仙台のぞみ教会
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中ですぐれているのは愛です。
2021年9月26日「白く塗った壁」(使徒の働き22章30~23章10節)
「白く塗った壁」とは、奇妙なタイトルだと思うかも知れない。クリスチャンでないとなかなか分からない。これはイエス様がパリサイ人を痛烈に批判した時に使った言葉である(白く塗った墓:マタイ23:27)。今朝の箇所は、「サンヘドリン」と言われる最高法院で(→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サンヘドリン」参照)、パウロが弁明を述べている箇所であるが、彼は大祭司にその言葉で批判した。
今日は第一に「神の御前で」という視点で見ていきたい。律法によってパウロを断罪しようとしている指導者たちは、そのために最高法院を臨時招集した。それゆえ、彼らは初めからパウロに対して敵意を持っていた。しかしパウロは、彼らに「兄弟たち。私は今日まで、あくまでも健全な良心にしたがって、神の前に生きてきました」(使徒23:1)と述べ、律法で裁かれるべき生き方をしていないと述べている。プライドを傷つけられたと感じた大祭司は「パウロのそばに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じた」(23:3)が、パウロはイエス様のことばを引用して、彼を「白く塗った壁」と批判した。これはイスラエルの墓は「美しく見えても、内側は死人の骨や汚れいっぱいだ」(マタイ23:27)との意味である(→「聖書の舞台(生活・習慣)」のは行「墓と埋葬」参照)。周りの者に大祭司への侮辱をとがめられたパウロは、「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった」(使徒23:5)と言ったのは、本当に知らなかったのではなく「大祭司としての生き方をしていない」との皮肉であった。それに対してパウロは、神様の前に恥じない生き方をしてきたとの自信がある。神の前に生きていたからこそ、何も恐れることはない。
第二に「死者の復活の望み」ついて見ていきたい。パウロは、最高法院の対立状況を見てとって「兄弟たち、私はパリサイ人です」「私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです」(23:6)と述べた。新ローマの特権階級であるサドカイ派に対して、パリサイ派はユダヤ民族主義、律法主義で影響力があった。二つの派は死者の復活についての考え方が違い、宗教的にも水と油であった。確かに回心以前のパウロはパリサイ派であったが、その行動を恥じていたはずである。先週の箇所にあった「ローマ市民」(22:25)もそうであるが、福音のメッセージを伝えるなら何でも使おうとするパウロのたくましい知恵は興味深い。その結果「パリサイ人とサドカイ人の間に論争が起こり、最高法院は二つに割れた。サドカイ人は復活も御使いも霊もないと言い、パリサイ人はいずれも認めているからである。」(23:7-8)と大混乱になった。しかしパリサイ派がパウロを支持しているのではなく、むしろパウロを追い詰めてきた。パリサイ派は宗教的に「死者の復活」を主張しているだけで、なぜ、それが必要かは考えてもいなかった。「イエス様の福音」のための「死者の復活」でない限り、その論争に何の意味もない。これが愚かな最高法院の実態である。
第三に「恐れないで語り続ける」ことについて見ていきたい。この裁判の発端は、アジアから来たユダヤ人が、パウロが異邦人を神殿に引き入れたとの誤解からであった(21:19)。しかしパウロは、その点での誤解を解く弁明をするのではなく、最高法院を「福音を語る場」と考えた。その時の雰囲気は「論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと恐れた」(23:10)ほどであった。しかし、私たちもパウロ同様、どんな時にもイエス様を証ししていきたい。
2021年9月19日「異邦人のための働き」(使徒の働き22章17~29節)
私たちの祈りは、「自分に対する神様の御心を知る」というものである。クリスチャンの祈りは、「家内安全」や「商売繁盛」などの自分の欲求のみを神様に伝える一方通行のものではなく、「お話しください。しもべは聞いております」(Ⅰサムエル3:10)と神様の意図を聞くことである。異邦人伝道はパウロの希望ではなく、神様からの召しであった。
今日は第一に「異邦人伝道のための召し」について見ていきたい。パウロは異邦人伝道の働きのはじまりを「それから私がエルサレムに帰り、宮で祈っていたとき、私は夢心地になりました。そして主を見たのです」(使徒22:17-18)と神様からの掲示からであった話している。そしてそれは、パウロが回心する前からの計画であった(9:15)。パウロは、自分のようなものでも救われたことを、同胞のユダヤ人に伝えたかった。しかし神様の御心は「行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす」(22:21)というものであった。パウロが異邦人に伝道するという行動は、同胞たちは裏切り者とか敵対者とか取られる可能性があった。しかしパウロは、自らの想いを超えて神様の意志に従った。
