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執筆者の写真秋山善久

更新日:1月3日

 果物の中で何が一番好きですかと聞かれたら、少し歯に噛みながらも柿と答えるでしょう。柿を食うということに郷愁を覚え、一枚の絵を観賞しているような感覚に浸ってしまうからです。昔、実家には大きな柿の木があって、毎年たくさんの実をつけました。それは小さな卵の形をした渋柿で、木の周辺は子どもたちの遊び場になっていました。秋の陽を受けながら夕暮れまで走りまわったことや、柿の枝に吊るしたブランコを思いきり漕いでいたことが懐かしく記憶に残っています。

  実家がある気仙沼市の山奥にキリシタンの殉教碑が立っています。以前にはそこから近いところに宣教師が接ぎ木したといわれる柿の木がありました。郷土史には幹回りが2.8メートルの大きな木で、樹齢が200年に及ぶとあります。古老の話によると、根本からみて接ぎ木であることがわかり、その手法は宣教師の教えによったものとのこと。ちなみにポトガルの宣教師たちは、柿をいちじく(figo)と考えていたようです。

  この碑殉教が建立されたのが文政8年(1825)2月。江戸幕府によって異国船打払令が発布された年です。当時の江戸幕府の迫害を恐れて、キリシタンとは全く関係がないよう入念にカモフラージュしてあります。けれども、それまでして立てなければならなかった当時の事情があったのでしょう。

  一度、兄と一緒にこの柿の木を見に行ったのですが、既に切り倒されていて切り株の跡しか残っていませんでした。殉教した人が誰であったかも知ることはできません。ただ、宣教師の教えによって育った柿の木だけが、その後200年生き延びたということは確かなことです。そんなことを考えると、柿を食べるときに郷愁がますます深くなります。

執筆者の写真秋山善久

更新日:2023年10月28日

 秋らしい季節になって、クヌギやナラの木の下には、たくさんのどんぐりが落ちています。子どもの頃は、それを集めてヤジロベーを作ったりしたものですが、近頃そんな遊びをする子どもはいるのでしょうか。どんぐりの実は種ですから、しっかり蒔いて育てさえすれば、やがて芽を出して木に成長していきます。でも木の下に落ちたどんぐりが芽を出し木にまで成長する確率というのは、ほとんどゼロに近いのではないでしょうか。それよりも、鳥とか小動物によって食べられてしまう。また、そうした鳥や小動物によって他の場所に運ばれて、そこで芽を出したりすることは初めから計算されているのかも。

 熊がどんぐりを食べることはよく知られています。今年などは、猛暑の影響で山にどんぐりが少ないので、熊は人がいる里や住宅地にまで下りてきたりしています。熊だっていろいろあるんでしょう。あるいは胃の調子が悪くなって未消化のまま排泄したりする。それでどんぐりが芽を出すということが起こり得るかも。勝手な想像ながら、そんな不測の事態で発芽するのがメインかもしれないです。ありそうもない出来事が生存のシステムであるとすれば、自然の奥深さは人の知恵の遥かに及ばないものです。どんぐりが落ちてしまうと紅葉が進み、やがて葉を落としていきます。その葉が地面を覆うと腐葉土の役割をする。どんぐりにとっては布団のようなものでないでしょうか。葉が先に落ちて、実だけが残る木もあります。そうした木の実は鳥が来て食べてしまう。これはこれで、実が芽生える可能性を秘めていると言えるでしょう。

 万事が効率だけが優先される今日の社会では、こんな不効率なシステムを適用した企画など見向きもされないでしょう。でも、気が遠くなるような時間の中で、しっかりと支えられ、根付いてきた自然の営みのひとつひとつをもう一度考え直してみたいと思います。

執筆者の写真秋山善久

 二泊三日で教団の牧師役員研修会に行ってきました。会場は掛川市にある「つま恋リゾート彩の郷」。自分たちが宿泊する建物の傍には、大きな金木犀が植えられていて、あの独自の強い香りが放たれていました。研修会のテーマが「THINK AGEIN とぅげざー」 ~これからの宣教ということです。今回企画立案したのが、宣教部の若手の教師たちということで、従来の研修会とは少しばかり趣が違ったものになりました。今までは、研修会と言えばメインの講師が立てられ、その講演を皆で聞くという形式でした。それに対し今回は、発題者が複数いて、それに複数のパネラーが応答するというものです。また参加者全員が年代と経験数に応じて38のグループに分けられ、4つのセクションの内容を、そのグループ内で更に討議するというものでした。そのため互いに話し合う時間が多く持たれ、その分だけ濃い交わりができたように思います。

 一番驚かされたのは、最後のまとめの時間です。話し合った内容を、5分間の持ち時間で発表するというものです。38もグループがあるので、時間の関係で抽選で当たった12グループが発表ということでした。ただし抽選の直前まで、全部のグループがまとめを考えました。私のグループでも、時間ぎりぎりまでこまでの討議を振り返って内容を考えました。発表の形式は問わないということでしたが、実際に発表が始まってみると、オーソドックスに話したところ、宣言文にしたところ、寸劇にまとめたもの、替え歌を作って歌ったものなど多彩でした。それぞれが完成度が高く、10分程度の時間でどうしてこれができたのと感心させられるものばかり。会場も大いに盛り上がりました。老いも若きも、一つになって宣教を考える。その同労者は実に多彩でユニークな賜物をもっている。そんなことを感じた研修会でした。

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