仙台のぞみ教会
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中ですぐれているのは愛です。
聖書の舞台(生活・習慣)
メッセージに聖書の舞台の生活や習慣が出てきたら、それをフリー写真を使って解説していく「聖書の舞台」です。クリスチャンの方も、そうでない方も、聖書をより身近に感じられるようになりますように!
あ行
アドベント・クランツ
最近、セレブな奥様たちの間で「クリスマス・リースよりいけてる、おしゃれなクリスマスの飾り」「ヨーロッパの家庭には必ずある、おしゃれな風習」としてアドベント・クランツづくりが流行っているようです。ネットでもおしゃれな生活に色どりを添える素敵なアイテムとして語れていますが、「つくり方」は書かれていても「使い方」は全く書かれていません。教会的にはトホホです。
アドベント(到来)クランツ(ドイツ語のっクリスマス・リース)は、英語で「アドベント・キャンドル」といういい方もして、クリスマス直前の日曜日(2020年なら12月19日)を第四週と数え、第一週(2020年なら11月29日)から1本ずつキャンドルを灯し、救世主がこの世に到来したこと記念する日が近づくのを数えつつ待つのです。ですから、ネットにあがっているように、いきなり全部のろうそくを灯して飾っているのは、まったく意味をなさないのです。
子どもたちのために「アドベント・カレンダー」と言うのがあって、カレンダーの日付の部分を開けるとお菓子が入っていて、子どもたちは毎日ひとつづつ窓を開けて、毎日、お菓子を食べることを楽しみにしながらクリスマスの日を数えるというものがあります。最近ではいろいろなところでクリスマスグッズとして売っていますから、見たことのある人もいるでしょう。そうやって数えつつ心待ちにするのが本来のあり方です。
アドベント・クランツをつくり、いきなり全部キャンドルに火を灯すのは、アドベント・カレンダーをもらった子どもが、いきなりお菓子を取り出してしまうのと同じで、正しい使い方ではありません。
安息日
安息日とは、一週間の始まりにあたって肉体的・精神的な労働を中断し、平安のうちに神様に向かう日を指します。その期限は、創世記において神様が天と地を創造された時に六日で完成されて、「第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。」(創世記2:2-3)ことにはじまります。そして、自分たちだけではなく、奴隷や家畜まで休ませ、平安のうちに神様に向かうことは、人間が神様のもとに幸せに暮らすための約束でした。「十戒」の四番目に「安息日を守って、これを聖なるものとせよ。あなたの神、主が命じたとおりに。」(申命記5:12)とあるのは、なにも神様が人間に無理な「戒め」を与えるためではなく、神様のもとに平安に暮らすためであったことがわかります。日本は昔、盆と正月の年二回以外に休みがなかったことを考えれば、実に人間的な制度ではありませんか。ですから、私たちクリスチャンは、日曜日は仕事を休んで教会に行き、神様を礼拝し、みんなと楽しく交わるのです。
安息日以外に6年間耕して7年目に畑を休ませる「安息年」や、7×7=49年の次の50年目は「ヨベルの年」と呼ばれ、借金の肩に取られていた先祖伝来の土地が戻され、身売りをしたイスラエル人が自由になって故郷に帰れるなど、人間的な失敗のリセットもされました。
週の安息日は、ユダヤ教では土曜日でしたが、イエス様の復活後は三日目(三日後ではなく、その日(金曜日の夕方)→次の二日日(土曜日)→その三日日(日曜日))の復活の朝の日曜日にかわりました。ですからキリスト教を基盤とする西洋諸国発祥のカレンダーは「日曜日が週の始まり」なのです(写真のエクセルのカレンダー参照)。土日を週末というのは間違いです。ちなみにイスラム教は「金曜日」を安息日としています。ちなみに昔の中東では日没から一日がはじまる数え方でしたから、イエス様を十字架からおろして急いで埋葬したときが「安息日が始まろうとしていた。」(ルカ23:54)とあるのは、金曜日の日没近くで、ユダヤ教の安息日である土曜日が始まろうとしていたということです。
このように神様のもと人間らしい平安な生活を送れるために神様が設定された安息日ですが、そのうちユダヤ教が人間の手で拡大解釈される中で「何歩までなら歩いてよいのか?」「電気のスイッチを入れることは労働か?」「洗濯機をまわすことは奴隷を働かせていることになるのか?」なんて議論が真剣になされるようになりました。こんな議論を神様はトホホという気持ちで見ているのでしょう。
