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2024年10月~最新のメッセージ

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 2024年12月01日「危機の中での救い」
 2024年12月08日「」
 2024年12月15日「」
 2024年12月22日「」
 2024年12月24日「」
 2024年12月29日 「」
 2024年10月20日「最初の王サウル」

​以前のメッセージ・ダイジェストはこちらをご覧ください。

2024年11月24日「危機から回復する祈り」(Ⅰサムエル13:1~14)

 現在、今日の聖書箇所に出て行く「ギルガル」もヨルダン川西岸で、外務省から「渡航中止勧告」地域となっている。今日の箇所でも、サウル王が現在の「パレスチナ」の地名もととなったペリシテ人(今は主にアラブ人が住んでいる)との大規模な戦争を行った記述がある。

 今日は第一に「対立の激化」について見ていきたい。イスラエルの初代王となったサウルは、自分のために兵を集めた。その軍隊は三千人であった(Ⅰサムエル13:2)。サウル王以前は各部族の緩やかな連携であり、「国」としての組織だった軍隊はなかった。軍隊を組織すると兵舎、糧食、武器などを準備する必要があり大変なことであるが、ペリシテ人との緊張が高まっていたからであった。その上、サウルの息子であるヨナタンがペリシテ人の守備隊長を打ち殺したことから、両国の対立は決定的となった(13:3)。サウルは「国中に角笛を吹き鳴らし」たということは、ペリシテ人との戦争のために軍隊を招集したということである。しかし三千人の兵隊に対してペリシテ人側は「戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように数多くの兵たち」(13:5)が集まった。さらにイスラエル側は鉄器もなく、鍛冶屋がおらず剣や槍も持っていなかった(13:19-21)。大変な戦力差である。王に選ばれたサウルが軍隊を組織し始めたが、想定以上の危機に直面したこととなる。そのときにサウルの信仰が問われた。

 第二に「困難の中に問われた神への信仰」について見ていきたい。このような状態で集められた兵隊は「ひどく追い詰められ」(13:6)、洞穴や岩間に隠れていた。追い詰められたサウルは、自分を王に任命したサムエルを頼りに思っていた。サムエルは「私より先にギルガルに下って行きなさい。私も全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げるために、あなたのところに下って行きます。私があなたのところに着くまで、そこで七日間待たなければなりません。それからあなたのなすべきことを教えます」(10:8)と言っていた。しかし、ただ待つのは苦しく、その間にペリシテ人は包囲を固めつつあった。だがサムエルは七日のうちに来ず、兵が次々に戦線を離脱していった(13:8)。だが、この状況こそが神様への信仰がサウルに問われた瞬間であった。だがサウルがとった行動は、サムエルに代わ手t自分自身が全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げることであった(13:9)。「全焼のささげ物」は、神様への全き信仰と信頼を表すものであった。それをサムエルではなくサウル王が行ったことで、神様への信仰ではなく、「恐れを抱いている兵に見せる人間的なパフォーマンス」に成り下がってしまった。サムエルは、「神様を信頼して待つ」という全き信頼こそが求められていたのである、

 第三に「御心にかなった信仰」について見ていきたい。追い詰められたサウルは、自分勝手な判断を下して、それが終了した瞬間にサムエルがやってきた(13:10)。サムエルに問い詰められたサウルは、「兵たちが私から離れて散って行こうとしていて、また、ペリシテ人がミクマスに集まっていたのに、あなたが毎年の例祭に来ていないのを見たからです」(13:11)と答えた。人間的には道理が通りそうな言い訳であるが、ここで問われているのは人間的な道理ではなく神様との関係である。「神様を信頼して待つ」という重要性が問われている。「待つこと」はつらい。もし「待つこと」の先に実態のないぼんやりとしたイメージしかなければ「待つこと」は無駄である。だが「待つこと」の先に、生きて働く神様の御業が確信できれば「待つこと」は神様との関係を深めることである。サウルが七日間を過ぎたときに見るべきことは恐れて逃げていく兵ではなく、神様と自分の一対一の関係であった。サムエルはサウル王に「愚かなことをした」といい、神様の祝福を逃す一生を選んだと述べた(13:13)。私たちは「御心にかなう人」になるためには、「御言葉を信じて待つ」生き方を選びたい。苦しい状況、弱い自分を前提としながら、一対一で神様と向き合い、神様の御声を聞き、信頼して待つ必要がある。

