仙台のぞみ教会
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中ですぐれているのは愛です。
2020年9月27日「心と耳の割礼」(使徒7:38~53)
決して忘れられない記憶の多くは、今の自分の生き方に直結するものであることが多い。イスラエルの歴史は、神様がいかにめぐみ深い存在で決して契約を破らない方であることを示しているが、イスラエルの民はその神様と野の契約を忘れないように自らの身体に「割礼」を施す。神様とのこの契約はイエス様の登場とともに新しくされたが、古い契約を信じているイスラエルの民はそれを認めなかった。この最たるものが大法院の面々である。
今日、第一に見たいのは「偶像礼拝の罪」である。この「偶像礼拝」とは神様ではないものを神とする行為であり、神様に対する明確な裏切り行為である。モーセに導かれたイスラエルの民はシナイ山において「生きたみことば」(使徒7:38)としての律法を授かった。彼らは神様のことばに信頼することで、何もない荒野に出てきたはずである。しかし彼らは「彼に従うことを好まず、かえて彼を退け、エジプトをなつかしく思って」(7:39)、「金の子牛の像を造り」(7:41)拝んでいた。彼らは自分たちの要求を満たすために、神様を裏切ったのである(→「旧約聖書を読んでみよう」の「出エジプト」参照)。ステパノは、神様を裏切り続けてきたイスラエルの歴史をひも解きながら、偶像礼拝がバビロン捕囚を招いたことを指摘した(7:43)。バビロン捕囚以降、表立った偶像礼拝はなくなった(→「旧約聖書を読んでみよう」の「失われた十部族」参照)。しかし神様の思いよりも自分の欲求を第一にする、同じような神様への裏切りが大法院の面々にもあるというのである。私たちも自省したい。
第二に見たいのは「神の啓示としての幕屋」についてである。大法院の中には神殿での務めを果たす役割の人もおり、それを誇っていた。その彼らに対してステパノは、「神殿とは何か」を問いかけている。神殿の原点になった幕屋は「モーセに言われた方の命令どおり」(7:44)に作られ、人の思いや考えが入り込む余地はなかった。ステパノは「いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。」(7:48)と述べた。神殿に最高の価値を見出す大法院の面々は、ステパノが神殿を貶めたと訴えた偽証に基づいて彼を裁いている。彼らは自分たちの思いで神殿を理解し、神殿の本質や新しい時代の神殿を認められなかった。そもそも神殿とは「神の啓示の現れる場所」であり、新約の時代は、聖霊が下された私たちひとりひとりの身体が神殿なのである。
第三に見たいのは「心と耳の割礼」である。冒頭で触れたように、「割礼」とは自分たちが神の民であることを思い起こさせ、神様との契約を忘れないためのあかしでしかなかった。しかもモーセは、割礼だけに安住しないよう「あなたがたは、心の包皮に割礼を施しなさい。もう、うなじを固くする者であってはならない。」(申命記10:16)と諫めている(→「聖書の舞台(人物・組織)」のあ行「うなじのこわい民」参照)。しかし大法院の面々は、割礼が神様との契約のあかしであることを忘れ、その形だけを重んじていた。そんな彼らに、ステパノは「うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。」(7:51)「今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。」(7:52)「あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。」(7:53)と厳しく指摘している。だが彼は、大法院の面々が憎くて語っているのではないことは、彼らのために祈っていることからも分かる(7:60)。私たちもうなじを固くせず、神様の約束の確かさを受け取る者でありたい。
2020年9月20日「モーセの召命」(使徒7:17~37)
19世紀の英国にいたスポルジョン(→Wikipedia「チャールズ・スポルジョン」参照)と言う牧師は、1850年12月、16歳の時に偶然立ち寄った教会で、大雪で来られない牧師に代わって靴屋の店主がイザヤ書45:22を読んでいた場面に出会った。説教のできない店主はこの箇所を繰り返し読んだ後、スポルジョン少年に「少年よ、仰ぎ見て救われよ」と述べた。このひとつの説教が彼の回心のきっかけとなり、その後、牧師として多くの人を救いに導いた。この時、敵意に満ちた大法院の中で神のことばを語り続けたステパノも、その場にいた人びとの心に多くの問いかけをなしていた。
今日の前半は「モーセの苦難からの救出と挫折」について見ていきたい。ヤコブの家族がエジプトに移譲して四百年、ヤコブの子どもでエジプト王の信頼を得ていた「ヨセフのことを知らない別の王」(使徒7:18)が即位したことで状況が一変し、イスラエルの民は大きな苦難に直面していた。王は増え続けるイスラエルの民に恐怖し、生まれた男の子をナイル川に捨てるように命じた(7:19)。そんな中でモーセは、ファラオの娘の気まぐれによって王家の子どもとして生き延びた(7:20-22)。王室にいたモーセは、同胞が奴隷のような扱いを受けていることに心を痛め(7:23)、同胞を救うためにエジプト人を打ち殺した(7:24)。正義をなした彼に、同胞からは「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。」(7:27)という思いがけない言葉を投げかけられた。モーセはイスラエルの同胞たちに敵意を向けられ、自分こそが民を救えるのだという過信が打ち砕かれて、しかも自分の犯した殺人がファラオにも知られてしまったことで「逃げて、ミディアンの地で寄留者」(7:29)となって過ごさなければならなくなった。ステパノの時代、大法院の中には同胞をローマから救い出したいと思い、自分たちの考える神様の救いを期待していた。しかし、それは大きな過ちだというのである。ステパノがこのことを持ち出したのは、人間の思いではなく神の働きがないと成し遂げられないことを示したかったからである。