アドベント・クランツ…第1週目の正しい使い方(ひとつしかロウソクを灯さない)
エクセルにある、日曜始まりのカレンダー
イースター
イースター(復活祭)とは、私たちの罪を背負い十字架につけられて葬られたイエス様が復活した、キリスト教でも最も重要なお祝いの日です。クリスマスがイエス様の誕生(神様による人類の救いのはじまり)を祝う祭にたいして、イースターは「神様による人類の救いの完成」ですから、さらに重要で、ヨーロッパの金融市場はその前後をお休みにするそうです。イースターの日は、「春分の日の後の最後の満月の次の日曜日」と決められているので、クリスマスとちがって毎年、日にちが移動しています。2019年は4月21日、2020年は4月日、2021年は4月4日となっています(東方教会は旧暦を使うのでイースターもクリスマスも日にちがちがいます)。だいたいは3月の終わりから4月にかけてですが、なぜか東京ディズニーランドは6月までイースターのお祭りをやっています。
動かない卵から新しい命が芽生える不思議から、卵はイースターの象徴として取り扱われ、カラフルな色付けをしたイースターエッグを作ったりします(右写真、モバイル版にあっては下写真)。帝政ロシアのロマノフ王朝では、「インペリアル・イースター・エッグ」という宝石をちりばめた豪華なイースターエッグを作ったそうです。映画「名探偵コナン 世紀末の魔術師」でもありましたね(→映画「名探偵コナン 世紀末の魔術師」)。イースターエッグを家や教会堂の中に隠しておいて、子どもたちに「宝さがし」をさせる遊びもします。ちなみに、コンピューターソフトの開発者が、完成した時に開発チームへの謝辞が表れるように仕掛けをしておくことを、この遊びにちなんで「イースターエッグ」というそうです。粋ですね。
また、比較的新しい風習(16~17世紀)ですが、春にたくさんの子を産むウサギを豊穣のしるしとみなす「イースターバニー」の風習から、ウサギと卵をイースターの象徴とすることもありますが、キリスト教と直接の関係はありません。
イノンド
ハーブの一種です。今ではスペイン語やポルトガル語由来の「イノンド」よりも、英語由来の「ディル」の名前の方が普通に使われています。肉料理にも使いますが、日本だとスモークニシンやスモークサーモンの上にぱらぱらと振りかけられている細くて緑のハーブとしてよく見かけますね。
Pixabay
か行
買い戻しの権利
神様は「約束の地」として、アブラハムとの契約に基づいてカナンの地をイスラエルの十二部族(祭司食であったレビ族は除く)に与えた(ヨシュア14:1~19:51)。そえゆえ土地も人も神様のものであり、それを売ったり買ったりすることはできない。しかし、実際に生活がたちいかなくなって土地を売ったり自分を奴隷に売ったりする場合もある。そんな時のために神様は別に律法を定められた。それが「買い戻しの権利」と「ヨベルの年」である。
「買い戻しの権利」とは、十二部族それぞれの譲り地が増減しないように、まむをえず土地を売る場合は将来買い戻すこと(レビ20:23-24)、もし本人が没落したり死んでしまったら、兄弟や親せきなど、当人に近いものから買い戻しを行わなければならない。もし買い戻すことが出来なくても50年に一度めぐってくる「ヨベルの年」には本人のところに戻さなければならない(レビ25:28)というものである。だから「ヨベルの年」まで30年ある年に売ったならば30年分の収穫物の利益分の値段が付くし、5年しか残っていなければ5年分の収穫物の利益分の値段が付くことになる。これは自分を売った場合も同様である。
ルツ記でボアズが「確かに私は買い戻しの権利のある親戚ですが、わたしよりももっと近い、買い戻しの権利のある親戚がいます。」(ルツ3:12)と言ったのは、ボアズはルツに好感を持っていましたが(3:10-11)、もっと近い親戚が買い戻すべきだったからです。さらに土地を買い戻した上、ナオミの一族を存続させるためには、異邦人であったナオミと結婚して(→「聖書の舞台(人物・組織)」のま行「モアブ人」参照)子孫を作ることも含まれていました。しかしその親戚は、それらのリスクを恐れて権利を放棄し(ルツ4:6)、手続きにしたがって公に買い戻しの権利を得たのです(ルツ4:8-9)。
このルツとボアズが、エッサイやダビデの祖先となり、イエス様の家系となったのです。