2024/11/24
2024/11/17

2024年11月17日「危機から回復する祈り」(Ⅰサムエル12:18~25)

 私たちが「失敗から学ぶ」ことは多い。ただ「失敗をどう対応していくか」によって、その後の人生は違っていく。失敗をなかったことにするか、それともそこから学ぶかで、その後の人生は大きく異なってくる。イスラエルの民は、「王を求める」ことが神様に歯向かう大きな罪を犯す失敗をした。

 今日は、第一に「王を求める悪」について見ていきたい。サムエルは民に「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行った。しかし油に従う道から外れず、心を尽くして主に仕えなさい」(Ⅰサムエル12:20)と述べたが、この「悪」とは、民が「王を立てて欲しい」と神様に願ったことを指す。今日の箇所の前に、アンモン人がイスラエルを侵略したとき、サウルを頂いてアンモン人に勝ったときに王制を敷くことを宣言した(11:11-15)。この勝利は王政を敷く選択が成功したように見えたが、これは「これまで民を導いてきた神様を否定すること」であった。イスラエルの民は、王政を選び事で、大きな失敗を犯したのである。

 第二に「失敗したイスラエルが神様の民とされている」ことについて見たい。神様はイスラエルの歴史の中でずっと民を統治して導いてこられた。私たちは本来、罪ゆえに神様に捨てられても仕方がない存在である。その私たちが神様を拒否しているのだから、神様側から捨てられても文句は言えない。だがサムエルは「主は、ご自分の大いなる御名のためにご自分の民を捨て去りはしない」(12:22)と民に言った。神様はイスラエルの罪を「気にしない」のだろうか。そうではない。サムエルは「ご自分の大いなる御名のために」と説明しているように、神様は私たちの犯した罪をご自身の手に引き受けられ、その中から罪を自覚して新しい民が生まれることを願っておられるからである。後にイエス様の十字架という大いなる御業で、罪を犯したが神様との関係を回復させたいという願う人々を、ご自分の民として神様側が贖われたことと同じである。私たちは、神様の前に「罪ある者」「失敗した者」であるが、そこから学び、自分を見つめなおして贖われ、神様の民とされようではないか。

 第三に「危機から回復すること」について見ていきたい。サムエルは言う。「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめ、主の前に罪ある者となることなど、とてもできない。私はあなたがたに、良い正しい道を教えよう。ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい」(12:23-24)と民に語りかける。私たちは、失敗や弱さに対して自己肯定して逃げてしまったり、神様に対して背を向けようとしてしまったりする。だが神様を見上げ、神様の真実さや清さに向き合うことで「ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕え」ることが大切である。サウルが王となってからは、サムエル自身がこれまでの宗教的指導者としてイスラエルを導くことが少なくなってきた。それは王政への行こうと同時に、高齢化したサムエル自身の年齢のせいもあるだろう。しかし活動の幅が狭まった分だけ、サムエルは「さばきつかさ」としてするべきことの「核」だけが残った。彼は「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめ、主の前に罪ある者となることなど、とてもできない」(12:23)と神様への「とりなしの祈り」を続けること、そして「私はあなたがたに、良い正しい道を教えよう」(12:23)を残すと述べた。これから千年後の新約聖書の時代も、使徒たちは初代教会の混乱の中で日常の業務は誠実な後進に託し、「私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します」(使徒6:4)と宣言した。それこそが本当に大切な部分である。祈りは、多くの人の目に着く派手なパフォーマンスからは最も遠いものである。年老いたサムエルは、身体が弱くなっても祈りをやめる奉仕はやめなかった(Ⅰサムエル12:23)。それこそが私たちが最後まで止めてはいけないことである。

2024年11月10日「キリストの平和」(コロサイ3:12~17)

 コロサイ人への手紙は、紀元60年ころにパウロによって書かれた手紙である。このころのコロサイ教会にはいろんな人が集まって来るにしたがって、ギリシャ哲学や異教の教えが入ったりして、福音の本質を見失っていた。そんな際に、パウロは何が正しいのか何を基準とするかを語った。

