げてヨナタンに会ったとき、両者の間にあった約束には真実性が問われていた。親友であるヨナタンは、以前から父サウルがダビデを憎み殺そうとしていることを知っていた。(19:1)そこでダビデを弁護するため、叱られることを覚悟で父の前に出て、父がダビデを憎む理由が全くの誤解によるものであることを説明したのである。
このとき父サウルは、このヨナタンの言葉を聞いて、自らの誤りを認め「あれは殺されることはない」と誓ったのであった。(19:6)そこでヨナタンは安心し、ダビデをサウルのもとで働くよう呼び戻したのだった。
ところが、ペリシテとの戦闘でダビデが活躍すると、サウルの中に再び悪い霊が入り、サウルは精神的な混乱の中で、ダビデに槍を投げつけた。幸い、ダビデは身を避けていのち拾いをしたのであったが、サウルについてのヨナタンの言葉をそのまま信じることができない状態になっていたのである。
このときの契約は、以前に結んだ契約(18:3)よりも具体的になっている。またサウロが破った誓い(18:6)とは違い、主の前での真実性が深く問われている。ヨナタンは、ダビデの思いを汲んで、サウルがダビデに対して寛大であるかどうかを探ってみた。その結果、サウルのダビデに対する憎しみが癒しがたいものであることが明らかになる。
それを受けダビデとヨナタンの契約が更新されていく。(20:42)それは主が「永遠の証人」であり、主の御名によって誓われたものであった。
2025年01月26日
ヨナタンはダビデに告げた。「父サウルは、あなたを殺そうとしています。明日の朝は注意してください。隠れ場にとどまり、身を隠していてください。」 サムエル第一19:2
度重なる自然災害により、民間での危機意識が高まりつつある。いざというときに、どこに逃げたら安全でいられるのか、そのとき何を持っていなければならないのか、平時において考えていなければならないことととされる。
危機というのは、他に戦争のような人災もあれば、人間関係の破綻から生じるもの、あるいは経済的なこととか、健康に関することなど様々である。そうしたときに、どこに身を避けたらいいのだろうか。また、たましいのために身近で安全な隠れ家はあるのだろうか。
ダビデは、親友であるヨナタンの言葉に従がって自ら隠れ場に身を隠す。ここでは、巨人ゴリアテに対峙したときのように、大胆にサウルの前に出ていくようなことはしていない。話し合いということも、この状況においては全く成り立たないことは明らかである。
そうであればこそ、ダビデが隠れたことは、卑怯なことでも、誠実さを欠くことでもなかった。これ以後ダビデは隠れ家を渡り歩くような生活をする。けれども、それはただ時が過ぎるのを待つということではなかった。身を隠しながら、問題の解決を主に委ねていったのである。
「主は闇を隠れ家とし、水の暗闇、濃い雲をご自分の周りで仮庵とされた」詩18:11
詩8は、ダビデがサウルの手を逃れたときの作とされる。11節では、暗黒の中、仮庵に身をおいて守られたとある。人は皆、たましいの隠れ家を必要としている。隠れなければならないのは、敵の力が圧倒し、自分の弱さが露呈してそれが痛むからである。その暗黒の深さを、人はどれだけ理解しているだろうか。けれども主なる神は、その弱さの中に働き癒される方である。主が備えられる隠れ場の中には、創造者の力が働いている。
2025年01月19日
ダビデはいつものように竪琴を手にして弾いたが、サウルの手には槍があった。
サムエル第一18:10
サウルとダビデは、共にサムエルによって油注がれてイスラエルの王となった者である。他にも共通することはあるけれど、信仰においても働きにおいても両者の違いは大きく異なっている。
ダビデがゴリアテを倒した時点で、サウルはダビデを部下として召し抱えた。強い者が好きなサウルにとって、ダビデはお気に入りであった。やがて小隊を任されたダビデは、行くところどこでも勝利を治めるようになった。サウルにとっても喜ばしいことであったのだが、民がサウルよりダビデを褒め称えていることに感情を害してしまう。
「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」(7)
ダビデがこのように活躍できたのは、主がダビデと共におられたからである。けれどもサウルは自尊心が大きく、民のことばが自分を卑しめるものに思えたのだろう。ダビデに敵意をもって目をつけるようになった。そしてサウルの手には、いつも槍が握られるようになった。
こうしたサウロの態度の変化にダビデの側も気がつく。サウロが手にする槍が自分に向けられていることも知っていただろう。それでもダビデの手にはいつも竪琴があった。それはサウルに請われて演奏するためであったが、ダビデの側には敵意が全くないことを語っている。それ以上に、ダビデ自身が信仰の人で、心の内側から湧き出る主への賛美を、竪琴の演奏に託していたからであろう。
サウルとダビデはタイプが違った王として片づけてはならないだろう。そうでなく、わたしたち自身が、主とどのように結びついているかが、重要なのである。
2025年01月12日
主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。詩23:1
人と羊の関わりは、歴史の始まりのときまでさかのぼる。イスラエルにおいては、アブラハム、イサク、ヤコブが飼っていた家畜で、最も多かったのは羊であった。そこから得られる羊毛や毛皮は衣類に加工され、羊乳と羊肉は貴重な食料に用いられた。
聖書が羊飼いについて語るとき、それは羊の保護者、あるいは養育者としての側面を強調してのことである。実際、羊飼いのいない羊は、たちまちにして野獣の餌食にされるし、食べられる草の所在さえも見失ってしまうからである。
王になる前のダビデは羊飼いであった。そこからサムエルによって油注がれ、イスラエルの王とされた。(サムエル第一16:13)主なる神はダビデと共にあり、やがてイスラエルはサウル王に替わってダビデの王権が確立していく。
けれどもダビデは自分を誇るのではなく、一匹の羊に過ぎない自分を語っている。単体で「私」は弱く、迷い易く、恐れに満ちている。その自己評価は高くなく、自己嫌悪に陥って不思議でない。
そんな「私」であっても、主が「羊飼い」であるときに、全く違った世界が開かれてくる。主が「私」に知恵を与えられ、導きを備えてくださり、必要を満たしてくださるからである。