カナン人の宗教
神様がアブラハムに約束した「約束の地カナン」、そこで「先住民族をすべて滅ぼせとは、キリスト教の神様は何と心のせまいのか」「多様な民族や宗教を尊重する寛容さこそ必要ではないか」「異民族となれあって、その地で共存したイスラエルの民の方が理解できる」と、現代人なら一見して考えることでしょう。しかし、当時カナンにはびこっていた「異教」のえげつなさを知れば、そんなレベルの話ではないことがわかります。
彼らの宗教の主神は、男神バアルと女神アシュタロテ(アシェラ)であり、考古学的にも様々な発掘がなされています。例えば、発掘されたアシェラは乳房と性器がたくさんついた女神像や、お馴染みの顔や手がたくさんある像として表現されています。これらの宗教では幼児犠牲や神殿男娼・娼婦がさかんになされていました。考古学的な解説の多い『聖書ハンドブック』(聖書図書刊行会、1995版)から一部引用してみましょう。「マカリスターは、バアルの犠牲に供された子供の遺骸の入った壺を多数発見した。そしてこの地域全体は生後間もない子供の墓地であることが分かった。このほかにも彼らが「定礎犠牲」(人柱)と呼んだ恐るべき習慣がある。これは、家を建てる時、残りの家族に幸福をもたらすため、幼児を犠牲にし身体を壁の中に塗りこめた。これもゲゼルで発見され、またメギドでもエリコその他でも多数発見された。」「カナン人は宗教儀式に変えて不道徳にふけり、これを彼らの神神(ママ)に対する礼拝としたのである。またさらにこれらの神々に対する犠牲として、彼らの最初の子供は殺された。」(163ページ)と解説されています。本には実際の幼児の骨の写真も掲載されていますが、おぞましくてそれを掲載できません。
神殿で神殿男娼や娼婦を買ったり乱交にふけることが礼拝で、その結果できた最初の赤ちゃんを殺して捧げたり、家を新築したら自分の子どもを殺して壁に塗り込んだり…そんな生活をしている民族とその風習を、聖書は「彼らの不道徳」と言っているのです。「不道徳」とは何とソフトな表現でしょう。そして彼らとなれ合った妥協したというのは、現代人の考える「お互いに共存した」というのではなく、このおぞましい風習をイスラエル人が取り入れたという意味です。それをずっと我慢して、神様に立ち返ることを待っていた神様って、すごい忍耐ですね。
グノーシス(主義)
グノーシスとは、もともとギリシャ語の「知恵」「認識」を意味する Γνῶσιςで、人間は霊知(グノーシス)を持つことが必要だという主張に立った一種の哲学です。グノーシス主義では、肉体と霊の二元論に分けて、「肉体は悪」「霊は神聖」と見なします。そして悪である肉体を痛めつける苦行を通じて、霊的な悟りを得ることを主張します。ギリシャ哲学の「イデア論」や仏教の「苦行」「さとり」を思い起こさせますね。そうです、グノーシス主義はギリシャ哲学や東洋思想が混じった思想で、特定の宗教を指す言葉ではありません。ですから、キリスト教の異端と呼ばれるものは「キリスト教グノーシス派」と呼ぶべき、教会に聖書とは異なった考え方を持ち込んだ人々のことを指しています。
グノーシス主義によれば、①救いは神様からの恵みではなく、自分の肉体への苦行とさとり(グノーシス=霊知)を得ることによって永遠の命を持つことができる。②神様は唯一の創造者ではなく、清い神様の下の不完全な神が物質的な宇宙を作ったので「宇宙=悪」である。③イエス様は肉体があったので不完全な存在であるか、または実は清いイエス様は肉体を持っておられず「肉体があったように見えただけ(仮現論)」。④イエス様を信じることによって救われるという大盤振る舞いではなく、霊的なモノはもっと神秘的なので、いろんな秘儀を通してしか救われない。…などと、聖書の言っていることとはかなり違ったものとなります。
でも、人間というものは「悔い改めて信じるだけで救われるの?」と神様の大盤振る舞いに不安になるようで、「もっと修行しなきゃ」「もっと秘密の儀式とかあるのでは?」と考えがちなようで、初期のキリスト教会にもかなり入り込みました。しかし、偽物の思想が生きた教会に定着することはなく、紀元3世紀には下火になり、紀元5世紀には「キリスト教グノーシス派」は消滅します。
しかし、グノーシス主義自体は他の宗教に脈々と生き続け、厳しい修行や神秘体験、自らさとりを得ることを救いの道だと説く宗教は、実にたくさんあります。
クリスマス・イブ
「クリスマス・イブ」とは、いつのことでしょう?
