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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年8月28日

更新日:2023年8月30日

 二年程前から、道路と建物の間に植えてある杉科の植物が枯れるようになりました。知り合いの植木屋さんに聞くと、剪定の仕方が根本的に間違っているとのこと。そういえば、以前、家内が買ってきたばかりの剪定バリカンのようなもので、一気に頭だけ刈り揃えたのでした。素人目にはきれいに仕上がったようでしたが、生垣にしてみればとんでもないことをしてくれたということでしょう。木の先っぽの方だけに葉っぱが残っているのもあります。そうでないものは完全に枯れてしまっている。「そうなったら、もうダメです。植え替えるしかないですよ」と植木屋さん。枯れた木の抜き方だけを手まねして教えてくれました。「挿し木はだめですか」と食い下がる私に植木屋さんは黙って手を振るだけ。問題外といったふうでした。ホームセンターでは同種のものを見つけられないし、杉科の植物は挿し木ができないということで諦めていたのです。ところが、今年の春先にyou tubeをみていたら、杉っぽい植物を挿し木しているのをみつけました。「ひょっとするとできるかもしれない」それを参考にしてプランターに挿し木をしてみました。それから毎日、水やりを欠かさないできたのです。3ケ月が過ぎて、半分のものは枯れてしまいましたが、半分はこの夏の暑さに耐えて新しく芽を出しています。かすかな希望が現実となった瞬間です。



  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年8月24日

更新日:2023年8月31日


 高齢化社会への警鐘として、2040年問題ということが言われています。今のまま少子化による人口減少が進むと、2040年には日本全体の高齢者の割合が最大限の35%に達するとのこと。そのときには、今の働き盛りである団塊ジュニア世代(1970年以前生まれ)の平均年齢も65歳以上になっているわけで、そんな歪な人口構成で社会のシステムを維持していくことができるのかということが不安視されています。問題は年金、医療、介護だけのことではなく、それを支える労働力とかインフラの整備、あるいは国の財政が耐えられるかなど多くのことが課題としてあがっています。高齢者は、物価高と年金額の減少、医療費の負担増などにより、今の生活レベルを維持していくことがますます困難になるでしょう。その年金にしても、厚生年金と国民年金では受給額が大きく違う。

 かと言って、社会全体で漏れなくセーフティーネットを張るということは、理想としてはあっても現実的ではありません。そのための財政負担を現役世代が担うという考えは、どう考えても不平等であるし、第一、社会のシステムが大きく変わるでもしない限り、人々に受け入れられることはないでしょう。結局、政治力をもってしても場当たり的な対応で凌ぐ他はないのかも。それで生活が守られる人がいるかもしれないけれど、そこから漏れる人が多く出るのは確実ではないでしょうか。これから高齢化の大波が来る。すでに波頭が見えている。この波をどのように耐えて乗り切るか。せめて自分が場当たり的な対応にならないよう、考えていきたいと思っています。2040年代、俺たちはどう生きるか。

 

  

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年4月29日

 いつの頃からか、急に読書量が減ってしまったような気がします。ちまたで言われているように、スマホとかパソコンが影響しているのかもしれません。これではけないと、今年の初めに自分でノルマを課したのですが、それがなかなか守れない。図書館から借りてきた本が、未読のまま今も机に積みあがっています。せめて信仰書だけはと思うものの、これも読みかけのままになっているのは、理解力が相当減退して読書のスピードが落ちたからなのでしょう。だめだ。だめだめ。筋トレなどよりも、こちらを訓練して取り戻したい。

 昨日、日本聖書教会理事である石田学師の講演会があって、聞きに行ってきました。実は仙台市内にはキリスト教書店が3店あったのですが、既に2つの店が撤退し、残る一つも苦境にあえいでいます。そのような実情の中で、キリスト教書店の意味を考え直そうということで、この講演が企画され開かれたのです。講演の中で石田師は、中世期に修道院に蓄えられていた本が、次の時代を拓くために如何に重要な役割を果たしたかということを触れられました。そのような意味での本との出会いが、今日でも求められるのではないかということです。

 自分の人生を振り返ってみると、一冊の本との出会いが人生を変えてきたのでした。二十歳の頃、キリスト教に反発していた私は、あるとき、亀井勝一郎の「読書論」を読んだのでした。そこには「日本人の中には自分は無神論者だといっている者がいるけれど、実際には彼らは無神論が何かをわかっていない。彼らは神について無関心なだけである」というようなことが書いてありました。それは自分の姿でもあることに気付かされたのでした。そして聖書について自分は全く無知であると自覚されたのです。その恥ずかしさが、キリストとの出会いとなりました。

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