誤解してならないのは、そこにあるのは安易に神を利用とする御都合主義ではないことである。羊飼いと羊の関係には、互いに深く結びついた信頼関係が証しされている。そのことは絶えず主なる神の声を聞き分け、それに従がう従順な態度にあらわれている。
新しい年のスタートにあって、私達も、これに習う歩みでありたい。
2025年01月05日
ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの先陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。
サムエル第一17:45
人の物を力ずくで奪う者には、より強い力で押し返すしかないのだろうか。法が支配する現代であっても、力による結果だけが問題解決の切り口とされているところがある。
けれども、主を見上げるとき、それとは全く別な角度から考え直すことができるであろう。ペリシテ人とイスラエルの戦いにおいては、両者の間に圧倒的とも言える兵力の差があった。
サウル王も彼に従がっている民衆も、このままでは負け戦になることを恐れていた。それを象徴するのがゴリヤテとダビデの戦いであった。二人を比べてみるとき、圧倒的にゴリヤテが優勢であることが明らかである。この場面では、誰一人ダビデの勝利を予測する者はいなかった。
そんな中でダビデがゴリヤテとの一騎打ちに挑んだのは、ゴリヤテがイスラエルの神をそしっていたからに他ならない。ダビデにとって、それは耐えがたい屈辱であるばかりでなく、全能の神に対する不信と侮辱に映ったのである。
それ故に、このときダビデが手にしたのは、ゴリヤテよりも強固な武器ではなく、羊飼いのときに使っていた杖と石ころであった。それは、ダビデが日常的な生活において、体得した危険からの救出と勝利の経験による。
人間的な力だけを信奉していたら、ゴリヤテという存在は絶対的な壁として立ちはだかったままであったろう。けれども万軍の主の前に、それが何になろうと考えた。ダビデは、この主の愛と守りの中に導かれてきたのである。そうした日常の信仰の延長が、この戦いにおける勝利をもたらした。
2024年12月29日
人はうわべを見るが、主は心を見る。 サムエル第一16:7
うわべだけの人と言ったら、ことばや態度が表面的なものだけで、見えないところでの行動や考え方が別になっている人のことをいうであろう。そうしたことで生じる誤解とか痛みから、相手を突き放すような思いが込められている。
「あの人は言うことは立派だけれど、心が汚いからねえ」
こんな話は、特別に珍しいことではなく、どこにもありそうなことである。この場合、語り手は、情報として知られる人の部分と、それを支配している心が違っていることを認めている。場合によっては、その矛盾を糾弾したり、問題としたり、あるいは諦めてしまうという方向に向かう。
デカルトは、心と体は全く別物であるとする二元論を説いた。心は数値化できず、内観の方法をもってのみ知ることができる世界であると。人の心を見極めることは難しい。知っていると思ったことが、大きな誤解だったりする。
サムエルは、ベツレヘムにいるエッサイの息子たちの中から、サウルに替わる王を選ぼうとした。このとき、サムエルの目の前に立つエッサイの子たちの様子から、王としての資質を慎重に見極めようとした。けれども、そうしたサムエルの判断は主によってことごとく退けられる。
「人はうわべを見るが、主は心を見る」と主は言われた。ここでの「心」は人には見えない領域とされている。サウルは主が「ご自分の民に目をとめられた」(11:16)人である。そのサウルが主に反逆したのは、そうした部分が見えていなかったからだろうか。人間的にはそのような論理も成り立つだろう。確かにサムエルの側にはそうした面があったであろうが、主の側においてはそう考えるべきではない。
人はどんなに知恵を用いても、「心を見られる主」の領域に至ることはできない。心がどこに結びついているか人は知らない。けれども主はその深淵な人の心を見られる方である。この信頼により、私と主との関係が成り立っている。そこで求められるのは心を照らす光である。
2024年12月22日
今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそキリスト
です。 ルカ2:11
暗い空に星が煌めくように、クリスマスのメッセージは、罪に満ちた世界に向けて明確に発
せられている。
「野宿をしながら羊の夜番をしていた羊飼たち」(8)は、人々に追い遣られた人たちであり、人のエゴによる非人間性を象徴する存在でもあった。彼らは生活そのものが悲惨であり、将来において何の希望も見い出せないでいた。そうであればこそ、この人たちに、御使いによって天からのメッセージが語られたことの意味は大きい。
「あなたがたのために救い主がお生まれになりました」(11)
羊飼いたちは御使いたちの輝きに圧倒されながら、語られた言葉の意味と重さを直ちに理解した。
けれども、その幼子が生まれたのはベツレヘムの町であり、羊飼いたちがいる所からは相当の距離があった。それため御使いの言葉によって幼子を見に行くには決断を要した。「あなたがたのため」とあっても、自分に関係がないと考えれば、そこに行動を起こすことはない。もし、彼らが自分の内側だけに留まったら、出て行くことをしなかったであろう。
羊飼いたちが「見に行った」のは、「あなたがたのために」と言われた御使いたちの言葉を信じて従がったことによる。それが神の言葉に約束されたキリストの姿を見ることに繋がっていく。
今日、聖書が語るクリスマスの出来事を、後世の人たちの産物だとする人たちがいる。その人たちは人間の理性で受け入れられるものしか信じようとしない。そこに「あなたがたのために」と言われたメッセージが見落とされていないだろうか。クリスマスのメッセージは闇の中に語られた神からのメッセージである。それを真摯な態度で応答する信仰が求められている。
2024年12月15日
マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどうりこの身になりますように。」 ルカ1:38
主イエスの誕生を人の側で支えるのは、信仰者としてのマリヤの存在である。神の前に正しく歩むという点においては、前の記事にあるバプテスマのヨハネの両親ザカリヤやエリサベツと変わりがない。むしろ、人生経験ということからすれば、エリザベツの方が優れていると言える。