多くの人は「クリスマスの前日」と考え、12月24日をクリスマス・イブだと考えていたりします。そして最近は「クリスマスの前々日」だからと、12月23日を「イブ・イブ」なんて呼ぶ人もいますが、まったくの間違いです。
図を見てください。
現在の日本を含めた多くの国では、一日は真夜中の0時から始まり、真夜中の24時に終わると決めています。しかし聖書の時代、多くの国では「日没から日没」を「一日」と定めていました。つまり、聖書の時代の「12月25日」は、現在の「12月24日の日没から、12月25日の日没」までなのです。そして「クリスマス・イブ」の「イブ」とは、英語の「evening」。つまり「クリスマスの夕べ」のことなのです。もう分かりましたね。「クリスマス・イブ」とは、現在の「12月24日の日没から真夜中まで」を指す言葉です。24日のお昼間はクリスマス・イブではありません。
世界中の教会で、12月24日にキャンドルを灯してクリスマス礼拝をおこなうのは、「日没から始まるリスマスの日のお祝い」をしているのです。
さ行
過越の祭り
「過越の祭り」とは出エジプト(→「旧約聖書を読んでみよう」の「出エジプト(で海を割る話」参照)に起源をもつユダヤ教の重要なお祭りです。四百年間エジプトで奴隷をしていたイスラエルの民をエジプトから連れ出すために、神様が10のわざわいをエジプトにもたらしました。その最後のひとつが「エジプトの長子は、王座についているファラオの長子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の長子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。」(出エジプト11:5)というものでした。その日は夕暮れまでに子羊を屠り「その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。そして、その夜、その肉を食べる。それを火で焼いて、種なしパンと苦菜を添えて食べなければならない。」(12:7~8)「主はエジプトを打つために行き巡られる。しかし、鴨居と二本の門柱にある血を見たら、主はその戸口を過ぎ越して、滅ぼす者があなたがたの家に入って打つことのないようにされる。あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のための掟として永遠に守りなさい。」(12:23~24)という出来事からはじまった祭です。太字の主は、神様のことを指し、一般的なご主人さまとして区別しています。また種なしパン(イーストなどのパン種をいれて発酵させずに作るパン。簡単な道具で時間をかけず、非常時でも旅先でもすぐに作ることができた。非常時の象徴)を食べることから「種なしパンの祭」とも呼ばれているます。
いずれにせよ、イスラエルの民が神様の奇跡的な力でエジプトから脱出し、奴隷状態から解放され、神様に導かれて荒野を旅することになった民族の歴史と誇りを象徴するような重要な祭になっています。
これが実は後の時代に、イエス・キリスト(犠牲の子羊の代わり)の血と肉によって罪から解放され、神様による罪ゆえの滅びを「過ぎ越され」て救われることになったことのひな型だと言われています。イエス様をキリスト(救い主)だと認めていないユダヤ教では、今も「過越の祭り」を守り、イエス様の十字架と復活で神様の救いが成就したと理解しているキリスト教では「復活祭(イースター)」をお祝いしています。
輸入食品として市販されているイスラエルの「種なしパン(マッツォ)」。皿ほどの大きさのクラッカーを想像してください。過越し歳で食べます。
た行
な行
ナジル人
自ら請願を立てて一定期間、神様に仕える特別な検診の状態に置いた人のことを指します。その間は、①禁酒をする。ぶどう酒や強い酒、ぶどうから作られるものなどを断つ(民数記6章3-4節)、②力の源である髪の毛を剃らない、③死人から遠ざかるなど、自らを清く保つようにしなければなりません。パウロが第二回伝道旅行の最後にケンクレアで髪を剃ったのは、第二回伝道旅行のために誓願を立てて、ナジル人として伝道していた時期が終了したからです。
