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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年9月11日

更新日:2023年9月12日

 ときどき、自分の力では何ともならない問題に直面することがあります。そんなときには、何とかしなければという心理的な迫りと、自分の力不足を自覚して関わるべきでないという思いがせめぎ合います。以前、震災支援の関係で障がい者施設の立ち上げに関わったときもそうでした。議論が沸騰した長い会議を終えての帰路、まっ暗い夜の海に出て長い時間を過ごしました。善意の支援であっても、それが中途半端で終わったら、かえって相手を失望させ傷つけてしまうことだってある。どうしていいのかわからず、ただ波打ち際に打ち寄せる波の音だけを聞いていました。そうしていると、不思議と道が開かれるような気がしてきたことを思い出します。

 最近読んだ神谷美恵子さんの本に「限界状況的なものに直面したときの人間の心情には、普遍的なものがある」とありました。ライ病患者のため、長島愛生園の精神科で治療に当たった医師の言葉として心に残りました。

 近く、震災前から関わってきた男性が、長い刑期を終えて刑務所から出所します。どのように関わるのか、どのような支援ができるのか。主の導きを待っています。



  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年9月3日

更新日:2023年9月12日

 私にとって9月は特別な月です。誕生日が9月、洗礼を受けたのも9月、そして結婚したのも9月であるからです。50年前、教会と牧師館を兼ねた風呂場での洗礼式でした。狭い戸口に教会員がびっしり詰めかけ、大きな声で賛美してくれたことを覚えています。司式は全盲である馬場靖先生で、その日、私の他に男子大学生のFさんと女子高生のEさんが受洗しました。馬場先生は目の障害があるとは全く感じさせない明るさがありました。集会では常にジョークを言い、駄洒落を飛ばし続ける。それでいて人を感動させるメッセージをとり継いでくれます。その馬場先生は、翌年、大阪の松原に転勤していかれました。

 当時の教会は、普通の民家を改装して集会場としたものでした。外観はとても教会とは思えないのですが、常に活気があり、多くの青年や高校生たちが集まっていました。その頃の青年の中で3人が同じ教団の牧師となり、今もときどき連絡をとり合っています。また他の教団で牧師や牧師夫人になった人が数人います。これまでの歩みで、苦しかったことや辛い思いをしたことは数多くあります。それでも脳裏に残る母教会の風景は、決して薄れることがありません。すべては主の恵みであったと思います。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年8月31日

更新日:2023年9月3日

 今日8月31日は、今年最後のスーパームーンがみられるとニュースにありました。地球と月の距離が一番近くなる満月で、そのため月がいつもより明るく大きくみえるということです。実際には、30日の午後10時から31日の未明までもそうだというのです。期待していたのですが、昨晩のその時間、仙台の空には雲がかかっていて何も見ることはできませんでした。今朝早く起き外に出てみると、雲はどこかに流れてなくなっていたのですが、既に月は隠れていて、明るい星が一つ輝いているだけでした。

 「あなたの指のわざである あなたの天 あなたが整えられた月や星を見るに 人とは何ものなのでしょう。」 詩篇8:3

 散歩の途中、どうしてこれが月や星なのだろうかと考えました。創造の偉大さを語るなら、月や星より太陽の方が圧倒しているのにと。それでも月や星をみているダビデの姿に

惹きつけられます。そこに悲しみが込められているような気がします。それは文学において語られるロマンのようなものではなく、生活の中で味わってきた苦しみや悲しみ。人の弱さを嫌という程に痛感してきたもの。「人とは何ものなのでしょう」という中に、そんな自己認識があり、この詩ではその自分が神の被造物として立て直される恵みが語られているような気がします。天気予報では今夜は晴れ間もあるような。スーパームーンがみられるかもしれません。


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