しかし神が救い主を宿すための母として選ばれたのはマリヤであった。信仰においてマリヤの果たした役割は大きい。
キリスト者と告白しながら、この聖書の記事を信じられないという人もいる。そこでは、議論が処女懐妊に集中してしまい、マリヤの言葉を通して発せられているメッセージが見失われている。
マリアの懐妊には注目すべきことが2点ある。一つは、マリヤの中にみられる謙遜である。それは神への信仰が育んだものであるが、日常の中では光るものではない。しかし誰も気にとめることもないが、大きな輝きの中で真実な輝きとなる。「ほんとうに、私は主のはしためです。」というマリヤの言葉は、神の前での真実なへりくだりという信仰をあらわしている。
もう一つは、神の言葉への従順という信仰である。人は現実に固執して神の言葉を考え易い。その発想からは神の言葉が現実を超えるものとはしない。けれども マリヤは、神の言葉であるが故に「あなたのおことばどうりこの身になりますように」と受け入れた。ここでは主の言葉を信じることから現実を超えている。そこに確かな希望がある。
2024年12月08日
見よ。聞き従がうことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
第一サムエル15:22
日常生活で何を第一に据えるかは、生き方そのものを示すだけでなく、人生全体の意味と質を決めていくものである。ここで信仰者が警戒しなければならないのは、主なる神との関係が、他のさまざまなことと並列的に考えられてしまうことである。そうしたときには、絶対的に主から注がれる恵みでさえも、人間的なものに変質し、その価値が見失われてしまう。
ペリシテとの戦いで勝利を治めた後、サウロが主から受けた使命はアマレクの「聖絶」であった。「今、行ってアマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶しなさい」(3)
「聖絶」というのは、全てを神へのものとして献げることで、その物を一般的なものとして用いることが禁じられていた。それ故、サウロの側から見た価値観よりも、裁き主として為される神の業が優先されなければならなかった。そこで求められたのは、御言葉に対する従順である。
ところがサウロは、自分の好むことによって聖絶すべきものを選別してしまう。結果として、「ただ、つまらない値打ちのないものだけを聖絶した」(9)
サウロにしてみれば、肥えた羊や牛を神へのささげ物として聖絶することは、もったいないことのように思えたのであろう。どうせなくなってしまうなら、聖絶するにしても、どうでもいいものにして置いた方がいいという考えである。
問題は、神との関係を自分への利得の計算で決め、御言葉への信仰の意味も実質も見失っていることである。神はご自身の業を信仰を通してお与えになる。それは自分が神に先んじて価値判断するようではない。へりくだって神を待ち望む歩みをしたい。
2024年12月01日
主は生きておられます。あの方の髪の毛一 本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです。 サムエル第一14:35
今日の社会では、ひと昔前のイデオロギー的な考えはすっかり色褪せてしまい、実際的な価値が大きな影響力をもっている。
イスラエルの王サウロという人は、神への信仰よりも実際的なことに関心を寄せた人であった。サムエルとの約束を破って自分でささげ物を献げたのも、「兵たちはサウルから離れて行こうとした」(13:8)ことによる。
こうしてかろうじて兵をつなぎ止めたものの、敵対しているペリシテ人の攻撃の前には圧倒的に軍事力が足りていないことを恐れていた。対するペリシテの側では、戦車3万、騎兵6千、それに数多くの兵が陣備えをしている。
迎え打つイスラエルの兵は、圧倒的な軍事力の差に怯え「岩間、地下室、水溜の中に隠れた」(13:6)
そうした中で、息子のヨナタンがペリシテ人と戦い、極地戦で勝利を治める。イスラエルにおいては喜ばしいことであったが、サウルは自分が発した命令をヨナタンが破ったことを問題にし、ヨナタンは死刑にあたるとした。けれども、民は「今日、あの方(ヨナタン)は神とともにこれをなさったのです」と主張し、ヨナタンをサウルの手から救う。
サウロは、王としての権威を示すことに腐心し、その儀が自らを滅ぼす罪であることを、思い知らされた。自分では神との関係が維持されていることを示したかったのだろう。それが祭壇を築くことや、神の名による裁きのの断行となっている。けれども、その信仰は主との関係において既に破綻していた。
サウロに真に求められていたのは、主の前に一対一で向き合うことではなかったろうか。
2024年11月24日
主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。
サムエル第一13:14
主への信仰が本物であるかどうか、根底からその信仰が揺さぶられることがある。いくら信仰を口にしていても、頭の中では実態のないものとしていたのでは、現実の問題に信仰をもって対応することができないでしまう。
サウロが王に任職されたとき、最初に求められたのは主の導きに対する従順であった。このことは、サムエルの司式において、ギルガルでささげられる全焼のいけにえの場で実践されるはずであった。
「私があなたのところに着くまで、そこで7日間待たなければなりません。」(10:8)
王となったサウル王は、ペリシテ人と本格的な戦闘を交えることになったが、兵力の差は歴然としていた。サウルの側の兵士は合計3千人(13:2)であり、これに迎え打つペリシテでは「戦車3万、騎兵6千、それに海辺の砂のように数多くの兵(13:5)である。
こうした状況において、サムエルが命じた約束を待つことは、それを主の戦いとして受け止めていくことに意味があった。軍事的にはどんなに劣勢であっても、主が共にあって戦うとき、必ず勝利が与えられるからである。
ところがサウルは、サムエルの約束を待ち続けることができなくなり、部下に「全焼のささげ物と交わりのいけにえを私の所に持って来なさい」(13:9)と命じてしまう。
サムエルが、7日を過ぎても来なかったのが大きな理由であった。その上、兵士たちがサウルから離れていったので、兵力の減少に焦りを感じてしまったのである。
けれども、このことがサウルの主への不信仰として言われている。信仰というのは、主との確かな結びつきである。それは、人間的な状況判断とは決定的に違っている。