は行
墓と埋葬
イエス様の墓は、弟子となっていた「アリマタヤの金持ちヨセフ」(マタイの福音書27:57)が自分のために造った新しい墓だったと聖書に書いてあります(27:60)。多くの貧しい人は、中を棚のように彫り込んだ公営の共同の墓地に埋葬されるので、時々、転がして開け閉めができるように大きな円盤状の石で入り口をふさぎます(ちょうど写真のような感じです)。金持ちの場合は、墓に適した場所を買って新しく彫って、自分専用のお墓にします。「アリマタヤの金持ちヨセフ」は金持ちだと書いてあるので、イエス様の埋葬された墓は、共同墓地ではない「新しい墓」だったということです。
埋葬する時は、「きれいな亜麻布に包み」(マタイ27:59)とありますが、まず没薬のような香料や香油で身体を清め、いろい衣を着せるか布に包み、顔はスダリオンと言う被いをかけます。そして包帯で手足や全身をぐるぐる巻きにしたそうです。「イエス様が復活したのではなく、仮死状態だった」という人もいますが、そうだとすると、ローマ側の番兵がいたのですからこの状態から自分でぐるぐる巻きのミイラ状態の包帯からの「縄抜け」をしなくてはなりません。しかもルカの福音書には、使徒たちが駆け付けて中をのぞくと「亜麻布だけがあった」(ルカ21:12)というのですから。
古代イスラエルの墓の入り口(Pixabay)
母の日
五月の第二日曜日にお母さんにカーネーションを贈る「母の日」は、聖書に起源はありませんが、実はキリスト教会からはじまったものです。1907年5月12日にアメリカのウエスト・バージニア州フィラデルフィア市(→新約聖書を読んでみようの「フィラデルフィア」参照)の教会で、教会学校(→はじめての教会用語辞典のか行「教会学校」参照)の先生をしていたアンナ・ジャービスという女性が、教会学校の中でお母さんの大切さを説き、アンナのお母さんが好きだった「白いカーネーション」を贈る式を持ちました。これが「母の日」のはじまりだと言われています。これに感動した教会の人人が、翌1908年5月10日は500人規模の会を持ち、「白いカーネーション」を贈る祈念会を持ちました。この活動が広がり、1910年には「5月の第二日曜日を母の日とする」とウエスト・バージニア州知事が宣言し、やがてアメリカ全土に広がりました。日本では1913年に青山学院ではじまったと言われています。ちなみに日本やアメリカを含む多くの国で「母の日」は5月の第二日曜日ですが、世界的には別の日に「母の日」を祝っている国も少なくはありませんし(→「世界の母の日特集」参照)、必ずしもカーネーションを贈るもののではありません。
「白いカーネーション」ですが、はじめは亡くなったお母さんを想う追悼式典でだったので、アンナのお母さんの好きな「白いカーネーション」にちなんでこれを贈っていました。やがて生きているお母さんにも感謝しようということになり、生きているお母さんには「赤いカーネーション」を贈ることが定着したのです。また「母の日」を「日頃の家事労働をありがとう」みたいに考えている人もいますが、そもそもアンナのお母さんは、南北戦争時に地域女性の力を集結して敵味方なく衛生状態を改善しようとした社会活動家で、Mother’s Work Day’を創設した方です。そのお母さんの功績をしのんで創設されたのですから、「母の日」は女性の社会的活躍を祈念した会だともいえます。
さらに言えば「モーセの十戒」は、神様に関わる1~4番と人間に関わる5~10番に分けられますが(→旧約聖書を読んでみようの「モーセの十戒」参照)、その人間に関する戒めの第一番目に「あなたの父と母を敬え」(出エジプト20:12)があるのですから、キリストの信仰とも合致しているわけです。
(PhotoAC)
NEW 豚
ガラダの豚(マタイの福音書8章28~34節)の話を読んでいて、当時、イスラエルでは忌み嫌われていて食べることも禁じられていた豚が、なぜ、こんなにも飼われているのだろうかと疑問に思いました。