第二に「再燃したユダヤ人の激しい反発と千人隊長の取り扱い」について見ていきたい。神様がパウロを異邦人に遣わしたということは、選民思想のあるユダヤ人にとって我慢ならないものであった。その結果「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない」(22:22)「人々がわめき立て、上着を放り投げ、ちりを空中にまき散らす」(22:23)という激しい反発を引き起こした。押し寄せるユダヤ人群衆ヘブル語で話したパウロの言葉と、それに対するこのような激しい反応について、ギリシア語を使う千人隊長には分からなかった。そこで彼は「パウロを兵営の中に引き入れるように命じ、なぜ人々がこのように彼に対して怒鳴っているのかを知るため、むちで打って取り調べるように言った」(22:24)。この「むち」とは「マスティゾー(μαστίζω)」で、拷問用に革ひもに鉛などを仕込んだ破壊力の高いものであった。これに対してパウロは「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むちで打ってよいのですか」(22:25)と言った。この言葉に千人隊長はひるんだが、そこには、むちでしか人を従わせる権威を示せない千人隊長自身の弱さと、神様に知恵を与えられたパウロの冷静さの対比が出ている。
第三に「ローマの市民権」について見ていきたい。パウロがローマ市民だと分かった千人隊長は、その態度が一変した。生まれながらに市民権を持つパウロに対して、千人隊長は市民権を多額の金を払って手に入れただけであった(22:28)。おそらくパウロの父祖がローマ帝国に対する貢献があったのであろう。ローマ帝国の権威を背景に威張っていた千人隊長の権威は失墜した。彼は「パウロがローマ市民であり、その彼を縛っていたことを知って恐れた」(22:29)のである。パウロが市民権を持っていたことを自慢したことはない。しかし、この危機的な状況の中で身を守るために用いられた。そこに神様の不思議や働きを感じる。神様は、私たち一人ひとりに「神様の召し」を示してくださる。その道は、私たち自身の意図とは異なったり、それに従うことには戸惑いがあるかもしれない。しかし、そこに新しい道が開かれる。だからこそ私たちは「神様の意図に耳を傾ける」ことが求められるのである。
2021年9月12日「パウロの救いのあかし」(使徒の働き22章1~16節)
聖書の福音について興味のない未信者の方にキリスト教信仰について語るとき、その信者自身がどのように救われたかという「救いの証し」を語ることが多い。救いに導かれた経験は、人によって多様である。今日の話は、パウロによる「救いの証し」についてである。
今日は第一に「イエス様を信じる前のパウロ」について見ていきたい。この時パウロは、へブル語(より正確にはアラム語)で語ったのは、同胞のユダヤ人に語りかけるためであった。この時、パウロは、律法をないがしろにする者だと彼を非難する人々に、「私は、キリキアのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しく教育を受け、今日のみなさんと同じように、神に対して熱心な者でした」(使徒21:3)と語った。そして、アジアから追ってきた目の前のユダヤ人たち以上の「熱心」さでクリスチャンを迫害していた(21:4-5)。パウロは、過去の自分の「神に対する熱心さ」を何と愚かだったか、そして大祭司や長老会全体も神様に対して間違いを犯していたと述べている。パウロのみならず、信仰を持つ以前の自分たちも、誤った愚かな「熱心さ」はなかっただろうか。
第二に「復活の主イエス様との出会いと回心」について見ていきたい。そのように「熱心な」宗教的エリートとして育ったパウロを大きく変えたのは、彼の知識や努力ではなく神様側の働きかけであった(21:6-8)。イエス様はパウロに働きかけ、そしてご自身を「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」(21:8)とお答えになられた。これは、ユダヤ人がイエス様を「ただの人間の、田舎出身の、十字架につけられて終わった者」という蔑みの呼び方である。「一緒にいた人たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした」(21:9)とあるように、イエス様は直接パウロの内側に語りかけている。それまでのパウロは自分の宗教的「熱心さ」に自信を持っていたが、イエス様天からの光(21:6)はそんなパウロの間違った光を打ち砕き、その結果、彼は闇に沈んでしまった(21:11)。しかしパウロがそれを受け入れ自分の中の不信仰を明らかにすることは、これまでの信念や行動を全否定することになる。だからユダヤ人たちの気持ちも分かる。
第三に「信じてからどう変わったか」について見ていきたい。パウロは、イエス様の命じたとおりにダマスコでアナニアに会い、再び見えるようになった(21:13)。この「再び見える」とは肉体的に見えることと同時に、これまで分からなかった神様や律法の真の意味について再認識できるようになったことを指す。このアナニアは「律法に従う敬虔な人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人たちに評判の良い、アナニアという人」(21:12)であり、そのアナニアがユダヤ人の「父祖の神」(21:14)がパウロを「すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人」(21:15)としようとしていると話したとパウロは証ししている。つまりパウロは律法の破壊者ではなく、その行動は「あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるため」(21:14)であった。だからこそ、目の前のユダヤ人たちにも神様のみこころを知って欲しいというのである。私たちも自分の中に信仰や義があると考えがちである。だがパウロの証しから、神様と一対一で向き合い神様のみこころを求めることの大切さを、私たちも再認識するべではないだろうか。
2021年9月5日「混乱の中での呼びかけ」(使徒の働き21章27~40節)
私たちは様々な危機に囲まれている。その様な危機の中では、うわべの姿などは消え去り、その人がどこに立っているのか、その本当の姿が表れてくる。第三回伝道旅行は、アンティオキア教会を起点・終点にしたこれまで旅行とは異なり、エルサレムを終点としていた。この後、エルサレムから囚人として護送されるローマへの最後の旅が始まる。