二番目に「イスラエルの救いのために立てられたモーセ」について見ていきたい。モーセが再び神様に出会ったのは四十年後であり(7:30)、王室での生活を忘れるには充分な時間がたっていた。華やかな街から離れた「シナイ山の荒野」(7:30)で神様は、「わたしは、あなたの父祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。」(7:32)モーセに呼びかけた、そこには、モーセの父祖たちとの契約の確かさがある。すぐに燃えてしまう荒野の中の柴、すでに80歳となったモーセ。この弱さの中にあえて神様は臨在された。神様は「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見た。また彼らのうめきを聞いた。だから、彼らを救い出すために下ってきたのだ。今、行け。わたしは、あなたをエジプトに遣わす。」(7:34)と述べられた。神様は民の惨状を、きちんと向かい合われ、その祈りを確かに受け止められていた。そして、人びとに拒まれていたモーセを「指導者また解放者として遣わされた」(7:35)のである。同様にそのことを語るステパノも、自分の働きが神様から来ているという確信があった。ステパノは、このモーセが「神は、あなたがたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる。」(7:37)と言ったと説明する。ステパノは、満座の敵意の中で確信を持ってイエス様の救いを語ったのである。
2020年9月13日「メソポタミアの契約」(使徒7:1~16)
メソポタミアは古い文明の地であり、アブラハムの育った街ウルもここにあった。今日は、そこで神様が結ばれた契約について見てみたい。そこには律法の本来の意味や、神様に向き合った信仰者のあり方が表れている。この時、ステパノを最高法院に引きだしたユダヤ人たちは律法に熱心だったが、本当に律法を理解していたかは疑問であった。ステパノの証言は、そうしたユダヤ人の律法理解を正して真の救いに導こうとするものであった。
今日、第一に見たいのは「神による相続のための契約」である。ユダヤ人は「自分たちこそが神からの譲りの地とその中心である神殿を受け継いでいく者」というアイデンティティがある。だがイエス様の十字架によって神殿の意味が変えられ、イエス様が神殿であり譲りの地であるというステパノの主張は、それを揺るがせるものであった。彼は、アブラハムの生涯をひも解き、神様は「ここでは、足の踏み場となる土地さえも、相続財産として彼にお与えに」(使徒7:5)ならなかった歴史から、神様による約束は土地ではなかったことを示した。実は「この地を彼とその後の子孫に所有地として与えることを約束されました。」(7:5)と神様が約束された譲り地は、イエス様の救いであった。
第二に「割礼による契約」について見ていきたい。割礼は、神様がイスラエルの民と結ばれた契約を刻んだものである。ユダヤ主義者は、割礼を施さない当時のクリスチャンを批判したが、重要なのは「割礼」ではなく「契約」そのものである。ステパノは、ユダヤ人の父祖たちの歴史をひもときそれを示した(7:8)。さらにステパノは、イスラエルの民が「寄留者」「奴隷」になった歴史をひも解いた(7:6)。これらの言葉はユダヤ主義者たちには耐えられないものであった。しかし、そこから神様が民族を救いに導いた歴史がある。彼はイスラエルの民の父祖たちの歴史は、神の「契約」によって連綿と続き、そしてイエス様の十字架によって契約が更新されたと主張する。だから、いまや「割礼」は意味がなく、イエス様を信じることで「心に割礼を刻み込む」ことが重要なのである。
第三に「回復のための契約」について見ていきたい。ステパノは、「族長たちはヨセフをねたんで、彼をエジプトに売り飛ばしました。」(7:9)という歴史をひもとき、イエス様を十字架につけ、今、ステパノを裁こうとする長老たちの「義」は、実はクリスチャンに対する妬みであることを指摘した。そして「神は彼とともにおられ、あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王ファラオの前で恵みと知恵を与えられたので、ファラオは彼をエジプトと王の全家を治める高官に任じました。」(7:9-10)と述べ、神様がイエス様とともにおられ、すべてを治める権能を与えられたことを述べた。さらにステパノは「二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分のことを打ち明け」「そこで、ヨセフは人を遣わして、自分の父ヤコブと七十五人の親族全員を呼び寄せました。」(7:13-14)と述べ、親族側の努力ではなく、神様がヨセフを通して集められたことを示した。さらにステパノは、神様の約束は、死後も契約通り履行されることを示した(7:16)。この契約は神様の側から出たものであった。私たちは、ユダヤ人のような自己中心的な自己義認に固執するのではなく、神様によって備えられた和解と回復の道にあずかろうではないか。
2020年9月6日「証言者ステパノ」(使徒6:8~15、7:54~60)
キリスト教信仰は神のことばに拠っているが、これは「神のことばについての人の証言を聞く」ことでもある。そのため、そこには語る人の人格が表れる。使徒の働きを書いたルカは、当時の教会の信仰者の生の声を積極的に記したが、その中で最も長く記されたのがステパノの証言である。今日は、彼の証言に表れた信仰者としての生き方を見ていきたい。
第一に見たいのは「御霊と知恵に満たされたステパノ」についてである。聖書には「ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。」(使徒6:8)と書かれている。彼は教会の世話役として選ばれた7人のうちの1人であるが、その働きは使徒たちと並ぶものとなっていた。だが、これに反対する勢力があった。それが「リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々、クレネ人、アレクサンドリア人、またキリキアやアジアから来た人々」(6:9)である。彼らはローマに奴隷として連れて行かれ、後に解放されたユダヤ人の解放奴隷である。彼らは、ユダヤ人としてのアイデンティティを保持するため、旧約聖書の伝統を固持していた。ステパノは福音の真実性を明らかにするために、逃げずに彼らとの論争に立ち向かった。それは彼らをも救いたいという愛ゆえであった。