豚は旧約聖書の律法で「汚れたもの」(レビ記11章8節、申命記14章8節)とされていました。神様がなぜ豚を食べることを禁じたのかよくわかりません。いろいろな方の解説によれば「不潔な環境で育成されている」「火をよくと幼いと寄生虫の心配がある」「羊などとちがって食糧の少ない砂漠地帯で人間と食べるものが競合する」などの理由があったのではないかと言われています。しかし豚の名誉のために言うと、本来、豚はきれい好きであり、人間が不潔な環境で育てていただけだそうです。ちなみに豚の体脂肪率は14~18%で、男性の標準体脂肪率と同じ、女性であればモデル並みの脂肪の少なさだそうです。
ちなみに、この律法はその後神様によって破棄(ペテロに夢で示した)されましたし(使徒の働き10章9~16節)、そもそも律法の戒律自体が人間を縛るものではなく人間を守り導くものですから、表面上でそれを守ることが本質ではありません(マタイの福音書15章1~20節)。そういうわけで、現在、クリスチャンは食べ物についてのタブーはありません。しかし、旧約聖書とその後の独自の経典を基盤とするユダヤ教やイスラム教は、今も豚は食べません。その理由は、①宗教的戒律と同時に、②豚に対する「不潔」(これは誤解だが)というイメージがあるのです。このイメージというのは人それぞれで、例えば東南アジアで普通に屋台で売っている蝉やコオロギなどの昆虫食を「クリスチャンは何でも食べていいから食べてみろ」と言われても、少なくとも私は「ちょっと…」と思うわけです。同じように、宗教的な戒律がなくても豚に対する文化的イメージはなかなか払しょくできないでしょう。だから、その気持ちは尊重すべきです。
さて先ほどの話に戻り、ではなぜ「ガラダの豚」の地方にはあれほどたくさんの豚が飼われていたのでしょうか。実はここは「デカポリス(10の都市)」のひとつでギリシア人の植民都市だったのです。ギリシアの食文化の中に占める豚肉の比率は高く、さかんに食べられていたようです。周りのユダヤ人たちは「あんな汚れたものを食べて」と見ていたでしょうし、「だから異邦人は…」と差別の心を持っていたでしょう。だからこそ、神様はペテロに旧約聖書にあった「汚れたもの」を見せて食べてみなさいといい、拒否したペテロに「神がきよめた物を、あなたがきよくないといってはならない」(使徒の働き10章14節)と言い、イエス様は「口から入るものは人を汚しません」(マタイの福音書15章11節)と言ったのです。つまり「豚を食べる異邦人だから」と形式的・表面的なことで差別するのではなく、神を信じるすべての人に福音を宣べ伝えなさいとの神様の思いがそこにはあったのです。
素晴らしい環境で飼育されているイベリコ豚
ペンテコステ
キリスト教関係のイベントでクリスマスは有名ですけれど、「イースター」と「ペンテコステ」は、一般の方にはあまり知られていませんが、とても重要なイベントです。聖書にはこう書かれています。「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。するとみなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国の言葉で話しだした。」(使徒2:1~4)とあります。右(モバイル版においては上)のグレコの絵でみんなの頭の上にあるのが「炎のような分かれた舌」でしょうか。ちなみに鳩は、イエス様が洗礼を受けられた時「天が開け、聖霊が鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。」(ルカ3:21~22)とあることから、聖霊=鳩のようなかたちと描写したのでしょう。
この聖霊降誕のことをペンテコステと言います。ペンテコステとは「ペンタ=5つの」からきた言葉で、復活の業がなしとげられた「イースター」を第一日目と数えて50日目(旬=10日)なので「五旬節」とも言います。クリスマスが「救い主であるイエス様のお生まれ」を記念した日ですが、イースターは「イエス様が十字架につけられ私たちの罪を背負い死なれた後に復活して、神様の業が完成した日」であり、ペンテコステは「その後、イエス様の約束通り、私たちの信仰生活ために聖霊様がおくられた日」なのです。ですから「救いの完成」から見ると、クリスマス同等に大切な日の一つなのです。