今日は、第一に「人びとに捉えられたパウロ」について見ていきたい。先週、パウロの一行がエルサレムの教会で歓迎された場面を見た。その時に、パウロが律法やユダヤ人の慣習を軽んじていると思う人がいる危険を長老たちは告げた。彼らは、その誤解を解くために神殿で清めの儀式を行うことをパウロに勧めた。しかし、その儀式が済んでいないうちに「アジアから来たユダヤ人たち」(使徒21:27)が「この男は、民と律法とこの場所に逆らうことを、いたるところで皆に教えている者です。そのうえ、ギリシア人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所を汚しています。」(21:28)と誤解に基づいた糾弾を行った。彼らはパウロを「この男(=異教徒)」であると呼びかけ、あえて「イスラエルの皆さん」(21:28)と叫んで民族意識に訴えかけた。誤解と思い込みによって死罪に値する罪を擦り付けようとした彼らの姿に、イエス様を十字架につけた人間の罪の深さが見て取れる。
第二に「ローマの千人隊長による救出」について見ていきたい。「彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。」(21:31)というのは、パウロにとってギリギリの瞬間だった。ただ千人隊長自身はパウロを助けようとしたわけでも、ましてや神様に従ったわけではなく、ただ職務に忠実だっただけである。パウロは、この千人隊長に渡されて縛られ、ここに皆が心配したアガボの預言(21:11)が成就した。この時、千人隊長は「、騒がしくて確かなことが分からなかったので、パウロを兵営に連れて行くように命じた」(21:34)が、それはパウロを保護する意図ではなかった。だが、それが結果的にパウロの命を助ける行動となった(21:34-35)。「使徒の働き」の著者であるルカは、これら一連の出来事に、侵略者でユダヤ人の敵であるはずのローマ兵が福音宣教に果たした神様の不思議な働きを感じたのであろう。
第三に「証しの機会を得たパウロ」について見ていきたい。「兵営の中に連れ込まれようとしたとき、パウロが千人隊長に『少しお話ししてもよいでしょうか』」(21:37)とパウロがギリシア語で尋ねたので、彼のことは暴動を起こしたエジプト人だと思っていた千人隊長は驚いた(21:38)。このエジプト人の暴動は、歴史家のヨセフスの『ユダヤ戦記』にも書かれている事件である。パウロは、荒野に逃げたこのエジプト人とは異なり、暴徒に対して逃げることをせず「この人たちに話をさせてください」(21:39)と申し出た。パウロは皆に証しをすることのできる一瞬の機会を逃さなかったのである。彼は「私はキリキアのタルソ出身のユダヤ人で、れっきとした町の市民です」(21:39)と語りかけた。神様は、民衆の暴動も、パウロが市民権を持っていることをよく理解していなかった千人隊長も(22:24)も用いて、パウロに福音を広げる助けとした。人間の目には理不尽に見えることにも神様の働きを見出して、危機の時にも福音を語り続けたパウロの姿勢を見倣っていきたい。
2021年8月29日「エルサレム教会」(使徒の働き21章15~26節)
アメリカの牧師リック・ウォレンのベストセラー『人生を導く五つの目的』(→Amazon)という本の中心的な考えは、「神様のための人生を自分の目的に定めれば、人生は豊かになる」というものである。「人生は自由である」という考えは、生きる目的をなくすことにもなる。パウロは異邦人伝道を人生の目的としていた。そして世界宣教を進めるためにはローマに行く必要があると考えていたが、このときパウロはエルサレムに戻っていった。
今日、第一に「エルサレム教会を訪ねた目的」について見ていきたい。彼は、ローマに行くことを常に願っていたが(ローマ1:10)、その前にエルサレムに立ち寄るように御霊に導かれていた(使徒19:21)。彼はマケドニアとアカイアの人々の援助を、エルサレム教会の貧しい人々に持って行ったが(ローマ15:26)、それはマケドニアの人々が豊かだったのではなく、むしろ極度に貧しかった彼らが分け与える恵みを選んだ結果であった(Ⅱコリント8:2)。しかしエルサレムはローマとは逆方向であり。その旅行は一見、ローマ宣教をより困難にする行動のように見えた。だがパウロは、そこに神様の目的があることを確信していた。私たちも、神様の導きにしたがってしっかりとして目的と見出していきたい。
第二に「エルサレム教会での交わり」について見ていきたい。「私たちがエルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。翌日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた」(使徒21:18-19)。ヤコブ以外の使徒たちは伝道旅行でいなかったが、多くの無名の長老たちがパウロを歓迎していたことが分かる。ここで不思議なのは、エルサレム教会訪問の目的だった献金のことについては書かれていない。それは、物質的な恵み以上に「パウロは自分の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったこと」(21:20)という恵みが大きかったからである。だが、ここで長老たちはクリスチャンとなったエルサレムのユダヤ人たちの間にも、彼の思い(ローマ9:3)反してパウロがモーセの律法に背くように教えているとして反感を持っている人が多いと告げる(使徒21:20-21)。ユダヤ人にとって律法を守ることは民族的なアイデンティティであり、それを否定されることはクリスチャンとなったユダヤ人にとっても受け入れがたいことであった。だが、それを乗り越えて福音に立ち返ることがユダヤ人の救いであるとパウロは考えていた。