第二に「最高法院に立ったステパノ」について見ていきたい。彼らは、御霊に導かれたステパノが「語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった」(6:10)。偽りの証人を立てて偽証させるという手を使った(6:11)。先に見たサドカイ派の人々は、クリスチャンに良感情を持つ民衆の反抗を恐れていた。これに対してリベルテンの人々は、民衆を巻き込む策略を講じ、ステパノを襲わせて最高法院に引いて行き(6:12)、偽りの証人を立てて証言をさせた(6:13-14)。罪なき人を罪に定める偽証は、旧約聖書の律法で明確に禁じられている。だが、その律法を信じる彼らがそれを破り、イエス様の十字架と同じ状況を生み出した。だが最高法院の権力の前に立たされたステパノの顔は「御使いの顔のように見えた」(6:15)。最高法院の人々の心はどのように揺らいだだろうか。私たちも困難に直面にしたとき、衝突を恐れて曖昧に済まそうとすることもある。しかし、そんな人の証言を誰が信じるだろうか。私たちもステパノのように、恐れず神様の御言葉を伝えるものでありたい。
第三に「罪を赦したステパノ」について見ていきたい。聖書には「人々はこれを聞いて、はらわたが煮えかえる思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていた。」(5:54)とある。だがステパノは、彼らが怒らせたくて証言した訳ではない。そこには、罪の問題を見失っているイスラエルの民に対して、同じ救いにあずかれるようになって欲しいという思いがあった。だが人々は判決を待つまでもなく「彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。」(7:58)。これは神を侮蔑したものへの死刑のやり方である(レビ記24:14)。それでもステパノは「キリストの証人」としての生き方を曲げなかった。ステパノは「主を呼んでいった。『主イエスよ、私の例をお受けください。』そして、ひざまずいて大声で叫んだ。『主よ、この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、彼は眠りについた。」(使徒7:59-60)。これはイエス様の十字架と同じではないか。私たちも、私たちの敵を愛せるだろうか。しかし、そこには福音に従う新しい生き方がある。ステパノは、自らの人生で見事にそれをあかしした。
2020年8月30日「二番目にできない神の言葉」(使徒6:1~7)
一昨日(1963年8月28日)は、キング牧師が”I have a Dream”の演説をした日である(→Wikipedia「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア」参照)。キング牧師は人種差別を暴力ではなく、みなが平等に神の前に立つことによって解決しようとした。初代教会も同じような問題があったが、使徒たちは教会の問題を信仰によって解決した。
今日第一に見たいのは「差別の問題と弟子たちの招集」である。聖書には「ギリシア語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていた」(使徒6:1)という問題があったことが書かれている。ユダヤ人は純粋性を重んじる民族である。そのユダヤ人の中に「ギリシア語を使うユダヤ人」に対する差別的な意識があり、特に教会の中で最も弱いやもめたちがこの差別に直面した。初代教会は財産を共有していたので、配給を受けられないことは生活に直結する。「サタンは細部に宿る」と言われるが、この小さな事にこそ愛の共同体たる教会の本質が問われる。十二人の使徒たちは、この問題に一致してあたり、教会にいる「弟子たち全員を呼び集め」(6:2)た。このことから、使徒たちがいかにこの問題を重要視していたかが分かろう。
第二に見たいのは「優先された神のことばと祈り」である。使徒たちは「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。」(6:2)と述べた。彼らは決してやもめたちの訴えを無視した訳ではない。だが使徒たちが「仕える」と、最も大事な神のことばと祈りをおろそかにすることになる。そこで使徒たちは、「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」(6:3-4)と述べた。その基準は、「御霊と知恵に満ちた」だけでなく「評判の良い人たち」、つまり使徒たちの前だけでなく、実生活において常に忠実に信仰生活を送っているという意味である。使徒たちは教会の最優先事項である「祈りとみことば」によって奉仕し、七人は人々の訴えを聞き奉仕する。そういった役割分担が必要だというのである。今日、教会には使徒という役割はないし、牧師は使徒ではない。しかし教会の最優先事項は「祈りとみことば」であることは変わりない。
第三に見たいのは「役員の選出と教会の成長」である。この第一回の教会会議の結果、「この提案を一同はみな喜んで受け入れた」(6:5)。「そして彼らは、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオを選び、この人たちを使徒たちの前に立たせた。使徒たちは祈って、彼らの上に手を置いた。」(6:5-6)のである。聖書にはこの人々の役職は書かれていないし、教団によって「長老」「執事」「役員」と名づけられているが、呼称は重要ではない(→「はじめての教会用語辞典」のさ行「執事」た行「長老」ら・や・わ行「役員」参照)。彼らには、手を置いて神様の特別の恵みを授ける「按手」が行われ、人間的に選ばれたのではなく、そこにたしかな神様のみこころが働いていることが宣言された。選ばれたみなが「信仰と聖霊に満ちた人ステパノ」と同様であったかどうかはわからない。しかし、そこには神様が働いているからこそ役割が果たせる。聖書には「こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。」(6:7)とあるが、実生活の中に神様のみことばが実践されていくことが重要なのである。
2020年8月23日「御名のために辱められる栄誉」(使徒5:33~42)