2024年11月17日
主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない。主は、あなたがたを御自分の民とすることを良しとされたからだ。 サムエル記第一12:22
人は誕生のときを出発点として、その人生を振り返ることがある。人間関係で傷ついたときとか、歩むべき道に迷いが生じたとき、自分が何者であるかを知ることは次に進むために助けになる。
イスラエルにとって、主の民とされたことは民族的な出発点である。民が如何に主に愛されているかは、「宝の民」という表現にもなる。これは、イスラエルが他の民族と比べて優れているとか、神に対して従順であるというようなことではなかった。(参照 申命記7:1~8)
サムエルが年老いたとき、イスラエルと主なる神との関係は、実際的な統治のかたちの点で大きな変化を生んだ。民は「ほかのすべての民のように、私たちをさばく王を立ててください」(1サ8:5)と願ったことによる。このことは主によって「わたしが王として彼らを治めることを拒んだ」(8:7)こととされる。
それでも民は、「いや、どうしても、私たちの上には王が必要です」(8:19)とサムエルに求めた。主なる神は、その民の求めの背後に偶像礼拝による不信仰がはびこっているのを知りながら、その民の罪を直ちに裁くことをしない。そして民が辿る歴史の中で自ら気がつくようにされた。このことが「主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない」(12:22)と言われている。
その過程で、イスラエルが約束されたいた祝福から大きく道を外すことも起きる。悲惨な結果を招き、周辺の国々から著しく侮られることもある。それでも「主は、あなたがたを御自分の民とすることを良しとされた」
ここに捨てられる民を徹底的に愛される主のへりくだりと、私たちが帰るべき原点がどこかが示されている。
2024年11月10日
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。 コロサイ3:15
平和が脅かされている時代である。平和のための国家間の理念が覆えされ、平和のための組織が機能していないことが懸念される。
戦争に明け暮れた時代と比較するなら、起源1世紀のローマ社会は、表向きには平和が保たれているかのようである。「パックスロマーナ」と人々が誇ったことは、決して大げさな表現ではなかった。けれども、個人のレベルに掘り下げてみるとき、そこに争いが絶えることはなく、社会的な混乱に発展する要素はいくらでもあった。
パウロがキリストの平和を語る背景には、福音には一般的な概念として語られる平和と似て非なるものであったからである。ローマの平和は、武力による圧制により達成し保たれているのであるが、
キリストの平和はキリストの死と復活によて神から与えられたものである。
それを信仰をもって受けとめるのでなければ、その人の中に神の平和が訪れることはない。コロサイ教会の中には、そのような欠けを、宗教的な儀式や異なった教えによって補おうとする人たちがい
て、混乱の要因になっていた。
この解決としてパウロが提示したのは、私と神という個人的関係においての平和の構築である。それは主イエスへの信仰によって既に与えられたものではあるが、そこに硬く立ち続けているかという点になると、コロサイ教会の中には揺らいでしまうものがあった。
誘惑者は、私たちの最も弱い部分から切り崩す。御言葉から、立ち直るべき視点を見誤らないようにしたい。
2024年11月03日
あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。 コロサイ3:3
最近、終活という言葉が語られているのをよく耳にする。平均寿命が延びたとは言え、人はいつまでも生きれるわけはないのだから、いつか訪れる「その日」に備えることは、賢い生き方であるに違いない。
ただしそこで語られる人の死は、息が止まる瞬間までに限られ、それにまつわる葬儀の費用や遺産整理に関するとこなどである。それでは、死について最も重要な部分が除外されているのではあるまいか。
パウロはコロサイの教会の信徒に「あなたがたはすでに死んでいて」と手紙で書き送った。これはキリスト者はみな、信仰によってキリストの死の中に置かれていることを意味する。この場合の死は、ひとりひとりが神の前において、罪の結果として神の裁きを受けていることを意味する。
多くの人は、死を体という器官の停止と理解している。生物的な変化の不可逆性とも定義される。けれども聖書の見方では、それは死が抱える現象の一部に過ぎない。
「罪の報酬は死です」(ローマ6:23)とあるように、聖書は罪の結果としての死を語っている。信仰者は、キリストの十字架の死の中にとり入れられた。そして父なる神は、このキリストを死者の中からよみがえらせてくださった。
「あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです」
終活ということを考えるのであれば、復活のキリストと共に隠されているいのちにこそ焦点を当てるべきではなかろうか。それは死に向かう私たちを虚無という暗黒から解放し、神の愛に生かされる希望に至る道であるからである。
2024年10月27日
イスラエルの神、主はこう言われる。「イスラエルをエジプトから連れ上り、あなたがたを、エジプトの手と、あなたがたを圧迫していたすべての王国の手から救い出したのは、このわたしだ。」
サムエル第一10:18
良いと思って選択したことが幻想であり、捨て去ったものの中に本当に必要なものがあった。イスラエルが、祭司を中心とした信仰共同体から王政に転換したのは、そのような結末を迎えることになってしまう。
けれども現実の生活の中では、そこに働かれる神が受け入れられないで、受け止められにくいものとされてしまう。民が「私たちをさばく王を立ててください」(8:5)とサムエルに求めたのも、形骸化しつつあった宗教に対する民の反発心と、他の民族の表面的な繁栄への憧れがあったからである。
しかしそうした不平と不満が、自分たちが立っていることの本質的な部分が見失わせ、気がつかさせないものとなってしまう。
主はサムエルを通して、何度もこうしたことを民に語りかけているのだが、民の側には一向に耳を傾ける態度がみられない。この民の頑なさに対し、主なる神は、あらかじめ警告として語られた。主なる神こそがイスラエルの王であり、他に王を立てることは王なる神を退けることであると。