第三に「誤解を解くための和解の証し」について見ていきたい。パウロが間違っていなくても、彼に対する誤解という障害を取り除くことは福音宣教にも重要なことであった。長老たちは、パウロが決して律法をないがしろにしていないことを示すために、ナジル人(→「聖書の舞台(生活・習慣)」のな行「ナジル人」参照)としての誓願を立てている四人を「連れて行って、一緒に身を清め、彼らが頭を剃る費用を出してあげてください。」(21:24)と提案した。そのことで「あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、皆に分かるでしょう」(21:24)というのである。パウロもあえて強弁せず、ユダヤ人の心が福音に向くことを第一にして長老たちの提案に従った(21:26)。彼は、そのようにして異邦人教会とユダヤ人の教会が、ともに福音に歩むことを第一としていたのである。
2021年8月22日「困難を承知の旅」(使徒の働き21章1~14節)
人生で「リスクを避ける」ことは重要だが、リスクを避けてばかりでは前に進めない。イエス様は「十字架を負って私に従いなさい」と言われた。今日の箇所は、身の危険を案じたまわりの人たちの進言に抗うように、イエス様の使命を果たしたパウロの様子である。
今日は「パウロ達がたどった道と人々との出会い」について見ていきたい。エペソ教会の長老たちと別れて船出した一行は、「コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。そこにはフェニキア行きの船があったので、それに乗って出発した」(使徒21:1-2)とある。さらにキプロスからツロに向かって一気に地中海を渡った(21:3)。そしてツロのクリスチャンたちを探し、七日間、信仰の交わりを持った(21:4)。そのクリスチャンたちはパウロの身を案じて「彼らは御霊に示されて、エルサレムには行かないようにとパウロに繰り返し言った」(21:4)。彼らも御霊に示されて「エルサレムに行かない方がいい」と言い、パウロも御霊に示されてエルサレムに向かった。そこに矛盾があるのかどうかルカは記述していない。ただ「彼らはみな、妻や子どもたちと一緒に町の外まで私たちを送りに来た。そして海岸でひざまずいて」(21:5)祈ったことのみ書いている。私たちも、同じ神様を想い互いを大切にしながらも、行いや考えが異なることもある。だが私たちは、人間的な安易な妥協に走るのではなく、心を一つにして神様の御心を求め祈ることが重要である。
第二に、「預言によるパウロの危機の予告」について見ていきたい。一行はツロから船出してプトレマイオスに行きさらにカイザリアに行って、伝道者ピリポの家に行った(21:7-8)。「かなりの期間そこに滞在していると、アガボという名の預言者がユダヤから下って来た」(21:10)。このアガポは、かつて世界中の大飢饉を預言した定評のある人物である(11:28)。そのアガポが「パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って言った。「聖霊がこう言われます。『この帯の持ち主を、ユダヤ人たちはエルサレムでこのように縛り、異邦人の手に渡すことになる。』」(21:11)と預言したのである。これを聞いた人々が「パウロに、エルサレムには上って行かないようにと懇願した」(21:12)のも当然であろう。しかしパウロは、それを退けた(21:13)。なぜパウロは、そこまでこだわったのか。もともと、この旅はマケドニアで預かった献金をエルサレム教会に届ける目的であったが、それなら別の人間でも済むはずである。だから御霊がパウロの心を捕らえていたからだとしか言いようがない。彼は「あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか」(21:13)とかなり心が揺れ動いたことが分かる。だが彼は「私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています」(21:13)と言い切った。その行動は、「使徒の働き」と同じ著書が書いた「ルカの福音書」のイエス様の行動を彷彿させる(ルカ18:31-33)。彼らは「主のみこころがなりますように」(使徒21:14)と説得をあきらめ、口をつぐみ神様にゆだねた。その先に福音の大きな広がりがあった。私たちは、このようなパウロとまわりの人々の行いの中に、神様の大きな御業を見ることができる。
先行きの見えない時代であるが、私たちの人間的な判断でなく「神様の御心」を祈り求め、神様の導くまま歩んでいきたい。
2021年8月15日「御国を受け継ぐ務め」(使徒の働き20章28~38節)
今日は終戦記念日である。戦前の日本は「神の国」と自称して国民を困難に導いた。だからこそ私たち教会は、平和の道を歩まなければならない。そのためには、何が必要なのか。今朝の箇所は、エペソの長老たちを呼んで話した場面の続きである。
今日は、第一に「神の教会と監督」について見ていきたい。パウロは長老たちに「あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです」(使徒20:28)と話した。教会は「神がご自分の血をもって買い取られた」神のものである。それを見誤ると教会は教会でなくなってしまう。パウロが離れている間に、エペソの教会がどのように長老を選んだのかわからないが、そこには人間の意図ではなく聖霊がお立てになったことは確かである。この「監督」とはギリシア語で「見張る」という意味のエピスコポス(ἐπίσκοπος)であるが、これは「厳しく目配りする」ことと「愛を持って牧する」ことである。パウロは「私が去った後、凶暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、容赦なく群れを荒らし」(20:29)(Ⅰテモテ1:20を参照)、さらに「あなたがた自身の中からも、いろいろと曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こってくる」(使徒20:30)ことを「予言」している。だからこそ、教会が教会であるために「目を覚まして」(20:31)「群れの全体に気を配る」(20:28)ことが大切だというのである。