 今日は第一に「キリストの平和とは何か?」と見ていきたい。パウロは「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい」(コロサイ3:15)と述べている。「キリストの平和」とは、「神は、ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解」(1:19₋20)させたことによるとパウロは述べている。この当時「平和」というと、ローマの権力によって支配地が広がり人々が自由に行き来できるようになって「ローマの平和(Pax Romana)」と呼ばれていた。だが「キリストの平和」とは、このように人の軍事力や権力でもたらした「平和」とは根本的に異なり、減り下って十字架の犠牲にまでなった御子の血によって、万物の和解を成し遂げられた神様の御業による。その和解の中で、神様との間に隔たっていた私たちの罪と敵意が、神様側の働きかけで取り去られたのである。私たちは日常生活の中で断絶や敵意に直面するが、神様がもたらされた「キリストの平和」は消えることなく断固としてある。

 第二に「キリストの平和が支配するとはどういうことか?」について見ていきたい。この「キリストの平和」は、自分たちが作り上げたものではない。自分の中には平安な気持ちが失われることもあるが、私たちは神様がつくりだされたゆるぎない平安のうちに生きることができる。そのために私たちが気を付けなければならないのは、この「キリストの平和」を取り除いてしまうものが私たちの心の中にはある。パウロはそれを「地にあるからだの部分。すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲」(3:5)と指摘し、それらを「殺してしまいなさい」と言っている。私たちは、神様に「平安を与えてください」と祈りながら、これらの「偶像礼拝」を保ち続けるならば、そこに矛盾が生じる。またパウロは、「怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい」(3:8)とも言っている。これらのものを私たちは捨てきっているだろうか。私たちは自己義認の心でこれら怒りを保つことも当然だと考えてしまう。みことばは私の心を照らして罪を浮かび上がらせ、「これらの思いを保ち続けてよいのですか?」と問いかけている。本来、私たちは、これらを自分自身では捨てきることができない弱さを持っているが、信仰をもってその問いかけを受け取る心が必要である。

 第三に「キリストの平和による一致」について見ていきたい。さまざまな民族や文化が交わるコロサイの町にある教会には、さまざまな宗教や価値観が入り込んでいた。たしかに私たちは民族も文化も異なる。しかしパウロは「あなたがたも召されて一つのからだとなったのです」(3:15)という。私たちは、同じキリストのからだに結びついて、お互いがぶつかりながらも成長し合って、キリストにある一致を目指す。それが教会に求められているである。「からだ」は、一つ一つの部分の役割は違うけど、全体としてまとまって成長していく。だが部分が、全体とは異なる動きや増殖をしだすとガンなどの「死に至る病気」と判断される。それほど重要なことである。私たちは、日々の暮らしの中で「キリストの平和」を求め、「キリストのからだ」としての教会の一致を求めていきたい。そして、この「キリストの平和」に照らされて、心のうちに「キリストの平和」があるか常に見つめていきたい。そのためには、みことばによって照らされた私のうちにある罪を見つめ、私たちの心を自己義認ではなくイエス・キリストに明け渡すことが必要である。

2024/11/10

2024年11月03日 「新しい人を着る歩み」(コロサイ3:1~10)

 教会では、11月の第一聖日に召天者のため記念のときをもっている。天に召された人たちの信仰の足跡をたどることは、後に続く者にとって大きな意味がある。もし、信仰を欠いてみるなら、人の生涯は死によって途絶えてしまう。どんなに地上にあって活躍した人でも、死を越えての働きをみることはできない。けれども信仰の視点で見るなら、死の向こうに神の約束された世界を見ることができる。

 コロサイ人への手紙は、起源60年頃、パウロとテモテから、小アジアにあったコロサイの教会に宛てて書かれたものである。教会の中に問題になっていたのは、教会の中に他の宗教が混ってきたことであった。
1.上にあるものを求める
 教会の中にあった混乱は、「食べ物と飲み物にいて、祭りや新月や安息日のことについて」(2:16)であった。また御使い礼拝をしている人たちが、自分たちの霊的な体験をもとに、教会の人たちを裁くということがあった。
 パウロは、そうしたことの多くが、人間的なものから出たもので、「何の価値もなく、肉を満足させるだけ」(3:22)とした。

