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執筆者の写真秋山善久

 敬老の日の午後、無性に泳ぎたくなって温水プールに出かけました。例年だと、初秋が感じられる頃なのに、虫の鳴き声と共に夏の太陽が輝いてました。連休の最終日とあって、スポーツパークには親子連れが多くどこも混みあっていましたが、どうしたわけか一つのレーンだけ誰も泳いでいません。プレートに上級者用とあり、25メートル地点で停まらずUターンするように表示されてあります。

 子供の頃、泳ぎは家の近くの川で覚えました。上級生が足が届かない深みに押し出すのです。息ができずバタバタしているうちに何となく泳げるようになる。今では考えられない危険なやり方でした。それに白黒テレビに映る東京オリンピックの中継をみて、いろいろ研究したことが懐かしい。

 こうして覚えた我流の泳ぎなので、決してスマートな上級者ではありません。それでも最近覚えたてのバタフライで泳いでみることにしました。この泳ぎは、驚くことに日本人が発明したと言われます。それがクロールや平泳ぎとは比べものにならないほどにしんどい。全くの初心者であれば、泳いでいるのか溺れているのか見分けがつかないこともあるでしょう。実は、you tubeで泳ぎ方のポイントが解説してあるのをみつけたので、実際に試してみたいと思っていました。スタートは、体をくねらせながら前進し、水上に出てから両手を揃えて水をかく。その間に両足で二回キックする。それに合わせて腰を上下させるとなかなか複雑です。

 You tubeで学んだことをイメージし、思い切り足を蹴って泳ぎ出すと、意外と前に進むことができました。でも他のレーンの人からは、おじいさんが溺れているようにしか見えなかったでしょうけれど。それでも救助に飛び込む人もなく、50メートルを泳ぎ切ることができました。次はバタフライで100メートルを泳げるようになるといいのですが。

執筆者の写真秋山善久

更新日:2023年9月12日

 ときどき、自分の力では何ともならない問題に直面することがあります。そんなときには、何とかしなければという心理的な迫りと、自分の力不足を自覚して関わるべきでないという思いがせめぎ合います。以前、震災支援の関係で障がい者施設の立ち上げに関わったときもそうでした。議論が沸騰した長い会議を終えての帰路、まっ暗い夜の海に出て長い時間を過ごしました。善意の支援であっても、それが中途半端で終わったら、かえって相手を失望させ傷つけてしまうことだってある。どうしていいのかわからず、ただ波打ち際に打ち寄せる波の音だけを聞いていました。そうしていると、不思議と道が開かれるような気がしてきたことを思い出します。

 最近読んだ神谷美恵子さんの本に「限界状況的なものに直面したときの人間の心情には、普遍的なものがある」とありました。ライ病患者のため、長島愛生園の精神科で治療に当たった医師の言葉として心に残りました。

 近く、震災前から関わってきた男性が、長い刑期を終えて刑務所から出所します。どのように関わるのか、どのような支援ができるのか。主の導きを待っています。



執筆者の写真秋山善久

更新日:2023年9月12日

 私にとって9月は特別な月です。誕生日が9月、洗礼を受けたのも9月、そして結婚したのも9月であるからです。50年前、教会と牧師館を兼ねた風呂場での洗礼式でした。狭い戸口に教会員がびっしり詰めかけ、大きな声で賛美してくれたことを覚えています。司式は全盲である馬場靖先生で、その日、私の他に男子大学生のFさんと女子高生のEさんが受洗しました。馬場先生は目の障害があるとは全く感じさせない明るさがありました。集会では常にジョークを言い、駄洒落を飛ばし続ける。それでいて人を感動させるメッセージをとり継いでくれます。その馬場先生は、翌年、大阪の松原に転勤していかれました。

 当時の教会は、普通の民家を改装して集会場としたものでした。外観はとても教会とは思えないのですが、常に活気があり、多くの青年や高校生たちが集まっていました。その頃の青年の中で3人が同じ教団の牧師となり、今もときどき連絡をとり合っています。また他の教団で牧師や牧師夫人になった人が数人います。これまでの歩みで、苦しかったことや辛い思いをしたことは数多くあります。それでも脳裏に残る母教会の風景は、決して薄れることがありません。すべては主の恵みであったと思います。

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