日本人は、『菊と刀』で「恥の文化」であると論じられたように、神の前に罪とされるより人前に恥とされることを嫌う。しかし、この時の使徒たちは、むしろ「御名のために辱められるに値する者とされ」(使徒5:41)、イエス様との一体となったことを喜んだ。
今日、第一に見たいのは「御名は神からのものか、人からのものか」という点である。この問いは、サドカイ派の人びとにはなかった。彼らは「怒り狂い、使徒たちを殺そうと考えた。」(5:33)が、そこで事を冷静に判断しようとするガマリエルという人がいた。ガマリエルはパリサイ派であった。サンヘドリン(→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サンヘドリン(議会)」参照)で大多数を住めていたのは政治的権力を握るサドカイ派(→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サドカイ派(サドカイ人)」参照)であったが、宗教的な権威を集めていたパリサイ派(→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「パリサイ派(パリサイ人)」参照)も少数いた。彼は穏健派のパリサイ派として尊敬を集めていた。ガマリエルは、テウダの事件やガリラヤのユダの事件を引き合いに出し、「この者たちから手を引き、放っておきなさい。もしその行動や計画が人間から出たものなら、自滅するでしょう。」(5:38)と述べている。しかし「もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすると、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」(5:39)という可能性を指摘している。この提案を議員たちは受け入れたものの、使徒たちの行動に対する見方を変えるまでにはいかなかった。私たちも、自分の思いや熱心が、神様に敵対するものになっていないか自省したい。
第二に「御名による救いを拒絶した人びと」について見てみたい。次にサドカイ派が記述されるのは使徒の働きの23章であり(23:6)、時間にすると20年後となる。5章の時点でペテロたちが命を懸けてサドカイ派に突き付けたはずの問いは、結局、彼らの心へは届かなかったようで、20年後もパウロによって同じ指摘をされている。このパウロは、奇しくもガマリエルの弟子であった(22:3)。後に回心したパウロは、サンヘドリンで自分もパリサイ派であり神への間違った熱心さを持っていたが、決して悔い改めようとしなかったことをあかししている。この20年前の今日の箇所で、ガマリエルは「もしその行動や計画が人間から出たものなら、自滅するでしょう。」(5:38)と述べたが、これに反して20年後、キリスト教徒はますます増えている。それは、彼が述べたように「神から出たもの」であることの証明であったが、誰もそのことには気づいていない。むしろ、キリスト教徒が増えれば増えるほど、その敵対心は燃え上がってしまった。「ラビの中のラビ」とまで言われたガマリエル、その優秀な弟子であった回心前のパウロさえも気づけなかったのは、人間の知性の限界を示している。
第三に「御名のために辱められる」点について見ていきたい。サンヘドリンの議員たちは「むちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じた」(5:40)。だが使徒たちは、「御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行」(5:41)き、「毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった。」(5:42)。再び宮で語ることは、人間的には危険なことでもある。しかし、使徒たちは「自分たちがキリストの十字架と一体にされた」ことを確信し、御名のための辱めをむしろ栄誉だと感じていた。そこには悲壮感はなく、喜びと福音への確信しかなかった。これが使徒たちの力となったのである。私たちも、同様の確信をもって御名を語っていきたい。
2020年8月16日「聖霊の証人の前で」(使徒5:21~33)
真理と偽りが混ざっている現代だからこそ、「何が真理であり、何が偽りか」を見極めることは重要となる。イエス様と論争したパリサイ人(→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「パリサイ派(パリサイ人)」参照)たちは、表面的には篤い信仰者であったが、その心の中にはたくさんの罪があった。使徒の働きで著者のルカは、使徒たちとサドカイ人(→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サドカイ派(サドカイ人)」参照)たち対立の事実を書くことで、何が真理かを明らかにしようとした。
今日、第一に「サドカイ人の混乱と神のわざ」について見ていきたい。聖書は「夜明けごろ宮に入って教え始めた。」使徒たちと、「集まって、最高法院、すなわちイスラエルの子らの全長老会を招集し、使徒たちを引き出して来させるために、人を牢獄に遣わした。」(使徒5:21)とサドカイ人たちの対比を描写している。牢から出てすぐなのにも関わらず、まっすぐ宮に行き人々に早朝から福音を伝えた使徒たちの情熱に対して、権力をふりかざして使徒たちを裁こうとしたサドカイ人の何とまぬけなことであろう。本来、彼らこそが神様の言葉を民衆に伝える立場であった。その祭司長たちの権威が失墜し、使徒たちの方が情熱をもって福音を語る。そんな逆転現象をルカは描写したのである。さらに番人がいたにも関わらず空になっている牢の状態を、議会側の下役たちの言葉を通して伝えることで、その現象が神様の力であることを表現している。
第二に「最高法院における再尋問」について見ていきたい。使徒たちは朝早くから語っていたので、宮の守衛長たちが行った時には、相当の数の人々がいたはずである。そこで「宮の守衛長は下役たちと一緒に出て行き、使徒たちを連れて来たが、手荒なことはしなかった。人々に石で打たれるのを恐れたのである。」(5:26)とあるが、そこには自分たちの保身しかない。大祭司さえは「あの名」「あの人」と恐れ、「あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしている。」(5:28)と言っているが、ここに大きな勘違いがある。神様の思いは罪の責任を負わせることではなく、自分の力で罪を贖うことができない人間を救おうとしているのである。しかし日常的に動物の犠牲を捧げて「罪の贖い」の儀式を取仕切っているはずの大祭司が、イエス様の犠牲の意味を考えられなくなっている。