キリスト者が求めるべきは、そうしたものではなく「上にあるもの」(3:1)である。上にあるものとは、ギリシャ哲学で語られる観念的なことではなく、キリストの死と復活によって明らかにされたものである。その栄光は「キリストと共に神のうちに隠されている。」(3:3)

2. 地にあるからだを殺す

「上にあるもの」と対立するのが「地にあるからだの部分」(3:5)で、これは神から離反している人間の本性が生み出している。キリスト者が「淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲」(3:5)に支配されているなら、「上

にあるもの」を求める信仰生活を送ることはできない。こうした部分は、キリストの十字架と共に既に葬られたものである。それを自分のレベルで受け止めるのが、「殺してしまいなさい」(3:5)ということである。これを生活に適用するのが、「怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべき言葉を捨てる」(7)ことになる。

3. キリストを着る

 上にあるものを求めることは、キリストという新しい服を着た人の成長の歩みである。その人はキリストのかたちに従って、日々に「新しくされ続ける」(10) この希望をもつときに、古い着物を脱ぐことに何の支障もなくなる。神のうちに隠されていたいのちは、キリストと共に歩む生涯を通して次第に明らかにされ、それはやがて「真の知識」(10)に至るものとなる。

 信仰者の生涯は、そのような神の恵みを証しするものである。地上においては、悩みと苦しみが絶えなかったとしても、あるいは悲しみが消えることがなくても、キリストが共にいてくださることの平安と希望を確かにもつことができる。そうした歩みの延長に真の知識がある。私たちは皆、いつか地上での歩みを終える。けれども、神と共に歩むことは、死によって断絶されることはない。死の向こうに「上にあるもの」が続いている。

2024/11/03

2024年10月27日「王権と人への恐れ」(Ⅰサムエル10:17~27)

 今日は衆議院議員選挙の日である。国の体制によって国の行く末が変わることはいつに時代も同じである。先週の話の中でサウルがイスラエルの初めての王として立てられることとなった。本来、信仰共同体であったイスラエルが、今から三千年前に初めて王政に転換した。

 今日は、第一に「王になるために立てられた神様の導きと恵み」について見ていきたい。サウルは実力でのし上がった人物でも、民に選ばれた人物でもなかった。父の命令で雌ろばを探しに行ってサムエルに出会い、自分がイスラエルの初代王になるために神様に選ばれたことを告げられたことは、彼にとって降ってわいた出来事であった。私たちも人生の中で、自分では全く考えられなかった導きを神様から与えられることがある。サウルも、神様の導きによって人生が変えられた。サムエルはサウルに油を注いだが(Ⅰサムエル10:1)。この「油を注ぐ」というのは、神様からの特別な「任職」を意味している。この出来事はサウルの人生や価値観の転換であった。その転換は、神様の導きによる「出会い」がその大きなきっかけとなる(10:2)。サウルが信仰の人々と出会った場所は、イスラエル十二氏族の祖であるヤコブの妻でありサウルが属するベニヤミン族の祖・ベニヤミンの母・ラケル(創世記35:18)の墓の前であったことは、神様の導きとあわれみではなかったか。さらに「タボルの樫の木」(Ⅰサムエル10:3)もイスラエルの不信仰を嘆いた女性デボラ(士師記4:5)に関わる場所で、彼は民族の歴史に関わる場所で信仰の人たちと出会い王としての視点を備える機会を神様から与えられたことになる。神様は私たちにも、様々な転換に導いておられる。それを真摯に受け止めていかねばならない。

 第二に「サウル王の弱さ」について見ていきたい。弱小氏族であるベニヤミン族に属する無名のサウルを「神様に選ばれた王である」と認めさせることは困難なことであった。そこでサムエルはミツパにイスラエルの民を集め(Ⅰサムエル10:17)、王を立てることは神様を退けることになる、それをおまえたちは求めたのだと再確認した(10:18-19)。その上でくじを引かせて、神様のみこころを知らしめた(10:20-21)。くじで選ばれたサウルは、すでにサムエルに油を注がれているから(10:1)神様から王として任職されているのは知っている。しかし全イスラエルの前でくじが当たったサウルは、恐れのあまり荷物の間に隠れてしまった(10:22)。彼は「自分が王となる」ということを神様の導きとして神様を見上げるのではなく、自分の内側の資質や自分に注がれる民衆の目だけを見ていた。また彼は神様の目からは隠れおおせないことも考えられなかった。そこに彼の信仰の弱さが表れている。私たちも、神様の導きやみこころに立っているだろうか。サウルのように自分の内側や人の目を気にしてはいないだろうか。そのようになると、神様の恵みや新しい世界への導きが活きてこなくなる。