第二に「みことばによる成長」について見ていきたい。パウロは、聖霊によって長老が選ばれたことは理解していたが、「長老たちに」エペソ教会をゆだねるのではなく「神とその恵みのみことばにゆだねます」(20:32)と述べている。そして長老たちだけに教会を任せたのではなく、教会に関わり「あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々」(20:32)とともに成長することが重要だと述べている。パウロは、選ばれた長老たちだけでなく、キリストによって結びつけられた神の家族全体が教会であると言うのである(エペソ2:21)。私たちの人生は試練が多いが、だからこそ、みことばに留まり、そこに立って成長する。その先には「御国を受け継がせる」(使徒20:32)という栄光がある。
第三に「信仰による愛の実践」について見ていきたい。パウロは「私は、人の金銀や衣服を貪ったことはありません。あなたがた自身が知っているとおり、私の両手は、自分の必要のためにも、ともにいる人たちのためにも働いてきました」(20:33-34)と語っている。エペソの町は偶像信仰によって富を得ていた。パウロは名声があり、お金を集めようと思えば集めることもできた。だが彼はキリスト教会がそうならないように慎重になり、自分自身の必要な自分で稼ぐようにしていた。彼は、また「労苦して、弱い者を助けなければならない」(20:35)とも語っている。さらに「受けるよりも与えるほうが幸いである」とイエス様が話したとも語っている。パウロは、教会から貪るのではなく、むしろ労苦して働き弱い者たちに与えたいと考えていた(エペソ4:28)。パウロは、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきた」(使徒20;35)と信仰による実践をもって語りを終え、エペソの教会をみことばに委ねることを祈って長老たちと別れたのである(20:36)。
2021年8月8日「走り尽くす生涯」(使徒の働き20章13~27節)
今朝は札幌市でオリンピックの男子マラソンが行われたが、人生は、しばしばマラソンにたとえられる。そして人生も向かうべきゴールが大切である。パウロも「コリント人への手紙」の中で、自分の生涯を競技にたとえゴールの大切さを説いている(Ⅰコリント9:24-26)。この時パウロは、本当はエペソに立ち寄って話したがっていた。エルサレム教会の窮乏を救うために道を急いでいたので、「使徒の働き」の著者であるルカたちとトロアスで合流した後は海路をとることにした(→「新約聖書を読んでみよう」の「エーゲ海旅行」参照)。彼は、エルサレム教会の出発点でもある五旬節(使徒2:1-47)にどうしても着きたかったのである。それでも、その途中のミトレスにエペソの長老たちを呼んで、語りつくすべきことを語った(20:17-27)。その中心的な言葉が「私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません」(20:24)というものである。
パウロが、ミトレスでエペソ教会の長老たちに次のように語った。「あなたがたは、私がアジアに足を踏み入れた最初の日から、いつもどのようにあなたがたと過ごしてきたか、よくご存じです。私は、ユダヤ人の陰謀によってこの身に降りかかる数々の試練の中で、謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきました。益になることは、公衆の前でも家々でも、余すところなくあなたがたに伝え、また教えてきました」(20:18-20)。パウロは、聖書に関する知識、ローマの市民権、宗教的な地位などを持っていたが、それを用いた上から目線でなく「謙遜のかぎりを尽くし」(20:19)語った。彼のゴールは「福音を届けること」であり、彼はその務めを自覚していたからこそ、自分を捨てて謙遜に語ったのである。そして神の福音は「ユダヤ人にもギリシア人にも」(→「聖書の舞台(人物・組織)」のか行「ギリシア人」参照)(20:21)にも語ってきたのである。
次に「神からの恵みの務め」について見ていきたい。パウロは「主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません」(20:24)と語っている。この務めは神様から公に託されたものであるが、彼自身その役目にあずかれたことが、どれほどの喜びかと語っている。それは以前、クリスチャンを迫害していた自分を救い(9:1-19)、大きな任務をくださった神様の恵みに驚きを持っていた。その様なマイナスともいえる個人的な経験を、パウロは人々に大胆に語っている(22:1-21、26:1-27)。それは福音を宣べ伝えるために、すべてを証ししたのである。パウロは、神様が自分を「異邦人宣教」に導いてくださっていたことをよく自覚していた。しかし、それは同時に、同胞であるユダヤ人からの反発を生むこともよくわかっていた。だがパウロは、反発必至のその任務を「神の恵みである任務」として全うしようとしていた。
第三に「献身の意味」について考えたい。いのちはもちろん大切である。だがパウロは、「自分のいのちは少しも惜しいとは思いません」(20:24)と語っている。人間は、自分の命を惜しむことで、失われることもある(マルコ8:43)。パウロは、キリストのいのちの中に生きることで、本当のいのちを得ることができると理解していた。神様の導かれる先の本当の結果は人間には分からない。しかし、そんな中にあっても神様に人生を捧げることで、喜びをもって自分の務めが果たされる。パウロは、それをエペソの長老たちに語ったのである。