エル・グレコ「聖霊降誕」1605~1610年ごろ(部分)
ま行
幕屋
幕屋と言うのは、直接はテントのことですが、旧約聖書で言う場合、右(モバイル版にあっては上)のような「契約の箱」を納めるテントのことを指します。ちなみにこれは、Amazonで買える「契約の箱型の小物入れ」です(こんなものを買ってどうするのでしょう?)。モーセの時代はテントでしたが、ソロモンの時代以降は立派な石造りの神殿になりました。そこで、後にはユダヤ教の聖所のことを指すようにもなりました。
この聖所は、テントの周りの庭を囲む目隠しの布の塀で囲まれており、布の幕の中にはユダヤ教徒の男性しか入れませんでした。そこの祭壇で動物犠牲の儀式を行ったのです。さらに庭の中にあるテントの中は「聖所」と呼ばれていて、祭司だけが入れました。さらにテントの中に一枚仕切りの布があって、その奥に「至聖所」と呼ばれる場所があり「契約の箱」が置かれていて、そこには年に一度、大祭司と呼ばれる地位の人が全イスラエルの民の贖いのための儀式を行うためにしか入ることが許されなかったのです。
なお、この項目は複雑になりますので、以上、2019年11月03日のメッセージを理解できる最低限の説明のために書いておき、後に正確に調べて加筆・修正します。
契約の箱の模型(Amazon)
マナ
モーセが奴隷状態で苦役を強いられていたイスラエルの民を率いてエジプトを脱出し、追い詰められた紅海で海を割る話は、映画などでも良く取り上げられて有名なシーンですね(→「旧約聖書を読んでみよう」の「出エジプト(で海を割る話)」参照)。そして渡った先はシナイ半島の砂漠だったわけです。そこでは水も食料もなく、人々は飢え渇きました。そして神様によるものすごい奇跡を目の当たりにしてからひと月も立たないうちに(出エジプト16:1)に、人びとはモーセとアロンに「エジプトの地で、肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、われわれは主の手にかかって死んでいたらよかったのだ。事実、あなたがたは、われわれをこの荒野に導きだし、この集団全体を飢え死にさせようとしている。」と不平を漏らしています。こんな砂漠で飢えるより、奴隷のままの方がよかったというのです。なんて身勝手な言い分でしょうか。
そんな人びとに神様は「あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りる。こうしてあなたがたは、私があなたがたの神、主であることを知る。」(出エジプト16:12)と言って、朝にはパンみたいなものを、夕方にはウズラを40年にわたって降らせてくださいました。このパンみたいなものを、人びとは「マナ」と名づけました(出エジプト16:31)。
このマナは、①朝露が消えると宿営の周りに落ちている「薄く細かいもの、地に降りた下のような細かいもの」(出エジプト16:14)で、②「コエンドロ(註:コリアンダー)の種のようで、白く、その味は蜜を入れた薄焼きパンのようであった。」(同16:31)、③焼いたり煮たりして食べられた(同16:23)、④人びとの必要な分だけぴったり降った(同16:18)、⑤次の朝まで残そうとすると虫が湧いたり臭くなって食べられなくなった(同16:20)、⑤安息日の前の日に降るものだけは二日続けて食べられるように倍量降って、次の日猛策ならなかったという不思議なものです。貯めることもできず、毎日、きちんと降らないと砂漠で飢え死にしそうですが、神様は、人びとが神様を信じ神様に毎日生き永らえさせていただいていることが分かるようにそうしたのでしょう。
ところで、この「マナ」を名前に付けた商品があるのはご存知ですか。森永の幼児用ビスケットの定番「マンナ」ですが、これは旧約聖書の「マナ」から命名されたものです。森永のホームページにも明記されています(最新のものは赤ちゃんがイラストになって、形も丸ではなくなったのですね)。本物のマナがこんなものかはわかりませんが、赤ちゃんをいとおしみ育てる心で与えるものと考えると、当時の神様の「親心」が分かり様な気もします。