 第三に「王権の確立」について見ていきたい。聖書は、その時の様子を「彼らは走って行って、そこから彼を連れてきた。サウルが民の中に立つと、民のだれよりも、肩から上だけ高かった」(10:23)と描写している。まったく王の任職式らしからぬ様子であるが、実際に連れ出されると他の人とはちょっと違うぞという期待を抱かされる容姿であった。そのタイミングでサムエルが「主がお選びになったこの人を見なさい。民全体のうちに、彼のような者はいない」と宣言すると、民衆は「王様万歳」と態度を一変した(10:24)。一方、その任職に反感を感じる者も少なくなかった(10:27)。特にサウルが属するベニヤミン族は、全イスラエルと敵対した結果弱小氏族であった。しかし、そこには神様の選びの意味のメッセージも込められている。また、このとき批判し人々にサウルは黙っていたが(10:27)、その後、王となった彼は批判者を粛正する王となった。彼は、最後のところで神様を見上げることができず地上的なものに目を留めてしまった。私たちも、サウルと同様の選択を神様に迫られている。

2024/10/27

2024年10月20日「最初の王サウル」(Ⅰサムエル9:1~17)

 私たちは人生に迷うとき神様から導きを求めるが、それは実生活の中で神様の実感する良い機会である。前回のメッセージで、信仰集合体であったイスラエルの民が王権を求めた話をしたが、それは神様による導きの否定と同義であった。しかし神様は、民の願いを受け入れて王権を立ててあげた。

 今日は第一に「不信仰な民を導かれる神様の業」について見ていきたい。実は、この「ベニヤミン人」はイスラエルの十二部族のひとつを意味するが、この時代のイスラエルの中で特殊な立ち位置であった。ベニヤミン族のよこしまな者たちが犯した事件がもとで(士師19:16-30)、他の十一部族と対立して内戦となり(20:1-48)滅ぼされかけた(21:1-25)。その結果、数の上でも立場的にも「最も小さな部族」(Ⅰサムエル9:21)でしかなかった。神様は、そんな部族から王を選ぼうとされた。他の十一部族からしたら、それは思ってもみない選択肢だった。ただ神様に選ばれることになるサウル自身は、人間的な見方からすると王となるような資質を備えていた。彼はベニヤミン族の有力者キシュの息子で、美しく身体も立派な若者であった(9:1~2)。このサウルは、雌ろば探しの旅の中で手を尽くしたにもかかわらず八方ふさがりになったとき(9:5)、しもべの進言によって「神の人」に頼ってみようとの意見に従った(9:6-10)。これが神様に祈り導きを求める発想が、サウルに芽生えたきっかけである。

 第二に「神様のみこころに導かれていくサウル」について見ていきたい。サムエルのところに行くこととしたサウルは、「もし行くとすると、その人に何を持っていこうか。私たちの袋には、パンもなくなったし、神の人に持っていく贈り物もない。何かあるか」(9:8)と言った。つまり、このときのサウルは何もない状況を見つめていた。しかし、このしもべは「神の人がいる」(9:6)「四分の一シェケルの銀がある」(9:8)という状況を見つめていた。この状況で与えられたものを見つめて町に上ると、「水を汲みに出てきた娘たち」(9:11)に出会い、娘たちはサムエルが「この先におられます。さあ、急いでください。今日、町に来られました」(9:12)と答えた。ある状況を信じて神様の導きを求めるとき、明らかに神様が働かれたような状況に導かれていった。私たちはどうしようもない状況に陥り迷うこともある。しかし、そんな状況の中でたしかに神様が導かれている。あとはタイミングの問題である。