2021年8月1日「信仰の交わりと励まし」(使徒の働き20章1~12節)
私たちの信仰には励ましが必要である。言い換えれば、どんな時でも主がともにいてくださることを確信することで私たちの信仰は励まされる。パウロは、各教会を巡り「交わり」と「励まし」をおこなってきた。
今日第一に「教会の励ましの民」について見ていきたい。銀細工人デメテリオが発端となるエペソでの騒ぎが収まると、「パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げ、マケドニアに向けて出発した」(使徒20:1)。それはエペソからの撤退ではなく、エペソでの伝道を弟子たちに任せて、新しい伝道に導かれたのである。このマケドニアやギリシアでも「、パウロは「多くのことばをもって弟子たちを励まし」(20:2)てきた。実はパウロは、これらの地方の中でも特にコリントの教会のことが気になっていたようである(Ⅰコリント16:5-6)。コリントに派遣したテトスからの情報が得られず心配が募っていたようである(Ⅱコリント2:12-13)。だが最終的にテトスに会えて、コリント教会の様子が分かって安心したという(7:5-7)。これらを見ると、諸教会を励ましていたパウロ自身も、また励ましを必要としていたことが分かる。同様に弱さを抱えた私たちも、神様からの励ましを必要としていると同時に、私たち自身も他の誰かの励ましのための役割を任されている。
第二に「聖餐の交わり」について見ていきたい。パウロ一行はユダヤ人の陰謀を避けるため、陸路を通って旅をした(使徒20:3)。一方、多くの同行者はトロアスでパウロを待って合流した(20:4)。彼らは「種なしパンの祭り」の後であったが(20:6)、一行は「私たちはパンを裂くために集まった」(20:7)。つまり、古いユダヤの祭りではなく、今日の聖餐式を思わせる、イエス様の十字架を想う愛餐の交わりであったようである。そして、この日は「週の初めの日(日曜日)」(20:7)で、イエス様の十字架で結ばれた兄弟姉妹との新しい交わりであった。私たちも、今も聖餐式をおこなっているが、それによってイエス様への信仰を受け止め、イエス様の十字架で結ばれた神の家族であることを確認していきたい。
第三に「突然の出来事への対応」について見ていきたい。この時、パウロと合流していた「使徒の働き」の著者のルカは、その時の集会の様子を「私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんついていた」(20:8)と生き生きと描写している。そして、この時「ユテコという名の一人の青年が、窓のところに腰かけていたが、パウロの話が長く続くので、ひどく眠気がさし、とうとう眠り込んで三階から下に落ちてしまった」(20:9)という出来事が起きた。ルカは医者でもあったが、彼の見立てでも「もう死んでいた」(20:9)。だがパウロは、「降りて行って彼の上に身をかがめ、抱きかかえて」(20:10)いた。これは徹底的にへりくだって神様の憐みを乞うている姿で、旧約聖書のエリヤの出来事を思い起こさせる(Ⅰ列王記17:19-21)。突然の出来事の中で神様のみことばを聞いていたはずの周りの人々は取り乱したが、パウロだけが神様のみことばに目を向けて、その恵みを乞い願っていた。私たちも突然の出来事に出会って取り乱すことがあるが、どんな時でも神様との関係に目を向けて神様を信頼していきたい。神様はパウロの願いを聞き入れ、青年は生き返った(使徒20:10)。人々は、たしかに神様が働かれていることを目にし大いに励まされた。
2021年7月25日「地に落ちた女神の威光」(使徒の働き19章23~40節)
オリンピックに参加する選手たちは文化を超えて結ばれる実感を持つ。しかし、福音は時に文化と衝突することがある。だが、それを避けていれば神様の御業は働かない。パウロはこの時、エペソで三年間伝道し、マケドニアとアカイアに行ってからエルサレムに戻った後、ローマに行こうとしていた(使徒19:21)。今日は、そのエペソ滞在の最後のあたりである。
今日、第一に見たいのは「福音に反発したデメテリオと仲間たち」について見ていきたい。このデメテリオは銀細工人で「銀でアルテミス神殿の模型を造り、職人たちにかなりの収入を得させていた」(19:24)人物である。その頃のエペソには、昔から出産や豊穣の神としてのアルテミスが祭られていた。彼は「あのパウロが、手で造ったものは神ではないと言って、エペソだけでなく、アジアのほぼ全域にわたって、大勢の人々を説き伏せ、迷わせてしまいました。」(19:26)と主張したが、それほどエペソの町に福音が広がっていたことが分かる。彼らはアルテミスの神官でもなかったし、神様がどういう方かは関係なかった。ただ、自らの利益が損なわれることのみを心配し、経済的欲望を「神」としていたことが分かる。
第二に「福音を曲解した町の人の騒動」について見ていきたい。「これを聞くと彼らは激しく怒り、「偉大なるかな、エペソ人のアルテミス」と叫び始めた。そして町中が大混乱に陥り、人々はパウロの同行者である、マケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって劇場になだれ込んだ。」(19:28-29)と人々の騒動は過熱化していた。この「劇場」とはローマ式の野外劇場であり、ゆうに1万人収容できる場所であった。それでもパウロは「その集まった会衆の中に入って行こうとした」(19:30)が、弟子や友人たちはそれを止めた。なぜなら、人々は「何のために集まったかのさえ知らなかった」(19:32)ように、ただ熱気と混乱しかなく、知性も理性もなかったからである。パウロに敵対しているユダヤ人は最初のうちは人々のパウロ排斥に同調していたが、その集会が反パウロから反ユダヤ人になってこようとしていた(19:34)。ここに表れたのは、当初の銀細工人たちの問題を超え、福音に対して心を閉ざし神ではないものを神様とする人々の混乱の様子であった(19:34)。