その言葉の真実さは、それ以降のイスラエルが辿る歴史において明らかにされる。それでも主なる神は、そのように王を求めたイスラエルの声を聞き入れ、働き続けていかれる。誤った道を歩み始めたイスラエルを助けながら、罪が何であるかを示していかれる。
不信仰者に対するこの神の取り 扱いこそ、全き愛の現れであり、それがいのちの証しとなっていく。
2024年10月20日
サムエルがサウルを見るやいなや、主は彼に告げられた。「さあ、わたしがあなたに話した者だ。この者がわたしの民を支配するのだ」 サムエル記第一9:17
衆議院議員の選挙が近くなって、連日のように宣教カーから笑顔を振りまく候補者の顔を目にするようになった。今回の選挙では、議員としての資質がより厳しく問われることになるのではなかろうか。
紀元前1000年頃、イスラエルは12部族による信仰共同体から、一人の王による国家統治に変革しようとしていた。
そのことは、主によって(イスラエルが)「わたしが王として彼らを治めることをんだ」(8:7)とその罪が指摘されている。民の心が頑なであったため、神はこの民の求めを受け入れられた。
そこで最初に王として立てられたのはサウルである。ここで任職に至る経緯を見るときに、人間的に彼が王として納得できるような人物であったことが語られる。民の先頭に立つ王は、他の人に抜き出ていることが共観されなければならなかったためであろう。外見上、サウルは「イスラエルの中で彼より美しい者はなく…民のだれよりも、肩から上だけ高かった」(9:2)
失った雌ろば数頭を探す出来事は、サウルが性格においても優しく、問題に柔軟に対応できる人物であったことを明らかにしている。
主はサムエルに「わたしがあなたに話した者だ」と言われた。神の選びにおいて、サウルが王とされることは最善であることに疑いがない。それは神の愛と憐みによる導きであった。けれども、サウルは主の恵みに留まり続けることができなかった。やがてそれが民の分裂を生み、民は互いに戦い、傷つける元凶となっていく。何が問題であったかを見失ってはならない
2024年10月13日
主はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。
第一サムエル8:7
以前、金沢に住んでいた頃、ゴリという川魚が加賀料理の大切な食材とされていることを知った。漁をするときには、川底を浚うようにして網に追い込むことから、強引に物事を押し進めることをごり押しというようになったという。
イスラエルの民がサムエルに「私たちをさばく王を私たちに与えてください」(8:6)と願ったことは、神から出たことではなく、民が周辺の国々から真似たことのごり押しであった。サムエルは祭司として、民の願い事を神に伝える役目があった。これまでは、そうした中で神からの答えを聞いてきたのである。けれども民の要求は、神への過程を省略して、民が直接意思を伝える王制を要求したのである。
この民の要求の遠因として、サムエル自身が高齢になったことと、彼の息子たちが主の道に歩まなかったことがあげられる。けれども王を立てることは、信仰によって得られる神の直接介入に道を閉ざすことにになる。
サムエルは、民の要求にはそうした危険があることを察知したので反対であった。神もまた民の中に不信仰が働いていることを承知している。その上で、神は「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ」と言われる。
人間的な判断が優先されるとき、信仰によって神と培ってきたことが隠されてしまう。神が民の要求を許容されたのは、神のへりくだりによる。しかし民は、このごり押しの愚かさに気付くことが大切である。
2024年10月06日
サムエルは一つの石を取り、ミッパとエシュンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。 サムエル第一7:12
人生を振り返ってみるときに、いいことばかりではなく、悲しいこと、辛いこと、苦しかったこともあったりする。そうした上に立って、主への感謝をもって受け止めることができることは、その後の生き方に大きな指針となるのでなかろうか。感謝が深いものであればあるほど、主への信頼の道も強いものとなる。
神の箱がペリシテ人の地から返され20年の歳月が過ぎたとき、イスラエルは霊的に瀕死の状態にあった。神の箱はキルヤテ・エアリムに留まったままで、人々は主への礼拝に代わって、「異国の神々やアシュタロテ」(3)それに「バアル」(4)の神を礼拝をするようになっていた。
そこでイスラエルの民は、ペリシテ人の支配から解放されることはなかった。サムエルはそうした現実の中で、主に立ち返って「心を主に向け、主にのみ仕えるよう」民に命じた。(3) 民がこのサムエルの呼びかけに応じたのは、ペリシテによる支配の苦痛と共に、偶像礼拝が如何に虚しいものであるか痛感していたからであろう。
ひとりひとりがサムエルの語る神の言葉に応答していくとき、ペリシテと戦う備えがされていく。
イスラエルは軍事的には劣勢に置かれたままであったが、その日、主はペリシテを打ち負かされた。(10) この戦いにおける勝利は、民の中に信仰の復興があったことが深く関係している。サムエルはそこでエベン・エゼルの石を置いて、主がここまで守ってくだたったことを記念した。
2024年9月29日
イスラエルの神の箱を送り返すのなら、 何もつけないで送り返してはなりません。神に対して償いをしなければなりません。 サムエル第一6:3
陽が低くなって、長くなった自分の影に驚かされることがある。影だけを見ていたら、何の影かさえ分からなくこともあるだろう。
旧約聖書は「来るべき良きものの影」と語られれている。(ヘブル10:1) それは新約聖書に証しされる「実物」であるキリストを証しするけれど、完全にすることはできないからである。
神の箱がペリシテ人に渡ってから7ケ月が経ったとき、ペリシテの民が腫物で打たれるということが起きた。異教社会の中に主なる神が持ち込まれたのであるが、それは信仰においても、神認識においても間違ったものであったことの結果である。ここでペリシテ人たちは、神の箱を奪ったことの反省が求められ、方向を転換し、回復に向かうために決意をしていく。
