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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年1月19日

 先日、ある方から、どうして牧師になる決断をしたのですかと質問を受けました。職業として考えたら、牧師とはきわめて稀有な存在に思われたのでしょう。数のことではなく、損得の考え方とは別の次元にいるということのようでした。自分では踏み慣らした道であっても、他の人から見ればそうでないのかもしれません。振り返ってみれば、牧師としての歩みは荒野に備えられた道のように、困難はあっても恵みの道でした。そんな感慨を抱きながら、その道に踏み入る決断をしたときのことを思い出しました。

 当時、私は某電気会社の社員でした。教会に通うようになって五年ぐらい経っていて、青年会の会長をしていました。教会にはたくさんの青年が集まり、常に活気が溢れていました。あるとき、牧師は、教会のリーダーの訓練会を始めると言い出しました。テキストとなったのが、スポルジョンによる「牧会入門」でした。私は小説以外にそんな分厚い本を読んだことがありませんでしたが、それでも読む前から神聖なものを感じたのでした。その第一章に記されていたのが教役者への召しということです。今でも印象深く残っているのは、「もしあなたが教役者にならなくてもいいと思っているところがあるなら、ならない方がいい」と書いてあったことです。要するに教役者になるには、自分では抑えることができない程の内的な確信がなければならないということなのです。預言者エレミヤが「私は内にしまっておくのに耐えられません」(エレミヤ20:9)と述べているような熱意です。それは神からの召しということで、これがないなら教役者になってはならないとありました。

 それをどのように受け止めたのか、記憶に曖昧なところがあって、論理的にうまく説明することはできません。それでも自分の思いだけで決めたなら、教会が立ちいかなくなったとき、自分自身の方向性を見失うだけでなく、教会にも迷惑をかけるだろうと考えたことは覚えています。実際にこれまでの歩みの中には、そんなことが数多くありました。それでも前に進むことができたのは、主の召しが真実であったからだと思っています。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年1月12日

更新日:2024年1月13日

 能登半島地震の被害状況を知るにつれ、13年前の東日本大震災の記憶が呼び覚まされます。あのときも寒かったけれど春分の日が近かった。今回の地震は冬真っ只中です。底冷えがする西風に、子どもや高齢者の健康が害されはしないかと心配です。障がい者やその家族の中には、避難所さえも利用できない状況が発生しているかもしれません。東日本大震災のとき、支援活動をしていた地区で障害者の窮状を知ったのは、地震の発生から一年が過ぎてからのことでした。

 緊急避難では、ライフラインの確保が最優先にされます。それが防災の鉄則ですが、道路が寸断されているので、避難所に水とか食料品さえも十分に届いていないということです。被災した人たちの中には、「自分たちは見捨てられた」と孤独感や喪失感に陥っている人がいるということです。そうした人たちに支援の手が届くことが、社会全体の役割りとして強く求められていることでしょう。小さくても、そんな働きの一つに加わってみたいと願っています。

 被災者の悲しみが癒されるのはいつのことになるでしょうか。それでも必ず復興のときが来る。そう信じて一歩一歩前に進んでもらいたいです。そうした中で、失われないものに目を止めることができるかもしれません。東日本大震災を通して、そうした希望を見出した人たちがたくさんいるのですから。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年1月3日

 年明けに襲った能登半島地震に心を痛めています。地震は今も続いていて、日を追うごとに被害が拡大してきました。3日現在、地震による犠牲者数は73人とされています。古い木造家屋が倒壊し、その下敷きになったというケースも多かったようです。本来なら正月の一家団欒のときですから、一瞬にして身内が失われてしまったショックはどれ程のものであるか想像に難くありません。遺族となられた方々は、日が過ぎるごとにますます悲しみが深くなることでしょう。主の慰めと励ましがあるよう祈ります。火事で焼失した輪島の商店街は、昔、金沢に住んでいた頃に牧師会が終わってから行ったことがあります。野菜や海産物の中に輪島塗りなどの土産品が並んでいた様子が印象に残っています。そこにある朝市は観光客に混じって地元の人たちも利用していました。観光スポットとして欠かすことができないばかりか、地元の人たちの生活を支える日常の場です。それらが全て焼失したというのですから、輪島の人たちの喪失感はどれほどに大きいものだろうと案じます。

 2024年のスタートに、こんな災害が来るとは誰も想像しなかったことでした。今年は一体どんな年になるのかという思いがしないでもない。

 近くの池に白鳥たちが飛来しています。水面を優雅に移動する白鳥たちは、飛び立つときには翼を激しく羽ばたかせています。主はこの年も共にいてくださいます。臆することなく羽ばたいて、大空の気流に乗っていきたいと思います。

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