森永「マンナ」(旧パッケージ)
ら・や・わ行
律法
聖書になじみのない方に対して分かりやすく記します。執筆は信徒です。
みなさんも「モーセの十戒」というのを聞いたことがあると思います(→「旧約聖書を読んでみよう」の「モーセの十戒」参照)。「安息日を守りなさい」とか「盗んではならない」とか言うものです。神様がイスラエルの民を選んで、周りに悪魔的な異教を信じる民族が多かったこの地で、イスラエルの民が神様に従って生きることのできるように、神様が細かく定めたものです。律法には「誤って他人の牛を殺してしまった場合どうするか?」などの法典に関するもの、神様に対してや人間同士の関係に関する道徳的なもの、神殿での儀式やお祭りに関する祭儀に関するものなどがあります。
しかしイスラエルの民は、次第に「律法を守ること」が目的化してきて、つぎつぎに新しい律法を勝手に作り自分自身を縛っていきます。その内容も「安息日は休むように十戒にあるが、何歩までなら歩いてもよいか?」とか「安息日に電気のスイッチを入れることは、労働になるのか?」なんていう議論まで出てくるようになりました。これは本来、神様が設定した「神様を信じてよりよく生きるように」というものとは、かけ離れたものです。さらには「どうしても律法を守ることのできない立場の人」や「律法を知らない異邦人」を蔑むようになりました。神様がイエス様を初めて世に送り出したときに、真っ先に礼拝を許された羊飼いたちは「安息日だからと言って羊をほっておくわけにはいかない」「律法に定められたからと言って野にあって手や身体を清めることのできない」存在で、律法主義をとるパリサイ人たち(→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「パリサイ派(パリサイ人)」参照)からは蔑まれた存在でした。そこに救い主が現れたのですから、ある意味驚きだったのです。ちなみにイスラエルの民が伝えてきた「律法」(旧約聖書に書かれたものに付け加えられたもの)は、紀元70年のローマ軍による侵略で焼かれ、現在のユダヤ教のものは「口伝律法」を再文書化したものだそうです(→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「パリサイ派(パリサイ人)」参照)。しかし、ユダヤ教の一部の人はそれを認めていません(→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サドカイ派(サドカイ人)」参照)。
律法とともに選びの民としてのイスラエルの民によって保存されてきた救いの計画の歴史は、イエス様の誕生によって新しい救いの計画に移行し完成を見たのです。
ろばの子
エルサレム入城の時にイエス様が乗られたのは「ろばの子」です。粗食に耐えるというメリットはありますが、馬と比べて小さくて見栄えが悪く、頑固であつかいづらく、駆け引き下手で言うことを聞かないという動物で、この日のメッセージが「ろばの子」を私たちに例えたのは、的を得た例えだったのかもしれません。ですから、多くの民族で「愚か者」の象徴になっています。右(モバイル版にあたっては下の)の絵を見ても、何だか見栄えば悪いですよね。聖書では「ろばの子に乗って」(マタイ21章5節)と書いてあるのに、この絵では一緒に連れてきた「母ろば」に乗っているようにも見えます。手前のろばの子だとあまりに小さすぎて、イエス様が乗っている姿が絵画的にバランスが取れないと、このイタリアの画家が考えたからでしょうか?
一方、第一列王記1章33節で、栄華を誇ったイスラエルのソロモン王が乗っていたのは「騾馬(ラバ)」で、オスのろばとメスの馬を掛け合わせた動物です(メスのろばとオスの馬の場合、ケッティと言います)。ろばのように粗食に耐えますが、馬のように大きく利口であつかいやすい動物だったようです。時代によりますが馬の何倍も、何十倍も高価だったようです。
ユダヤ教の律法「トーラー」
ドゥチョ・ディ・ブオニンセーニャ「キリストのエルサレム入城」1311年(部分)