彼らは占い師と祭司たちに伺った。そこで得られた助言は、神の箱に償いの品をつけて送り返すことであった。神の箱をイスラエルから持って来たことが罪として自覚され、その罪が赦されるためには償いがされなければならないとされる。
償いの品は、腫物を媒介させたであろうネズミを金で作ったものであった。ネズミは忌むべきものであったが、それが腫物の原因となり一人一人が苦しめられている。占い師と祭司たちの提示をそのまま神の御心とすることはできないが、自らの罪に向き合い、回復の方向に向かうことは正しいことであった。
ペリシテ人はこの「五つの金のねずみ」(4)を作り、「イスラエルの神に貢ぎとして献げた」(5)これが癒しにつながっていく。このペリシテ人の応答は、心の頑なであったイスラエルと対比される。
ひるがえって、私の主への態度はどうであろうかと心が探られる。
2024年09月22日
次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両手は切り離されて敷居のところにあり、胴体だけがそこに残っていた。 サムエル第一5:4
聖書の神が偶像化されてしまうことがある。それは人の愚かさに起因するものであり、根深く人の精神を支配する考えである。けれども歴史を振り返ってみれば明らかなように、神ご自身がその過リを正し、真理に導いてこられた。聖書もクリスチャンも、そうした戦いの中で滅亡の危機から逃れてきた
ペリシテ人がユダ人との闘いで勝利したとき、彼らは奪い取った神の箱を、戦利品としてダゴンの神殿に供えた。ダゴンはカナンに昔からあった土着の神の最高神であった。それ故、契約の箱を神殿に供えることは、イスラエルの神がダゴンに屈服した証しのようにされたのである。
前の時代には、ペリシテ人たちは勝利のあかしとして、サムソンをダゴンの神殿に連れて行ったことが語られている。最大の敵であったサムソンを生贄としてささげるためであった。(士師記16:23)
このサムソンの場合、彼自身に問題の多い人物であったが、最後に神への信仰を取り戻し、ダゴンと共に滅ぶことによって、ペリシテとの闘いに勝利している。
翻って、ダゴンの神殿に供えられた神の箱である。危機的状況の点では、サムソンの出来事よりも遥かに重大なことである。箱には担ぎ棒が通されていたが、ユダヤ人の担ぎ手を見出すことは不可能である。けれども、この状態のままで翌朝にはダゴンは倒れ、解体されていた。「ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両手は切り離されて敷居のところにあり、胴体だけがそこに残っていた」(5:4)
最高神と崇められたダゴンは、神の契約の箱の前に無力とされ、神の真実さだけが証しされた。
2024年09月15日
サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人に対する戦いのために出て行き、エべン・エゼルのあたりに陣を敷いた。 サムエル第一4:1
サムエルは成長し、イスラエルの預言者として活躍するようになった。その影響力は「ダンからベエルシエバに至るまで」(3:12)とあるように、全イスラエルを覆うものであった。
けれどもシロにおける幕屋礼拝は、形骸化の一途から抜け出すことはできず、人々の主への信仰は、実利的なものに陥ってしまった。それが顕在化したのは、「ペリシテ人に対する戦い」(4:1)においてである。
エベン・エゼルというのは、「主がここまで私を助けてくださった」という意味で、後の日にサムエルがペリシテとの闘いで勝利することができたことを記念して石を置いたことによる。(7:12)
したがって「エベン・エゼル」は4章1節の時点においての地名ではない。ここで注意しなければならないのは、敗北の事実に対する分析の未熟さと、罪の意識を欠いた信仰の姿であった。
「どうして主は、今日、ペリシテ人の前でわれわれを打たれたのだろう。」(3)
ここには、出来事の深刻さに対して、主との関係を反省し、それを正そうという姿勢はみられない。ただ契約の箱を戦いの場に持ち出せば、主の臨在が得られ勝利するに違いないと考えた。
問題は、イスラエルがこのような発想によって、ペリシテとの闘いに出かけて行ったことである。これがイスラエルの決定的な敗北を招くことになった。(16.17)
2024年09月08日
主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話ください。しもべは聞いております」と言った。 サムエル記第一3:10
人の感覚器官の中で、耳は意思と深く結びついている。馬の耳に念仏のように、耳から入ってくる言葉を聞き流すこともあれば、聞き耳を立てるの表現のように、注意して聞くということがある。前者は、聞くことに意思が働かないことであり、後者では意思をもって感覚を研ぎ澄ます。
幼いサムエルが主の声を聞いたのは、後者の聴くであり、それは耳で聞くための心の備えができた中でのことであった。主は、そのために「サムエル、サムエル」呼びかけておられる。
この主の呼びかけに対し、幼いサムエルは「お話ください。しもべは聞いております」と応答した。それは祭司エリが教えた通りのことであったが、サムエル自身の中に、主の言葉に対する従順が育っていたことによる。それは母ハンナの信仰を受け継いだものであり、「主がそのことばを実現してくださる」(1:23)ことによって自分の誕生があることを理解していたからである。
主イエスは、神の国の福音においては聞き方に注意するよう弟子たちに言われた。(ルカ8:18) 聞いているようでありながら、全く心に届かないことがあったり、聞いたものが直ぐに取り去られてしまうからである。それは聞き方という、最初の時点においての心の持ちように強く影響される。
サムエルは、幼いながらも主の声を真っ直ぐに聞くことができた。その後の働きは、この固い基礎の上に築かれた。
202年09月01日
さて、サムエルは、亜麻布のエポテを身にまとった幼いしもべとして、主の前に仕えていた。
サムエル第一2:18
人は環境の影響を受けやすいものである。周りの人々が主を否定するものなら、いくら純粋な信仰であろうと、自然とそうした考えに慣らされ、純粋な信仰は育ちにくいと考えてしまうのではなかろうか。
けれども、幼子サムエルの場合は、そうした悪い影響を受けずに母ハンナの信仰を受け継いでいる。模範であるべき祭司エリの家族は、主への信仰という点で最悪であった。
「エリの息子たちはよこしまな者たちで、主を知らなかった」(12)