第三に「聖霊による使徒たちの証言」について見ていきたい。使徒たちの証言は、彼らの思い込みではなく、旧約聖書や数々の神のわざの事実が証明している。使徒たちは、イスラエルの宗教的権威である大祭司たちに対して、「私たちの父祖の神」がイエス様をよみがえらせた事実を述べた。そして、イスラエルの歴史は、神様に対する不誠実の歴史だったが、そんなイスラエルに「神は、イスラエルを悔い改めさせ、罪の赦しを与えるため」にイエス様を「このイエスを導き手、また救い主として、ご自分の右に上げられました。」(5:31)と述べている。申命記には証言をする時は、二人以上の証人が必要であると定められている(申命記19:15)。だからペテロは、エルサレムで起こった数々の事実に加えて、「私たち」と「聖霊」も証人であると述べている。
このように初代教会は豊かに聖霊に満たされ、福音の証人として力強い活躍をした。私たちも「イエスキリストの救いの証人」として力強くあかししていきたい。
2020年8月9日「いのちの言葉の宣教」(使徒5:12~5:20)
アフリカでタンザナイトという珍しい高価な宝石が、数か月の間に3個も発見されたとの報道があった。だがヨブ記には、神の知恵を見つけるのは鉱山で鉱石を見つける以上に難しいと書かれている(ヨブ記28:10-12)。その一方で、ヨブの時代と違って私たちには、神の知恵が福音として明らかにされている(→「はじめての教会用語辞典」のは行「福音」参照)。たしかに神様の深いお考えから「この世は自分の知恵によって神を知ること」はできないようにされたが、「それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされ」(Ⅰコリント1:21)たのである。福音宣教を通じて神様のことばを知ることのできる私たちは、何と幸運なことであろう。
今日は第一に「いのちのことばと使徒の権威」について見ていきたい。このころ初代教会は前進をつづけ、使徒たちはますます大胆に福音を語るようになった。イエス様がいたころ彼らは「弟子」と呼ばれ訓練を受けていたが、その後、彼らはイエス様によって「使徒」に任命され福音を語る権威を与えられた。聖書には「使徒たちの手により、多くのしるしと不思議が人々の間で行われた」(使徒5:12)と書かれている。イエス様の時代、人びとはイエス様に奇跡を求めたが、そのような求めや興味に応じる奇跡は行われなかった(ルカ16:16)。一方、この時はイエス様の十字架の意味や福音の意味がはっきりとあかしされており、人々の間に福音への信頼があった。そのため、大変な癒しのわざが公に行われた(使徒5:15-16)。ただ、この時代になされたしるしと不思議は、初代教会の置かれた状況の中で、使徒たちに与えられた特別な権威であった。私たちは、今の時代にそのしるしや不思議を求めるべきではなく、むしろ使徒たちがあかしした「いのちのことば」に心を向けていきたい。
第二に「人々の応答とねたみ」について見ていきたい。使徒たちのしるしや不思議に対しては三つの反応があった。第一はクリスチャンのグループで、「皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた」(5:12)とある。第二は「ほかの人たち」で、彼らは「だれもあえて彼らの仲間に加わろうとしなかったが」(5:13)がクリスチャンたちを尊敬していた。彼らは、信じたいが心の中に迷いがあったのである。だが、その多くが信じる決断をし、結果「主を信じる者たちはますます増」た(5:14)。彼らが信じたのはペテロの説得によるのではなく、現実の中に働く聖霊のわざを目の当たりにしたからである。そして第三のグループは「ねたみに燃えて立ち上が」った「大祭司とその仲間たち、すなわちサドカイ派の者たち」(5:17)である。本来この人々は、神様の恵みやことばを神殿で人々に取り次ぐ立場であった。それなのに使徒たちが語るのを見て、自分たちの立場やプライドが傷つけられたという悪しき思いしかなかった。そんな彼らは、当時のイスラエル社会で最も権力を持っていたが、やがて歴史から消えてしまう(→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サドカイ派(サドカイ人)」参照)。
第三に「いのちのことばの宣教」について見ていきたい。サドカイ派の人々は「使徒たちに手をかけて捕らえ、彼らを公の留置場に入れた。」(5:18)とある。ところが神様の使いは、使徒たちを牢から連れ出し「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばをすべて語りなさい」(5:20)と言った。本来、神殿は「いのちのことば」を語る場所である。この「いのち」とはイエス様のことである。ヨブの時代にはできなかった「いのちのことば」を伝える福音宣教の役割は、今、クリスチャンと教会に与えられている。今、このような時代だからこそ、「いのちのことば」を伝えていくことほど重要さを確認したい。
2020年8月2日「交わりを壊す罪」(使徒4:32~5:11)
神の愛は教会を通して表されるが、それは単なる博愛主義ではない。もちろん、教会は博愛主義を否定するものではないが、その愛は根本的に違う。初代教会の中で起きた今日の箇所の出来事は衝撃的であり、「博愛主義の教会」らしからぬと思うか人もあろう。だが、神様の愛を混同すると教会が教会でなくなってしまう。今日は、丁寧にそのことを見ていきたい。
今日は、第一に「初代教会にあった一体性」について見ていきたい。聖書には「信じた大勢の人々は心と思いを一つにして」(使徒4:32)と書かれているが、これこそキリストの愛を表すものであった。この時、イエス様と一緒に旅をしてきた人、エルサレムに住んでいた人、祭りのために神殿に来た人など様々な出自の人々が、イエス様を信じる信仰によって聖霊によって結びつけられていた。ここでは「だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた」(4:33)が、神様の「大きな恵み」(4:33)で満たされ「一人も乏しい者がいなかった。」(4:34)のである。人びとがこの生活を選んだのは、使徒たちに命じられたからではなく、イエス様の愛の原点に立ち返った人びとの自由意思からであったことに注意したい。
