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執筆者の写真: 秋山善久秋山善久

 一年程前から、気が合った人たちと仏教の学び会をしています。先日は、「善悪不二」ということを学びました。「ぜんあくふに」と読み、善と悪は別々のものではなく、善の中に悪があり悪の中に善が在するというものです。悪とされていたことが、いつの間にか善とされていたり、反対に善とされていた人の中に悪が見出されたりする。こうしたことが起こるのは、もともとこれらが一つであったということのようです。

 最近のニュースに触れるとき、確かにそうしたことを考えさせられます。例えば、コロナウィルスの感染対策としてのワクチン。当初は対策の切り札として持てはやされました。けれども、その後は後遺症が出たり、これが原因で死亡したケースが多く報告されたと聞きます。これに懸命に関った人たちが、善とされたり悪とされたりしているのを聞くと、今の時点で裁かれることにやりきれない気持ちになったりします。戦争にしても、複雑な事情が絡み合っていることがわかってきて、どちらが善でどちらが悪か明確に判断できない。

 そうしてみると、人間の中に善と悪が入り混じったものがあると説かれるのは、キリスト者である私も納得します。けれどもキリスト教が仏教と大きく違うのは、福音はこうした混沌とした人間性の中に悟りのような光を見るのではなく、人間の中には深く染み込んでいる罪という現実を認めていることだと思うのです。キリストの十字架というあらわれでした。仏教の学び会でも「聖書は人の罪を正直に書いているんですね」と感想が語られました。

 そうした声を聞きながら、全的堕落という教理を思い出しています。

執筆者の写真: 秋山善久秋山善久

 介護の夜勤開けでしたが、家に帰って朝食をとる間もなく、慌ただしく新幹線に乗りました。東京で開催された教団総会に出席するためです。仙台を出るときからの雪が東京駅に着いても止まないのは想定外。やはり傘を持ってくるべきだったと悔みながら、会場である両国にある国際ファッションセンターに急ぎました。数年前から、ここの会議室が利用されているのは、交通の便、使用料金、使い易さなどを、理事会が総合的に判断してのことでしょう。

 初めて教団総会に参加したのは、50年程昔のことになります。それは牧師になる前のことで、その時は役員としての立場でした。伊豆の天城山荘が会場で、大広間に10人程が雑魚寝した覚えがあります。会議自体も二泊三日で、今の一泊二日より長いものでした。今回は一泊二日で、宿泊は各自で都内のホテルを予約したのです。会議の持ち方も全くといっていい程に変化しました。今は議員制になっているので出席人数が絞られ、議場での議事進行は議案に対する質疑と採決に絞られています。

 以前は、議案に対する反対意見とか、議案との脈略のない意見とか要望がいうものが、議場に混在していました。マイクを握って離さない人がいたりして、そのため議事進行がたびたび立ち往生したものです。

 今回の会議は予定時間に終了し、二日目の午後からは典礼として補教師の任命と正教師の按手式が行われました。私は閉会礼拝の前に早退し、新幹線に急ぎました。前日と違って発車時間に乱れはなく、定刻に仙台駅に到着。帰宅して、そのまま介護の夜勤という、強硬スケジュールに間に合いました。

執筆者の写真: 秋山善久秋山善久

更新日:3月14日

 震災の追悼記念があった日の前日、故郷である気仙沼まで車を走らせました。海は、どこまでも青く穏やかでした。魚市場周辺の埠頭には多くの漁船が連なって、昔の活気をとり戻しているかのようです。それでも、打ち消しても打ち消しても、どうしても14年前の光景が頭をよぎるのでした。

 あの日、仙台市内も停電で真っ暗闇になりました。私たち家族は、石油ストーブで暖をとりながら、ラジオのアナウンサーが、荒浜の海岸に多くの遺体が横たわっていることや、気仙沼湾一帯に火の手が広がっていることを報じるのを、信じられない思いで聞いていました。そして、被害の広がりに怯え、言いようのない理不尽さに懊悩し、不安と悲しみに暮れて、懸命に何かを手繰り寄せようとしていたような気がします。

 復興事業が完了した大谷海岸に足を運んでみると、かつては最も海水浴場に近いJR駅とされた所が震災伝承館を兼ねた道の駅になっていて、観光客が列をつくっています。 

 国道を跨いで、新しく工事で作られた砂浜に立ち、しばらく海と空を眺めていました。震災から一年以上、海は茶色に濁った色をしていた記憶があります。それが今は水平線まで深い青を重ねています。仰ぎ見た空には雲が一つもなく、水晶のように透き通って吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚えました。

 「神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた」(創世記1書7節)と聖書にあります。説明のできない悲しみとか悩みというものは、空と海が一つであった創造のときまで、遡らなければわからないのかもしれない。そんな思いがしました。

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