祭司エリについても、主へのささげ物を侮っ息子たちに対し、厳然とした注意喚起をしていない姿で描かれている。それはエリの高齢という弱さからくることは否定できない。けれども、御言葉がここで示そうとしているのは、エリとその時代が抱えていた霊的退廃である。
そうであればこそ、そのような中で「主の前に仕えていた」サムエルの姿勢が注目される。身につけていた「亜麻布とエポテ」は、神の義を象徴するための祭司の衣装である。これは、母であるハンナが「毎年、夫とともに年ごとのいけにえを献げに上って行くとき、それを持って行った」(19)
サムエルは年に一回しか、この母に会うことができなかった。けれども、その母の自分への思いは、身につけている亜麻布とエポテによって十分に伝わってくる。主は、貧しい者、弱い者の祈りを聞いてくださり、その約束を守られる方であるということである。
ハンナは心を注いで祈り、それが叶えられたとき、与えられる子を主にささげますと誓願して言った。その信仰が、幼子サムエルの中にしっかりと引き継がれていた。そしてサムエルを通してイスラエルの新しい業が始まる。
2024年08月25日
ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に祈った。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ、もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子をくださるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。 サムエル第一1:10,11
主への信仰による祈りは、主に用いられたときに大きな力となることがある。士師記に続くイスラエルの時代は、混乱と退廃の暗黒時代であった。シロにおける幕屋礼拝は形骸化し、国をまとめる力を失っていたのである。
この暗黒時代から一機に王政の転換の橋渡しをしたのがサムエルであった。重要なことは、そこに神への信仰の力が働いた結果であったことである。
サムエル記は、このサムエルの登場の背後に、ハンナという名のない女性の切なる祈りがあったことを記している。ハンナは個人的なことで、心に痛みを覚えていた。その解決のため、主の前に心を注ぎ出して祈ったのである。このことは、神が真実な方で、祈りを聞いてくださるという強い信仰から出たものであった。
別の角度からみるなら、当時の幕屋礼拝に携わる祭司たちの中に、こうした純粋な信仰が失われていたことでもあった。
ハンナの祈りは、熱心なものであるばかりではなく、それが献身に結びついていることに特色がある。それ故、自分の利得を求めるのではなく、祈りによって得られたものを、主にささげるものになっている。
主はこのハンナの祈りを聞いてくださった。ハンナは約束によって男の子を生み、その子は契約の箱が置かれた幕屋において成長する。こうしてサムエルは、神に仕えるしもべとされたのであった。今日においても、神の業は身近な所においての祈りからはじまる。
2924年08月18日
あなたがたは行って、あらゆる国々の人々を弟子としなさい。マタイ28:19
キリスト者にとって、福音宣教以上に価値あることはないであろう。マタイの福音書は、主イエスによる大宣教命令をもって終わっている。著者の思いが最大限に集約されている箇所と言ってよかろう。
ここでは「出て行って」ということが強調されている。それは主イエスによって弟子が召されたときの様相と違っている。ガリラヤで弟子たちが主イエスに召されたのは、「私について来なさい」(4:19)であったからである。
出ていくことは、主イエスの約束の言葉を頼りに、宣教という霊的な戦いにおいて前線に立つことを意味する。恐れに包まれていたのでは、出ていくことはできない。また弟子でない者が人を弟子とすることもできない。それ故、主イエスが弟子たちに出ていくことを命じられたことは、主イエスによって弟子として正式に認められたことでもある。
人間的に弟子の姿をみるなら、弱さと欠けだらけが目立ってしまう。ペテロにおいてはイエスを三度裏切り、他の弟子たちにおいても「イエスを見捨てて逃げてしまった」(26:56)
けれども復活の主イエスの言葉では、そんな弟子たちを含めて「あなたがたは行って」と宣教に任命されている。このとき弟子たちが悟った自己の姿は、底知れぬほどに罪に支配され、貧しいものであった。そこではどんな価値も見いだせないと絶望しただろう。
けれども主イエスの恵みは、その一切を消し去り、神の恵みの中に新しく創造してくださる。この知らせは、神からのものである。そしてそれは「あらゆる国の人々」の必要を満たすものである。
そうであればこそ、私たちも福音宣教に全力を注がなければならない。「あらゆる国の人」は、日常での人との新しい出会いである。そこで福音を語ることができたら、何と幸いなことか。
2024年08月11日
イエスは死人の中からよみがえられました。 マタイ28:7
現代社会の特色の一つとして、死の問題が大きく変容してきたことがあげられる。ポストモダン
といわれる現代の多様性の中では、個人主義的な傾向に引きずられるようにして、死が持つ深刻さ
は歪に薄められたり、意識的に避けられてきたということがある。
そうした傾向は、たとえば医療とか介護の現場においても顕著である。そこには、日夜、人知れぬ弛みない努力が払われている。そうしたことへの敬意を払いながらも、一方では死に直 面した人の受け止め方とか希望の在り方が、あらぬ方向に導かれているのではないかという危惧を抱かざるを得ない。
私の小さな経験では、高齢者の介護に携わる中で、度々、そのような場面に遭遇してきた。医療
であれ介護であれ、人が持つ技術によって死の問題を根本的に解決することはできない。人ができ
ることは限られている。それを自覚して取り組む必要があるだろう。そうしたことを無視して専門化されてしまうと、死に直面する当人から関係者が置き去りにされたり、問題そのものが矮小化されてしまうということが起こり得る。。
聖書は、罪とその結果である死を人の根本問題としている。生まれながらの人は、罪の奴隷とし
てサタンの支配にあった。そのため死の恐れから逃れられないでいた。罪に対しては誰もが無力で
あり、罪の結果である死の力に抗うことはできない。このため、キリストは罪の贖いとして十字架