第二に「教会の中に侵入してくる罪」について見ていきたい。アナニアの出来事の前には、バルナバのことが対比的に書かれている。彼は、ユダヤ教の祭司を出す家系のレビ人であったが、信仰による大きな決断をして「所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた」(4:37)。一方アナニアは、これに触発されて自分の土地を売り「代金の一部を自分のために取っておき、一部だけを持って来て、使徒たちの足もとに置いた」(5:2)。代金の一部を取っておいて献金したアナニアの行為の、どこが罪かと思う。だがペテロが、「売らないでおけば、あなたのものであり、売った後でも、あなたの自由になったではないか。」(5:4)と言っている通り、それはアナニアの自由であった。ペテロが問題にしたのは「サタンに心を奪われて聖霊を欺」(5:3)いた部分である。神様は、人の心の内側を探られる方である。アナニアの表面的な行為には問題ないように思うが、全部寄付したことにすればバルナバのように教会電素恩恵が集められると思う、その動機の点で聖霊を裏切ったのである。私たちも、その動機の中に信仰とは異なるものが侵入していないか、常に見ていく必要がある。
第三に「排除された罪と神に対する恐れ」について見ていきたい。ペテロがアナニアに指一本も触れていないのに「このことばを聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。」(5:5)のは、神様のさばきが下ったためである。その後、入ってきた妻のサッピアにも同じように答えて死んだ。ペテロは、彼女に「なぜあなたがたは、心を合わせて主の御霊を試みたのか。」(5:9)と非難したように、本来、教会は信仰のために「心を合わせる」べきとこころを、この夫婦は聖霊を欺くために行ったのである。夫婦は、単純にバルナバのように尊敬を得たい思っただけかもしれない。しかし彼女らは、教会の中に聖霊の働きがあることを知りながらそれを軽んじ、欺いた。神様は、その罪を教会から取り除かれたのである。これによって「教会全体と、このことを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた。」(5:11)とあるが、この出来事で人びとは恐れて遠ざかったのではなく、むしろ神様の意図を考え行動し、より神様との関係を確かなものにしようとした。それが生ける神への信仰なのである。
2020年7月26日「感謝と賛美の祈り」(使徒4:23~31)
祈りが大切とわかっていても、日常生活と結びついていなければ気休めにしかならない。祈りとは神様と向き合うことであり、その姿勢が祈りの言葉となる。旧約聖書には、イスラエルの歴史の節目でなされた様々な祈りの場面があり、その歴史を導いてきた。祈りの結果起こった出来事ではなく、真実の信仰は、置かれた状況の中で自分がどう祈るがが重要である。今朝の聖書の箇所には、最高議会(→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サンヘドリン(議会)」参照)に釈放された後の、ペテロたちが仲間たちとの祈った場面が書かれている。
今日は、第一に「心を一つにした祈り」について見ていきたい。釈放されたペテロは「仲間のところに行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。これを聞いた人々は心を一つにして、神に向かって声をあげた。」(使徒4:23-24)とある。この時の「報告」は「祭司長たちに脅されてイエス様のことを語ってはいけない」というものではなかった。おそらく人々は、議会での審判の間、二人のために祈っていたのであろう。そして二人が無事に返ってきた時、人々は熱気をもって神様に感謝した。この熱気を、聖書は「心を一つに」(ギリシャ語は、「ὁμο(一つ)θυμαδόν(情熱)」)と表現している。
第二に「感謝と賛美の祈り」について見ていきたい。この時の祈りは「主よ。あなたは天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方です。」(4:24)という神様への賛美からはじまった。ここには「神を神とする」「人は神にはなれない」という意識がある。祭司長たち世の権力は何ほどのことはない。彼らはダビデの預言を引用し「なぜ、異邦人たちは騒ぎたち、もろもろの国民はむなしいことを企むのか。地の王たちは立ち構え、君主たちは相ともに集まるのか、主と、主に油を注がれた者に対して。」(4:25-26)と祈った(→「はじめての教会用語辞典」のあ行「油を注がれた」参照)。つづいて、油を注がれたイエス様に逆らった罪の告白がなされた。それは「ヘロデとポンティオ・ピラト」だけでなく(→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「ヘロデ」の「(2)ヘロデ・アンティパス」参照)((→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「ピラト」参照)、「異邦人たちやイスラエルの民とともに」と自分たちをも指してその罪を告白している(4:27)。しかし、その罪も「あなたの御手とご計画によって、起こるように前もって定められていた」(4:28)のである。私たちがイエス様を十字架につける罪は、あらかじめ定められた神様の計画であったという告白は、不可思議に思える。しかし、それは(1)私の罪は自分でどうしようもないほど深かったが、(2)その私を救う道を「イエス様の十字架の犠牲」を通して用意してくださった、という神様のご計画とあわれみに対する感謝の祈りなのである。