 第三に「サウルが王として示されていく出来事」について見ていきたい。一方、民が王を求めているもののどうしたらいいかわからない状況のサムエルの方にも、神様は導かれた。神様はサムエルに「明日の今ごろ、わたしはある人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたはその人に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びがわたしに届き、わたしが自分の民に目を留めたからだ」(9:16)と示された。サウルの視点から見たら、雌ろばを探すために旅をして、雌ろばを見つけるためにサムエルに会いたがっただけである。王になるために来たわけではない。しかしサムエルに語られた神様のみこころは、王となる人を「ベニヤミンの地からあなたのところに遣わす」(9:16)というものであった。さらに「神様から離れて王政を求めたイスラエルの民に、神様は王を与えるのか」分からなかったサムエルに対しても、「あなたはその人に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びがわたしに届き、わたしが自分の民に目を留めたからだ」(9:16)と、民の救済のためにあったというみこころを伝えた。その上でさあ、わたしがあなたに話した者だ。この者が私の民を支配するのだ」(9:17)と述べた。今後、王が立てられたらサムエルの役割も縮小され、民は王様を見ていくようになる。しかしサムエルは、神様のその導きに従順に従った。このことはイスラエルの大きな転換であったが、そこには私たちの目に見えない大きな神様の働きと導きがあった。

2024/10/20

2024年10月13日「王を求める声」(Ⅰサムエル8:1~10、19-22)

 イスラエルは神様への礼拝を中心とした信仰の共同体であったが、士師の時代になるとほころびが目立ってきた。祭司エリの時代に神様の契約の箱が奪われて帰ってきてサムエルの時代に信仰の復興が行われたが、サムエルが歳をとると再びイスラエルの体制にほころびが出て来るようになった。

 今日は第一に「王を求めたイスラエルの民」について見ていきたい。サムエルは一生の間、イスラエルをさばいてきたが、晩年になってその一部を息子たちが担うようになった(Ⅰサムエル8:1-2)。しかし息子たちの信仰は「利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきを曲げていた」(8:3)と、サムエルとは程遠いものであった。サムエルは、祭司エリの息子たちが信仰の道から外れたため、神様の契約の箱を奪われ悲惨な最期を遂げたことを知っている。それを見てきたサムエルは、当然、息子たちを信仰の道に歩ませようとしたが、必ずしも成功しなかった。しかも、そんな息子たちを「さばきつかさ」に任命したことは、サムエル最大のミスであった。これはクリスチャンの家庭においても、教会においても起こりうることである。もちろん教会は世襲ではないが、教会での行動が形だけの儀式に陥ることは現に避けなければならない。また多くのクリスチャンの家庭が信仰の継承の難しさを感じている。

 第二に「民の要求に隠された不信仰」について見ていきたい。このような状況でイスラエルの長老たちは、「さばきつかさ」に代わって王を立てるよう要求した。たしかに信仰が継承されていない息子たちにさばかれるよりは、王を求めることは自然かもしれない。しかしサムエルは、そこに大きな問題が潜んでいるのを感じ取ったので(8:5)、祈りの中で神様に導きを求めた(8:6)。これに対する神様の答えは「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから」(8:7)というものであった。「神様に祈り、律法に基づいて祭司がさばく」体制から王政へと移行するということは、神様の権威を拒否して王の権威を最上とするとんでもない転換であった。しかもイスラエルの民は「ほかのすべての国民のように」(8:5)というように、神様に導かれてきた生活を完全に否定し「神様を知らない他の国民のようになりたい」という考えを心に抱いたことになる。彼らは神様から離れる悲惨について、まったく実感を持っていないことが分かる。そこで神様は、「王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう」(8:20)のような幻想を持っている彼らに、王が立てられた場合の自己中心的な王の統治の悲惨な状態を伝え、民を愛と恵みを与え正しく導いてきた神様と真逆であった。そしてその状態は、簡単には元に戻せないと警告をした(8:18)。

 第三に「民の声を聞きいれた神様」について見ていきたい。イスラエルの民が間違った要求をしているのなら、神様はそれを拒否するのが自然に思える。しかし神様は、サムエルに「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ」(8:7)と命じられた。それは、例え神様がサムエルを通して説得しても着きれない民の心のかたくなさに対応されたよう見見える。事実、神様がサムエルを通して王がいかに自己中心的で、王政を選ぶことで民は王の奴隷になると微に入り細に入り説明しても、「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です」(8:19)と返している。これは神様の「妥協」なのか。そうではなく、神様がかたくなな民に、さらに神様がへりくだって厳しいながらも民が自ら気付き立ち返るまでの忍耐を神様が選ばれたのではないか。全生涯をかけてイスラエルを神様に立ち返らせようと尽力してきたサムエルにとって、受け入れがたい状況であった。最後に集まってきた民に「それぞれ自分の町に帰りなさい」(8:22)という言葉にさみしいサムエルの思いが感じられる。それでも神様の御心を受け入れるサムエルの信仰を、そこに見ることが出来よう。