第三に「敵対者からまもられたパウロの働き」について見ていきたい。町中にわたるこれほどの混乱の中で、神様はかつてパウロに約束されたように(18:10)パウロを守られた。この時も、この混乱に責任を感じ自ら群衆に対峙しようとしたパウロの行動は、弟子たちや友人にとどめられ、群衆に直接、群衆の矢面に立ったのは「街の書記官」(19:35)であった。彼は「エペソの皆さん。エペソの町が、偉大な女神アルテミスと、天から下ったご神体との守護者であることを知らない人が、だれかいるでしょうか。」(19:35)と、パウロなら決して言わない方法で群衆をなだめた。そして群衆と、騒動のもととなったデメテリオの一派を分けるようにした(19:38)。そして、これ以上の騒動はローマに対する騒乱罪と述べた(19:39-40)。この時の書記官の言葉は、騒動を鎮静化させるために有効であった。だが「使徒の働き」の著者であるルカは、この騒動における神様の働きを確かに見ていた。パウロ自身も、人間的な部分ではこのエペソ「獣」と戦えなかったと言っている(Ⅰコリント15:22)。私たちも、「ともにおられる神様」を確か見上げていきたい。
2021年7月18日「いのちへの悔い改め」(使徒の働き19章11~20節)
福音が力強く宣べ伝えられるところでは、それに反する力も活発化する。日本でも教会に根強い反発がある地方もある。しかし信仰が生活に根付くためには、それに向き合う必要もある。今日の箇所で出てくるユダヤ人の巡回祈祷師たちは、イエス様の力を現象面だけ見ておりひどい目に合うが、この出来事を通してこの地方に福音が一気に広まった。
今日、第一に「福音と悪魔的な力の対決」について見ていきたい。この巡回祈祷師は。前の役では「巡回魔除師」と訳され、ギリシア語では「エクソルキゾウ(Έξολ Κίζο)」という。「神はパウロの手によって、驚くべき力あるわざを行われた。」(使徒19:11)が、これは信仰が哲学ではなく、生活に根ざしたものであったことが分かる。パウロの作業用の衣類が病を癒すことを見たユダヤ人の巡回祈祷師たちは、イエス様の名を用いて祈ろうとした。祈祷師たちは祭司長の息子なので神の名をみだりに唱えない。しかし彼らがイエス様の名を使って祈ったということは、イエス様を神様と認識していないことになる。この点が、イエス様の名を通して祈るクリスチャンと決定的に異なる点である。その偽りの信仰が彼らに跳ね返ってきた。悪霊は「イエスのことは知っているし、パウロのこともよく知っている。しかし、おまえたちは何者だ。」(19:15)と答えた。イエス様の名前が信仰と切り離して用いられるとき、何の力も持たない。形だけキリスト教的に祈ることは危険であり、「耳を背けておしえを聞かない者は、その祈りさえ忌み嫌われる」(箴言28:9)ことさえある。私たちも神様と自分の関係を曖昧なままにして、ご利益的に祈ってしまうことがないだろうか。
第二に「町全体の回心」について見ていきたい。「このことが、エペソに住むユダヤ人とギリシア人のすべてに知れ渡ったので、みな恐れを抱き、主イエスの名をあがめるようになった」(使徒19:17)と書かれている。多くのユダヤ人にとってイエス様は「十字架につけられたナザレ人」でしかなく、パウロの言葉にも無関心だったかもしれない。一方、祭司長の息子である祈祷師たちは、尊敬を集めていたことであろう。これはギリシア人たち(→「聖書の舞台(人物・組織)」のか行「ギリシア人」参照)にとっても同様であった。その祈祷師たちが恥を受け、その権威が役に立たないことが分かった。先週の箇所でイエス様の名を通してバプテスマを受けたのは、たった12人だった(19:7)。だが今、エペソのまち全体がイエス様の名をあがめるようなになった。私たちは伝道が進まないことを嘆くが、神様はそんな「時」を備えてくださっているのも信じている。
第三に「リバイバルによる生活の革新」について見ていきたい。イエス様の名は単なる「記号」ではない。自分が罪人だと認めて、イエス様によって新しくされたいという自分自身の「意思」があって初めて神様は私たちのうちに働いてくださるのである(Ⅰヨハネ1:8-9)。エペソの町の人々は「自分たちのしていた行為を告白し、明らかにした」(使徒19:18)だけでなく「魔術を行っていた者たちが多数、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた」(19:19)というように生活そのものを変えた。自分の中にため込んだ古い考えや生活を捨てて、新しい生活をおこなう具体的決断が信仰には必要である。ある信者さんが何ら問題にならないような小さな罪を抱えてこられ、それを告白して神様の前に平安を得られた。私たちもこの人のように神様の前に真実をつくし、信仰生活を築いていきたい。
2021年7月11日「いのちのバプテスマ」(使徒の働き19章1~10節)
クルマで走っている時に、自分では思っていない所を走っていることがある。そんな時には、自分の位置を地図上で再確認することが必要である。人生においても、しばしば迷い、神様のことばに立ち返る必要がある。ここで語られたバプテスマのヨハネは、最後の預言者で悔い改めを語った。それは大切なことだが、それよりも主イエス様のバプテスマ、すなわち十字架の死と復活によって、私たちに永遠のいのちを与えられたことである。
今朝、第一に見たいのは「聖霊を知らなかったクリスチャン」についてである。エペソは第二回伝道旅行の時に訪れて伝道し、パウロを引き留めた街である(使徒18:20∸21)。パウロにとっても嬉しい街のはずだが、パウロが「彼らに『信じたとき、聖霊を受けましたか』と尋ねると、彼らは『いいえ、聖霊がおられるかどうか、聞いたこともありません』と答えた」(19:2)。パウロは「ガラテヤ人への手紙」で指摘したように、聖霊によらず肉の修練によって救われるという理解がはびこっていたのを感じていた。エペソにキリスト教を伝えたのはパウロ自身であった。だから予想されたものとはいえエペソの人々の答えは、正直ショックだったのではないか。そして「どのようなバプテスマを受けたのですか」と尋ねると「ヨハネのバプテスマです」と答えたのであった(19:3)。これは自分の神様との関係を根底から捉えなおす必要がある問題である。