第三に「使命を確認する祈り」について見ていきたい。彼らは「主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒しとしるしと不思議を行わせてください。」(4:29-30)と祈った。彼らは「みことばを大胆に」語ることが使命であると祈っている。最高議会からはイエス様の名によってみことばを語ってはならないと言われている。彼らには、その権力に対抗できる人間的な力はない。だが議会では、「イエスの名によって癒しとしるしと不思議」によって癒された足が不自由不自由だった男の姿を通して、神様のことばの正しさとペテロの証言を裏付けていた。神様の働きや時代や状況によって千差万別であり、同様の癒しや不思議が常にあるわけではない。それらは神様の判断で行われるものである。私たちの役割は、ただ「みことばを大胆に語る」ことであり、それをささえるのは「心を一つにした祈り」なのである。
2020年7月19日「聞き従うべき権威」(使徒4:13~22)
コロナウイルスで目立たないが、現在、香港の教会の信教の自由が脅かされている。7月には国家安全維持法が成立し、ますます状況が悪化している。教会は、歴史的に見ても様々な圧力を受けてきた。今朝の箇所はペテロとヨハネが神殿の前で説教した時に、容疑が定まらないまま逮捕されてサンヘドリン(→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サンヘドリン(議会)」参照)に引き出された時のことが描かれている。
今日は第一に「大胆にあかしされた福音」について見ていきたい。聖書に「彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。また、二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。」(使徒4:13)とあるが、ペテロはとても大胆に話すような人物ではなかった。むしろイエス様のことばを誤解したり、十字架前夜に逃亡したりしていた。その彼が、今回は「聖霊に満たされて」(4:8)大胆に福音をあかしした。私(牧師)もクリスチャンになったばかりのこと「あかしをしてください」と言われて戸惑った時に、「神様が信仰に導いてくださったのだから、神様が話すことも与えてくださる」と考え委ねたことを思い出す。この時、ペテロらのことばを裏付けるように「癒された人が二人と一緒に」(4:14)立っていた。喜びに満たされて立っている彼の様子そのものが、神の栄光を現わしていた。私たちも様々な機会に、言葉だけでなく、行いや存在でもあかしをしていきたい。
第二に「福音に反対する人びと」の姿を見ていきたい。逮捕した人びとは「あの者たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムのすべての住民に知れ渡っていて、われわれはそれを否定しようもない。」(4:16)ことはわかっていた。しかしペテロたちの言葉を認めるなら「神の御子を十字架につけた」という自分たちの罪を認めることになる。それは絶対にできない。これはペテロの言葉に心を刺されて「私たちはどうしたらよいでしょうか。」(2:37)と悔い改めて、そこから福音の道がひらかれた民衆とはずいぶん異なる。彼らは「これ以上民の間に広まらないように、今後だれにもこの名によって語ってはならない、と彼らを脅しておこう。」(4:16-17)と結論付けた。使徒の働きを書いたルカは、イスラエルの最高議会であるサンヘドリンがおかしな決断をしたことを記録している。信仰者が権力によって脅されることは、歴史上何度もあった。それでも信仰の道は途切れずに続いている。福音に反対する人びとに対して恐れることなく、神様に祈っていくことが大切である。
第三に「神に効き従う決断」について見ていきたい。ペテロは彼らに「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。」(4:19)と答えている。人の考えと神のことばが対立した時は、神のことばに聞き従うべきである。ペテロは、禁止する彼らに「私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」(4:20)と言う。見たこと、聞いたことを話してはならないという律法はない。神殿の前で神をあがめていた二人を、どう罰せるのか。「そこで彼らは、二人をさらに脅したうえで釈放した。」(4:21)が、そこにイスラエルの宗教的・律法的最高権威としてのサンヘドリンの姿はない。「神の声に聞き従う」ことは、クリスチャンにとって譲れない基準である。だが、それは自分勝手な思いで声高に叫ぶのではなく、毎日の信仰生活の中で謙虚に神のことばに従ってこそ守れるものなのである。
2020年7月12日「ただ一つの救い」(使徒4:1~12)
教会に救いを求めて来られる方も多い。使徒の働き3章で、施しを求めた脚の不自由な男が福音に触れて変えられ、また、それを見ていた多くの人が変えられた。もし、この時にペテロが小銭を与えただけなら、何も起こらなかっただろう。教会は、福音を通じて魂の救いを担うのが役目だが、それは福音に対して敵愾心を持っている人々の魂も対象となる。
今日は第一に「福音を拒む人への宣教」について考えていきたい。ペテロらが話していた時、神殿には「男の数が五千人ほど」(使徒4:4)の聴衆がいた。この状況に「祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たち」(4:1)はいらだっていた(→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サドカイ派(サドカイ人)」参照)。彼らは宗教国家イスラエルでの特権階級に属し、モーセ五書だけに権威を置いていたので「救い主」も「ダビデの子」も意味がないという世俗的な信仰を持っていた。その彼らの特権と考えていた神殿で、ペテロとヨハネが説教し多くの人々が福音を聞いている状況は、彼らの権威を真っ向から否定しているように映った。彼らは権力を武器に二人を捕らえて留置し、「翌日、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちは、エルサレムに集まった。大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロと、大祭司の一族もみな出席した。」(4:5-6)とある。このカヤパはイエス様を十字架につけたときの大祭司だった。彼らは、二人をサンヘドリン(議会)の真ん中に立たせ(→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サンヘドリン(議会)」参照)、「おまえたちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか。」(4:7)と尋問したが、そんな彼らにも福音が語られたことに注目したい。かつてイエス様はこのような出来事を予言し、「それは、あなたがたにとってあかしをする機会となります。」(ルカ21:12-13)と述べている。今日も、つねに福音が好意的に受け入れられる訳ではない。だが、そのような一つひとつが福音を語る機会となのである。