2024/10/13
2024/10/06

2024年10月6日「エベン・エゼルの碑」(Ⅰサムエル7:1~12)

 先週、日本同盟基督教団の会議があり、教会の将来について話し合った。私たちの教会の歴史を振り返っても様々な停滞や後退などの時期もあった。このときのイスラエルも「神の契約の箱」は帰ってきたが、それでイスラエルの信仰が復興したわけではなく、停滞の時期であった。

 今日は第一に「失われた二十年」について見ていきたい。帰ってきた「神の契約の箱」は、二度と奪還されないように「キルヤテ・エアリム」の丘の上で保管された。たしかに敵から守るにはよい場所だが、イスラエル人が気軽に訪れることができず、神様との関係は停滞し二十年がたった。その結果、異教の神々がイスラエルの社会に蔓延した。その一方で、生ける神様に対する渇望は高まっていた(Ⅰサムエル7:2)。失われた二十年は、その一方でサムエルを通して神様のことばが受け入れられる下地が準備されていた時期だともいえる。時が満ちたとき、サムエルは「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます」(7:3)と、全イスラエルに悔い改めを求めた。バアルやアシュタロテは、この時期に、この地方に広まっていた神々であり、その異教信仰は過去にもしばしば神様の怒りの対象となっていた(士師記2:13)。しかし神様は、イスラエル人を滅ぼすことはせず、愛と忍耐をもって導いてこられた。

 第二に「危機の中での信仰」について見ていきたい。このような状況の中で「イスラエル人は、バアルやアシュタロテの神々を取り除き、主にのみ仕えた」(Ⅰサムエル7:4)という行動をとり始めた。これに応えてサムエルは、イスラエル人をミツパに集め、人々は霊的な渇きを満たすために断食と祈りをもって神様に祈り悔い改めた(7:6)。ペリシテ人にとっては、このイスラエル人の行動は「自分たちと異なる神様に祈る」「神の契約の箱の下に全イスラエルが集結する」という反乱行為に映ったのであろう。現代日本でも、キリスト教信仰を持っただけなのに「先祖伝来の宗教を捨てて家族をないがしろにした」と思われてしまった方も少なくはない。ペリシテ人の拒絶反応もよく似たものであった。このときは「神の契約の箱」が奪われたときの戦いよりも兵士の数は少なくなり、ペリシテ人との兵力差もさらに開いていた。そんな中でイスラエルが採った行動は、以前のように「神の契約の箱」を押し立てて人間の驕りを持って攻めていくことではなく(4:3)、サムエルを中心に民全体が祈ることであった(7:8)。そこに神様と向き合い神様のことばに従おうとする、イスラエルの信仰の成長が見て取れる。私たちも日常生活の中で神様を意識することは残念ながら少ない。しかし危機的状況になったときにギリギリの中で神様のことばに立つ選択をする。そのことで信仰の成長も行われるのも事実である。

 第三に「信仰による勝利と感謝のあかし」について見ていきたい。サムエルは「乳離れしていない子羊一匹を取り、焼き尽くす全焼のささげものとして主に献げた」(7:8)という行動をとった。これはイスラエル人が罪にまみれていることを認め、神様の前に贖いを求めたのである。これに対して神様は、イスラエルの民に答えた。ペリシテが攻め込んできたのは、この儀式をしつつ全イスラエルが祈り求めている無防備な状態のときである。人間的には最悪な状態であるが、神様は「ペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱した」(7:9)。一方、イスラエル人は雷鳴を神様の力と確信でき、勇気をもってペリシテ人を打ち負かせた。この戦いの直後にサムエルは、「一つの石を取り、ミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、『ここまで主が私たちを助けてくださった』」(7:12)と、神様に対する信仰とあかしとして記念をした。それは、単にペリシテ人に勝利したことを記念したのではなく、イスラエルの信仰の回復となったあかしであった。

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