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執筆者の写真秋山善久

 ときどき全く間の抜けたことをしてしまい、自分でも情けない気持ちになってしまいます。先日、家内が留守をしたときのことでした。午後には福島から仲間の牧師が来ることが予定されていて、午前中はそれに関係する書類を作成する事務作業に追われていました。家内は、接待の茶菓やお土産を用意してくれていたのです。昼になって食事をしようと台所に入ると、机の上に袋に入った仙台特性ラーメンがありました。二個入りのパックになっているもので、カップ麺とは違う本格的なものです。「へえ、こんなものがあるのか」と食欲をそそられながら、それを調理して食べました。野菜とゆで卵を入れると満足できるおいしさでお腹は十分に満たされました。間もなくして牧師が来られ、お土産を渡されたので、こちらも返礼をしようと思ったのです。ところがその時になって土産が見当たりません。用意してあるとは聞いていたけど、それが何かを確かめていなかったのが失敗でした。懸命になって探しても見つからない。家内に電話して聞いてみると、「確かに袋に入れて机の上に置いて来た」とのこと。その袋がどうしてもないから困りました。しまいには空き巣にでも入られたのだろうかと考えたりしたのです。近頃、回覧板にそんな警戒情報が掲載されていたことが頭をよぎります。でも泥棒がお土産を持っていくとは考えにくい。それに部屋はいつもと変わりありません。散々探してふと思いついたのが、食べてしまったラーメンのことでした。携帯で「まさかお土産ってのはラーメンのことじゃないだろう」と聞くと、そうですとの答え。どうも袋に張り付けたメモを見落としたのが原因らしいです。袋だけが空しく残っていました。食べてしまっては取り返しがつきません。福島から来られた牧師には、事情を話して失礼を詫びた次第です。いや、一瞬とは言え誰かを疑ったことが罪でした。

執筆者の写真秋山善久

 昨日は誘われて、近くの高校の吹奏楽部による定期演奏会を鑑賞してきました。大きな県民会館の席はほぼ満席で、それだけで前評判通りであることを物語っているようでした。全体が一部と二部に構成され、一部はコンサート形式、二部はマーチングと取り入れたミュージカル仕立てになっていました。演奏そのものだけでなく、全体の構成や演出も含めて本当にすばらしいものでした。

 それと比べようがないのですが、私も高校生のときには吹奏楽部に入っていました。担当した楽器はクラリネット。ハーモニカ以外楽器に触れたことがなかったので、まともに音が出るようになるまで一年以上かかったような記憶があります。やっと音が出るようになっても、突然、ピーという外れた音が出るのが常でした。楽譜を読むということもはじめての経験。楽譜通りに指を動かすというのは至難の業でした。すべて先輩から教えられたのですが、その忍耐には今思い出しても冷や汗ものです。そんなこんなでレベルが低く、せいぜいが文化祭で演奏したり、お祭りの出し物としてパレードに参加するといったものでした。それでも皆で音を作っていく楽しみというものは共有できたように思います。

 クラリネットは楽器を右手の親指で支えるので、その部分に負担がかかりタコができます。そのタコが残っていた間は、自分はクラリネット奏者だということを自覚することもあったのですが、それも消えて過去のものとなりました。それでもクラリネットの音は今でも好きで、疲れた時にモーツァルトのクラリネット協奏曲を聞いたりすると身も心も休まる気がします。けれども、また最初から練習する気にはなれないのは、仲間がいないということでしょう。それに代わって、今はときどき尺八を吹いています。クラリネットと尺八では吹き方は全く違うのですが、縦笛であるだけに似たような部分がないでもない。それに仲間がいなくていい。山の中で一人で讃美歌を吹いてみたりできます。ときどき通る人に、変人がいるという噂が立っているかも知れないのですが。

執筆者の写真秋山善久

 新芽の多彩な緑に囲まれた森林公園の東屋で、残酷なまでにのたうち回っている格闘を目にしました。体格だけを比べたらまるで違うのに、盛んに足を動かしている黒く小さい方が圧倒的に有利な戦い。大きい方は、敵の硬い鎧のような体からはみ出た鋭い歯にその柔らかく白い腹を嚙みつかれ、為す術もなく引きずられていました。痛みに耐えるように体をくねらせながら執拗な攻撃をかわしている。その哀れさはこの上ないもので、力の差は歴然としています。獲物に食らいついた方は、勝利感を漂わせながら必死に根城の穴に運び込もうとしているようでした。途中から仲間が加わったのですが、経験不足で処理のしようがわからないのか、行動がまちまちで一向に協力体制が整わないという風です。そんなところを小鳥に見つかってしまい、虫も蟻も一瞬のうちに小鳥についばまれて、白昼繰り広げられたこのドラマは終わりとなりました。

 今の季節、自然の営みの中にいのちの根源に触れるような出来事が、あらゆるところで展開しているようです。卵から孵った幼虫が繭を作り、それが蝶となって飛び立つというのも何と不思議なことでしょう。生物学的には蝶は完全変態と言われます。トンボなどの不完全変態と違って幼虫と成虫では姿も各器官tも全く違っている。よく考えてみれば、これ程に変化するものかと思ってしまう程です。そのプロセスは科学的に未だに解明されていません。小さな虫の中に人知を遥かに超えたことが起きるとすれば、創造者が人を新しくされることに、疑いを挟む余地はないように思うのです。

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