第二に「唯一の救い」について考えたい。サンヘドリンで敵意を持つ権力者たちに取り囲まれたペテロは、聖霊に導かれほど堂々と福音を語った(4:9-10)。一方、彼らサドカイ派は、神殿の儀式をとり仕切りながら「魂の救済」を微塵も考えず、ローマ定格の権力にすり寄って自分たちの地位と生活を守ることだけを考えていた。そんな彼らに「おまえたちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか。」(4:7)と問われたペテロは、「あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。」(4:10)と語り、彼らの犯した罪を明白にした。だが、それは彼らを裁くためではなく、彼らに自らの罪に気付かせ、悔い改めて神様に立ち返らせることにあった。ここで語られた「あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった」(4:11)という引用は、サドカイ派の信じていない詩編からの引用である。つまり「彼らの捨てた石」とは、「詩編で語られた御言葉」であり「イエス様」でもある。ペテロは、民衆には「無知」ゆえにイエス様を十字架につけたと語ったが(3:17)、彼らには「意識的・主体的」に捨ててきたというのである。だがペテロは「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(4:12)と、彼らに宣言している。福音は求める人とってだけでなく敵対する人にとっても「唯一の救い」であると考え、あらゆる機会に語っていきたい。
2020年7月5日「立ち返るとき、回復のとき」(使徒3:11~26)
聖書に「主は ご自分の羽であなたをおおい あなたは その翼の下に身を避ける。」(詩編91:4)とあるように、神様は親鳥のごとく手をかけて初代教会を育てられた。その一つが奇跡である。
今日は、第一に「イエスの名による救い」について見てみたい。聖書には脚の不自由な男が癒された奇跡を見て、周りの人は「ものも言えないほど驚いた。」(使徒3:10)とある。この驚きは奇跡そのもの以上に、自分たちが蔑んでいた人の中に神のわざが働いたことに対するものだった。人びとは、畏敬の念をもってペテロたちを見つめたが、彼はそれを「イエスの名」に向けている(3:12-13)。この時に信仰を持ったのはペテロではなく、この男である。当時、男のような障害は「罪の結果」と考えられ、彼は「美しの門」から中へは入れなかった(→「聖書の舞台(国・場所)」のさ行「神殿」参照)。この男は、毎日宮の「美しの門」にいたのでイエス様のことは耳にしていたが、ペテロに会うまで「自分には関係ないこと」と思っていた。しかし男は、ペテロに会って男は「ナザレのイエスは救い主である」と確信し「イエスの名」を信じた。それが神様に受け入れられ、奇跡に結びついたのである。蔑まれていた男に現れたこの奇跡は、福音の救いは誰にでも起きることを人々に示すためのものでもあった。
第二に「悔い改めの時」について見ていきたい。人々はの関心は「脚が治る奇跡」自体に向いていたが、ペテロは「あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、いのちの君を殺したのです。」(3:14-15)と、人びとの関心を罪の問題へと導いた。イエス様の十字架は、公正な裁判の結果ではなく民衆の声によって決められたものだった(→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「ピラト」参照)。「いのちの君を殺した」(3:15)人間の行為は、取り返しもつかない犯罪である。「しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。」と、神様の側から救いへの道を開いてくださった。ペテロは、この行為を「あなたがたが、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたことを、私は知っています。」(3:17)と述べている。しかし無知が罪を軽減するわけではなく、そこにこそ巨大な悪が存在する。神様に対する無知は、現在の私たちにもある。しかし聖書は「ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。」(3:19)と述べている。私たちが驚くべきことは「脚が治ったという奇跡」ではなく、「神様の救いが私たちの中に働いている」という奇跡の方なのである。私たちは、今、その救いにあずかるための悔い改めが求められている。
第三に「回復のとき」について見ていきたい。ペテロは「そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。」(3:20)と述べている。この「回復」という言葉は、新約聖書ではここにだけ使われている言葉である。同じ言葉は、モーセを通して十の災いがエジプトに下った場面に出てくる。この時、災いと災いの間が少し空いて、ファラオが「一息つける」と感じた(出エジプトの8:15)。「回復」とは、その「一息つく」状態を表している。私たちは「すでに」と「いまだ」の間にいる。やがて神様は「万物が改まる時」(3:21)にこの世をさばかれる。その間に神様の怒りが一時停止され、私たちは悔い改めるつかの間のチャンスを与えられている。それが今である。だから今こそ、私たちは罪を自らの問題と受け止め、悔い改め、「イエスの名」によって神様の救いにあずかるべきではないか。