ある若い方から「先生にとって平和とは何ですか」と質問を受けました。終戦記念日を前にして、説教でキリスト者の平和について触れたからでもありますが、若い方からそうした質問を受けることは稀で、私自身とても嬉しく思いました。そこで30分程、平和について語り合ったのですが、ちゃんと説明できたかどうか反省させられています。
今週は、仙台キリスト教連合の平和祈祷会がカトリックの元寺小路教会でありました。会場がカトリックの場合の通例により、メッセージがプロテスタントの側から立てられました。今回はバプテスト連盟仙台教会の小河牧師がしてくださいました。小河師は、平和に取り組んできたご自身のあかしと、平和が脅かされている今日の状況を語ってくださいました。そこで「祈ることしかできない」と諦めるのではなく、「祈ることができる」と確信を持とうと言われたことが印象に残りました。
最近、犬のナナの体調が悪く、動物病院で診てもらったところ、腸に腫瘍があるとのことでした。さ て、それからが大変。どうしても手術しなければという派と、自然に任せればという派に意見が分かれ
て対立。手術をするという意見が圧倒的で、自然に任せるのが一番というのは、私だけでした。こんなときに、手術の費用がどれぐらいかかるのか、などと言ったものなら、とんでもないことになってしまいます。そんなことで手術をしたのですが、回復の目途は立たず、家族と残された日々を過ごす状態になっています。考えてみれば、動物愛護センターからもらい受け、15年の歳月が過ぎました。はじめの頃は、ひもを車の後部ワイパーにひっかけ、そのまま車を発進させてしまうなどの失敗がありました。そんな我が家の一人ひとりと共に歩んできたことが懐かしく思い出されます。今は完全に家族の一員になっているのです。
梅雨空にポッカリ開いた青空を見ていたら、黒い点が動いているのに気がついた。初めは鳥かと思ったのだがそうではない。動きが全く違う。視界の端から端に音もなく移動を繰り返している。空飛ぶ円盤? そんななずはないと思った瞬間、何かで読んだ記憶が蘇った。飛蚊症。目の硝子体のにごりが網膜に投影されて見えるもので、大人では誰にでも発症するものだという。家に帰ってインターネットで検索したみたら、症状はまさしく自分と同じである。老齢化と共にストレスや疲れも原因とある。早速、眼科に行って検査をしてもらったところ、飛蚊症と診断されてしまった。ただ年配の医師にはこう言われた。「目
には問題はありません。黒いのが見えますが、その内に慣れますから気にしないことです。異常ではないので薬は何も出しません。」 異常を感じたので病院に言ったのだが、異常なしと言うことで診察料2,700円を支払って帰ってきた。飛蚊症は治ることはないようなので、これから長い付き合いになりそうだ。それにしても腑に落ちないことであった。