につけられた。神はこのキリストを死者の中から甦らされたのである。
「主イエスは死人の中からよみがえられました」。ここに神の業が知らされる。人が為し得ないことを、神はしてくださった。そしてここに主イエスによる人生の転換がある。復活の事実が、信じる人々を罪と死の支配から解放させる。それは何と大きな希望であることか。
2024年08月04日
ヨセフはからだを受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って作った新しい墓に納めた。
マタイ27:59.60
お盆の時期になると、多くの日本人は先祖の墓参りをする。墓は亡くなった人を納めるだけでなく、死者と現世を分ける弔いの場所として慣習化している。
十字架刑での遺体は、そのまま放置されれば野獣の餌食になったり、風雨に晒されたりして、墓に葬られることはなかった。
けれども主イエスのからだは、アリマタヤのヨセフという人が、総督ピラトのもとに行って下げ渡しを願い、墓に入れられた。(58)このヨセフについて、4つの福音書がそれぞれの視点から記している。
「アリマタヤ出身で金持ち」(マタイ27:57)
「有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた」(マルコ15:43)
「議員の一人で、善良で正しい人であった、…議員たちの計画や行動には同意していなかった」 (ルカ23:50.51)
「イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していた」(ヨハネ19:38)
サンヒドリンの議員であったヨセフは、既に主イエスの弟子となっていた。それ故、祭司長たちがイエスを議会で裁いたときも、他の議員たちの計画や行動には同意しないで、反対したのであった。そうした姿勢を徹底できなかった部分が「ユダヤ人を恐れてそれを隠していた」となったのかも知れない。
そのヨセフがピラトのもとに行って、主イエスのからだの下げ渡しを願ったのであるから、心の中に大きな変化が生じたのであろう。「きれいな亜麻布に包んだのは、主イエスへの愛と尊敬によるものである。そして「岩を掘って作った自分の新しい墓に納めた」(27:60)
唯一主イエスを弔ったのがアリマタヤのヨセフであった。その勇気ある行動が後々までどんなに大きな慰めとなったことか測り知れない
2024年07年28日
百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たちは、地震やいろいろな出来事をみて、非常に恐れ
て言った。「この方は本当に神の子であった」 マタイ27:54
真っ暗に広がる夜空に、一筋の星の輝きを見出すことがある。罪の現実に心が塞がれるようなときでも、福音が証しする視点に立つときにはっきりとした希望が見えてくる。
主イエスの十字架は、ある人たちからすれば神の子であることが否定された出来事であった。人々は神の子ではないという理由で、主イエスを徹底的に愚弄し、無実のまま極刑に処した。そのことに何の心の痛みを感じないでいた。キリストに対する人々の評価は、「他人は救ったが自分は救えない…イスラエルの王」(46)であった。
今日においても、主イエスを理想主義者の敗北とみたり、改革者による社会的な試みの失敗とする人たちがいる。そこには愚かな歓声が繰り返されるだけで、彼ら自身の中に何の希望も見つけることはできない。
けれども、主イエスの十字架のときに証しされた様々な出来事は、「百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たち」に「この方は本当に神の子であった」という思いを抱かせるに至った。このときに起こった地震は、通常のものではない。地震だけであったなら、それ程に恐れることでもなかったであろう。しかしここでは、「地が揺れ動き、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った」とある。
主イエスの死が、死者を生かすものであることが証しされたのである。これを非科学的であるとか、神話的であると論証する人もいる。けれども十字架を最も近くにあって見た人たちの証言を、今日の私たちの観点で否定してはならない。むしろ、そこに置かれた人々の証言に心を向けるべきではなかろうか。
2024年07月21日
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリエリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。 マタイ27:46
多くの人が神に求めるのは、自分が抱える困難から救い出す奇跡的な業とか、超常的な力の顕現である。けれども主イエスの十字架の場面において、福音書はそうしたものの一切がとり去られた状況を描いている。御子が極限の苦しみに置かれているときに、父なる神は沈黙し、救出のための業は何も起こらない。このことが、主イエスへが神でないことの根拠とされている。通りすがりの人たちがかける嘲りの声は、祭司長たちや律法学者たち、長老たちのものと変わりがなかった。
「おまえが神の子なら、自分を救ってみろ…他人は救ったが自分は救えない。」(27:40,41)
もしキリストの救いが、人の要求を満たすことによって成立するなら、こうした人たちの言動も一概に批判できないかもしれない。しかし、罪のための贖いとして供えられた神の子羊は、神との関係を絶たれた人の罪のための贖いであった。主イエスは、そのために「十字架の死にまで従われた」(ピリピ2:8)のである。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」という主イエスの叫びは、主イエスが人の身代わりとして神の怒りを全身で受け止めたことから出ている。マタイがこの言葉をへブル語で書いたのは、そのとき発したキリストの声を、翻訳によって割り引くことなく、そのまま記録したかったからに他ならない。それは魂の奥底にまで貫き通す衝撃であった。
「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」というイエスの言葉は、主イエスの敗北を意味するものではなく、詩22:1からの引用でもわかるように、そこに注がれている神の恵みを前提としている。御父の怒りを全身で受け止めながら、死によって魂を御父に委ねきっておられる。