第二に「主イエスの名によるバプテスマ」について見ていきたい。彼らに対してパウロは「ヨハネは、自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げ、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」(19:4)と説明した。悔い改めが間違いなのではない。しかし、それは出発点であり、私たちが神様とともに歩むには、イエス様に死と復活にあずかり、聖霊に導かれる必要がある(ローマ6:3-8)。このバプテスマは神様からの一方的なめぐみである。聖霊のバプテスマは、初期においては「炎の舌」のような目に見える現象として(使徒2:3)に表れたり、この時は「彼らは異言を語ったり、預言したりした」(19:6)という現象が現れたりしたが、それらの現象が本質ではない。私たちが罪許されて救われているという確信が与えられること、それ自体が「聖霊が働かれている」証しである。だからこそ、私たちは人生に迷った時「イエス様の名によるバプテスマ」に立ち返るべきであろう。
第三に「バプテスマによる教会の発展」について見ていきたい。この時、「イエス様の名によるバプテスマ」を受けたのは「全員で十二人ほど」(19:7)であり、決して多い数ではない。だが、この十二人がエペソ教会の発展の礎となった。その一方で、多くの人はパウロの三か月にわたる説得を聞いても「心を頑なに」し、それだけでなく悪口を言ったりもした(19:8-9)。そこでパウロはユダヤ人の会堂から離れ、多くの民族が議論を行う「ティラノの会堂」で二年間毎日論じた(19:9-10)。パウロは、合計三年間エペソに滞在し、多くの重要な書簡を書くなど、エペソの伝道を重要視していた。かつて「もっと長くとどまるように頼んだ」(18:20)人々の考えは変質してしまったが、「イエス様の名によるバプテスマ」の基礎をきっかり受け止めた少数の人々によってエペソ伝道は発展した。私たちも、何を基盤として人生を歩み、伝道していくか、その点を確かなものにしていかなければならない。
2021年7月4日「福音の正確な説明」(使徒の働き18章23~28節)
先週、オンラインを通じて山形恵みキリスト教会と協力して合同祈祷会を行った。私たちの教団は今年で宣教130年になるが、創立以来「宣教協力」を大切にしてきた。今朝の箇所は、パウロの第三回伝道旅行が始まる場面である。この伝道旅行でパウロは、「ガラテヤの地方やフリュギアを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。」(使徒18:23)とあるように、この時はエペソを中心に活動をした。
今日は、第一に「福音の不正確な説明」について見ていきたい。パウロがエルサレムやアンティオキアの教会に行っている間、プリスキラとアキラはエペソの教会にとどまっていた。その間に「アレクサンドリア生まれでアポロという名の、雄弁なユダヤ人がエペソに来た」(18:24)のである。アレクサンドリアの共通語はギリシア語で、学問の中心地でもあってギリシア語の旧約聖書「七十人訳」もここで翻訳された。そんなアポロは聖書についての知識もあった。しかし、それを聞いていたプリスキラとアキラは、博学で雄弁で霊に燃えて熱心なアポロの説明には何か欠けていることに気づいた。彼は、主の道を整えるための悔い改めのための「ヨハネのバプテスマ」(18:25)しか知らず、救いのための福音の道が語られていなかったのである。私たちも、イエス様や聖書のことが語られている時、福音の一番大事な部分が語られているか、その点を見極めなければならない。
第二に「福音の正確な説明」について見ていきたい。アポロの説明を聞いた「プリスキラとアキラは、彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明した」(18:26)。この夫婦は、ユダヤ人追放の勅命によってローマからコリントに逃れ住んでいたテント職人で、そこでパウロと出会い、一緒に仕事をし、生活をしていた。そして、その生活の中で神様の恵みを受け止めて信仰を打ち立ててきた。だからこそ、聖書の学識が豊富なアポロに、この夫婦はもっと正確に説明ができた。アポロに欠けていたのは、「私がキリストとともに葬られ、キリストともに永遠のいのちを得て聖霊を与えられ、日々の生活の中でその聖霊が働いている」という「聖霊のバプテスマ」である。私たちも、聖書について知識だけで語ると、相手を説得・論破するだけの伝道になってしまう。大事なのは、この夫婦のように真心を込めて丁寧に伝えることである。アポロも、雄弁家としてのプライドにとらわれず受け入れ、神様に大きく用いられた。エペソの教会も人々も、欠けのあったアポロを支え、伝道に行く「彼を励まし、彼を歓迎してくれるようにと、弟子たちに手紙を書いた」(18:27)。このように、不充分で欠けのある人々が互いに建て上げていく関係性こそ教会の姿である。
第三に、「伝道者アポロのその後の活動」について見ていきたい。アポロは、アカイア地方の中心都市であったコリントで伝道活動を行った。コリントの教会は、教会内で党派が生まれる事態となっていた(Ⅰコリント1:12)。それだけアポロが活躍し、人気が高かったのである。そんなアポロを、パウロは傷つかないように説明している(3:6)。だがアポロは、コリントの人々もパウロも勧めたにも関わらず、人間の人気の上に神の教会が建て上げられないように再びコリントの教会に行くことを固辞した(16:12)。私たちも神様の福音の上に建て上げられる教会の姿を、もう一度確認していきたい。